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2003.12.07

明日は12月8日

 明日は12月8日。釈迦が悟りを開いたとされる臘八会だ、っていう話はボケ。対米英開戦の記念日、と書いてそれでいいのか。あの馬鹿なWikipediaはなんと呼んでいるのかなと見ると、太平洋戦争勃発とある。ふーん、というしかないな。いわく「日本軍、ハワイの真珠湾を奇襲(真珠湾攻撃)」、これも、ふーん、というしかない。英語の翻訳かと思い英語版を見ると、こうある(参考)。


1941 - The United States Congress passes a declaration of war on Japan, bringing the United States of America officially into World War II. Hitler's Germany declares war on the United States. Congresswoman Jeannette Rankin casts the only "no" vote. First use of Gas Vans on the Jewish by Hitler's Germany occured at the Chelmno camp, near Lodz.

 ジャネット・ランキン(Jeannette Rankin http://www.rankinfoundation.org/)に言及するあたりに、ちとエスプリがある。よく読むと、真珠湾奇襲みたいなことを素で書いてないなというあたりにも歴史家のセンスがある。
 1941年というのは、自分が生まれる随分前のことなのだが、思い起こすと小学生のころの教員には復員兵もいて、この日に限らず戦争の話をいろいろ聞いた。こういうといけないのかもしれないし、教員の個性にもよるのだが、復員兵の教員がする戦争の話は面白かった。そういうとドンパチのどこが面白いのかと詰問されそうだが、ようするに春風亭柳昇と同じようなものだ。春風亭柳昇も今年亡くなった。
 予備校時代、私はそこで講義を持っている数学のW先生に傾倒した。べたべたと先生の回りにまとわりついたわけではないが、彼の講義は欠かさず聴いた。ひどいずんずう弁だったが、講義は面白かった。数学の教え方もとびきりうまかった。教師という点であれほど優れた人はいないだろうと思う。彼は、私の記憶違いかもしれないが、中国で諜報員の活動もしていた。中国語が出来たためだろうとも思うし、単なる諜報だけではなかったのかもしれない。ある講義の途中で、「僕はあの戦争を一生懸命やった」と語った。単純な戦争肯定ということではなかった。面白い話だったが、ようは、中国人捕虜を見殺しにして撤退しろという命令に背いて、捕虜の延命・解放をしたということらしい。そのことを人道的に誇っているというわけでもなかった。如何に上司が理不尽であったかに激怒して死ぬ気だったようだ。先生はそういうことをなんどもやっていたらしく、死地に放り出されたこともあったようだ。そうそうに中国人のような身なりで逃げ出したなど…。まさに物語だった。
 あの戦争を実体験のレベルで感受できるのは私が最後の世代になるのかもしれない。そのあたりはよくわからない。自分より上の団塊の世代のほうが遙かに戦後民主主義的だった。むしろ、私の世代は戦後民主主義に最初にねじれた世代だったのかもしれない。高橋留美子のマンガもそういう世代背景があるだろう。
 「十二月八日」というとこの日付を題にしてあの日に書かれた太宰治の小説がある。当然、恰好の批評のテーマにされるのだが、これがなんとも奇っ怪な作品なのである。新潮文庫の「ろまん燈籠」にも入っているが、現在ではネットでも読める(参考)。

 きょうの日記は特別に、ていねいに書いて置きましょう。昭和十六年の十二月八日には日本のまずしい家庭の主婦は、どんな一日を送ったか、ちょっと書いて置きましょう。もう百年ほど経って日本が紀元二千七百年の美しいお祝いをしている頃に、私の此の日記帳が、どこかの土蔵の隅から発見せられて、百年前の大事な日に、わが日本の主婦が、こんな生活をしていたという事がわかったら、すこしは歴史の参考になるかも知れない。

 話はその主婦の目で開戦に喝采しつつ、それとはまったく同じ次元で、赤ん坊を銭湯に連れて行く。まるで開戦とは関係のない日常をその主婦の行動から浮き立たせる。太宰一流の皮肉としてしまうこともできないだろう。

ひとりで夕飯をたべて、それから園子をおんぶして銭湯に行った。ああ、園子をお湯にいれるのが、私の生活で一ばん一ばん楽しい時だ。

 引用だけにすればこんな奇妙な話もある。

台所で後かたづけをしながら、いろいろ考えた。目色、毛色が違うという事が、之程までに敵愾心を起させるものか。滅茶苦茶に、ぶん殴りたい。支那を相手の時とは、まるで気持がちがうのだ。本当に、此の親しい美しい日本の土を、けだものみたいに無神経なアメリカの兵隊どもが、のそのそ歩き廻るなど、考えただけでも、たまらない、此の神聖な土を、一歩でも踏んだら、お前たちの足が腐るでしょう。お前たちには、その資格が無いのです。日本の綺麗な兵隊さん、どうか、彼等を滅っちゃくちゃに、やっつけて下さい。これからは私たちの家庭も、いろいろ物が足りなくて、ひどく困る事もあるでしょうが、御心配は要りません。私たちは平気です。いやだなあ、という気持は、少しも起らない。こんな辛い時勢に生れて、などと悔やむ気がない。かえって、こういう世に生れて生甲斐をさえ感ぜられる。こういう世に生れて、よかった、と思う。ああ、誰かと、うんと戦争の話をしたい。

 私はこれにユーモアを感じる。女と限定せず、日本人などそういう状況下に置かれれば依然そんなものではないかという点で可笑しさを感じる。それを戦後は理屈で押し込めていった。だが、必要なのは、平和だのの理屈ではなく、ユーモアではないだろうか。小林よしのりのまじめくさった戦争論にも似たようなユーモアを感じる。笑いのめすというような面倒くさいことではない。
 そういうユーモアが大切だと言いたいわけではない。むしろ、言えることは理念を先行にしても感性は変わらないということだ。
 ところで、衆知のことをあらためて書くことになるのだが、先に銭湯におんぶしてつれて行かれた園子は実名で津島園子だ。旦那は衆議院議員津島雄。オフィシャルサイトがある(参考)。津島姓なのは養子だからだ。
 特に話がまとまらない。12月8日についてまとまる話など書きたくもないのだが。

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コメント

お話とてもおもしろかったですp(^-^)q

やはり・・経験とかそういうのは重みがありますね。

そして、「高橋留美子」・・

これは難しいですよねぇ・・でも、極東さんのいうとおりだと思う。。あと「高橋留美子」のマンガ表現の特異性(特に擬音)については養老孟司と布施英利の師弟コンビでなんか書いてた気がしますが・・ちょっとタイトル忘れましたm(_ _)m

それでは・・

投稿: m_um_u | 2003.12.08 09:40

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