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2003.11.06

選挙前三日の静かで脱力な日々

 秋が深まってきたと思うが今年は例年に比べて紅葉の色が良くない。山茶花の開花も早かったように思う。近所の和菓子屋に栗羊羹を買いに行ったら、「今年の栗はあまりよくないんですよ」と店の者が恥ずかしげに言う。それを聞いて、国産の栗なんだろうなと思う。しばわんこ和の心である。かく日々が過ぎていく。選挙が週末に近づくわりに、それほど選挙の宣伝はうるさくない。小選挙区制なので勝ちが決まっている選挙区はこんなものなのだろうか。と、日記のようなことを書く。新聞各紙社説を読んでも、今日もぼんやりした感じだからだ。
 朝日新聞社説「あと3日 ― 無党派層さあどうする」を読んで、当然ながら「どうしよう」とも思わない。小沢一郎に最後の手向けの一票を送りに行くだけだ。もちろん、希望を捨てるわけではない。官僚制度を一度刷新しなくてはいけないし、地位協定を改定しなくてはいけない。私がこの選挙で思うことはそれだけになってしまった。
 朝日によれば、無党派とはこうらしい。


3年前の前回総選挙では、投票した無党派層の大半が投票日の直前か当日に投票先を決めたことも、本社調査で明らかになっている。

 朝日にしてみれば、毎度ながら啓蒙しくさってくだっているつもりだろう。私しても、自分もほぼ無党派でありながら、選挙の実態とはこんなものかと思う。そのあたりは選挙のプロが詳しいから、この数日に奇妙な花火が上がるだろう。多分、追いつめられた民主党が阿呆なことをしでかすくらいだろう。例の内閣人事案で大恥こいてまだ上塗りという次第になるだろう。嗚呼。
 もう一点朝日新聞社説の「国民審査 ― 制度を生かすには」は最高裁裁判官の国民審査のナンセンスさをテーマにしている。だが、こんなものナンセンスでいいのではないか。マルかバツを付けるということは、基本的に完璧にこいつは許せんというヤツを排除するためのシステムであり、日垣隆がいくらおちょくっても実際のところ、こいつは許せないという事態ではない。最近はとんと赤旗を見る機会がなくなったが、確か赤旗では、毎回きちんと、最高裁裁判官の国民審査のための資料を公開していた。その点はいくら偏向していても立派だ。ネットにはないのだろうか。
 脱力といえば、毎日新聞社説「軽水炉停止 再開は北朝鮮の誠意しだい」はほんと脱力。北朝鮮の代表は国連で「ジャップ」呼ばわりをしているそうだが、夜郎自大ここに極まるな。こんなやつらに「誠意」なんてものはないよ。ただ、誠意があるかのようにシミュレートする外交というのはありうるかもしれない。難しいところだ。メディアでは田中均を吊し挙げているが、なぜ彼は失脚されないのだろうか。きちんとした裏が知りたいと思うがわかるようで、わからない。
 そういえば、二週間くらい前の日本版ニューズウィークが薄気味悪いほど外務省よりだった。なぜだろう。購読者が多いのだろうか。このペラで400円だものな。私は昔から惰性でニューズウィークを読んでいるが今、どのくらいの部数が捌けているだろうか。やたらと早期教育や英才教育の特集が多いところを見ると、その手の層に色目を使わないとやっていけないラインなのだろう。経営も変わったことだし、日本版なんてやめてただの翻訳にすればいいのに。米版ザカリアはたいした玉だと思うし、R・サミュエルソンは現代の賢人だといえる。その他米系の執筆陣も悪くない。デーナ・ルイスが政治に言及するとありがちな外人さんになるが、この人のオタクのセンスはいい。総じて翻訳もいいし、文章もまあいいから、編集者としての藤田正美の采配はいいのだろうが、この人、頭良さそうに見えて、線が細過ぎるよな。意見は小賢しいだけでつまらない。
 日経新聞社説「農業開国と自給率維持の両立を目指せ」は標題どおり。曰くこうだ。

世界一の農産物純輸入国の日本が「農業鎖国」であるはずはない。熱量換算の食料自給率40%は、英国を除けば、ほぼ100%の自給率を達成している主要先進国の中にあって、際立って低い。

 私は頓珍漢なことを言おうと思う。日本は農業の自給率を100%にすることができる。ああ、気が触れたのか、井上ひさしや野坂昭如になっちまったのか。もちろん、冗談に聞こえるだろうが、日本の国土は日本の国民の飢えを満たすだけの米が今でも生産できる。それだけの米を食っていれば、生きていける。栄養不足? 大丈夫だ。タンパク質だって補給できるし、ミネラル類はその他のわずかな農産物で足りる。戦後の飢えの時代を喧伝する老人も多いのだろうが、あれは半分は本当だが半分は嘘だ。戦中ですら、戦後も日本は飢えていなかった。農産物に由来する飢えというのは、江戸時代でもそうだが、マーケットと貨幣経済の問題なのだ。そもそも日本は戦中悲惨だったとかいうが、あの時代をちゃんと調べてみれば、被爆と都市大空襲というジェノサイド的な事態を除けば、国土の大半はのんきなものだった。ここでも問題は都市部なのだ。沖縄戦のようなことは本土では無かった。
 日本はその意味で戦争も飢えも知らない。そして、本気で腹くくれば、日本人はこの島にへばりついて孤立しても生きていける。そこが日本人の原点でいいんじゃないかと思う。日本人っていうのはそういう国民だろう。とま、もちろん、これは冗談であり、暴論だ。心情的な真実をどこまで読み取るかは、ご勝手にどうぞ。

追記(11.7記)
ニューズィークのサイトに以下のお詫びが掲載されていた。


北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 会長
佐藤 勝巳様
 このたびは、弊誌ニューズウィーク日本版10月22日号の記事「『拉致』された北朝鮮報道」におきまして、拉致被害者の方々がマスコミの個別取材にいっさい応じていないにもかかわらず、当編集部の翻訳の不手際により事実とは異なる報道をいたしまして、誠に申し訳ありませんでした。
(中略)
平成15年10月28日
ニューズウィーク日本版
発行人
五百井健至

 それって翻訳の不手際なのか。それと、謝罪は発行人なのか。編集権ってどこにあるのだ?

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