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2003.11.26

[書評]「文明共存の道を求めて」(高山博)

 先日の甲野善紀の講座と同様、これもNHK人間講座だ。昨日で放映は終わった。テキストはよく書けているのでいずれ新書化されるだろうが、この分野に関心のない人にはあまり面白くはないだろう。NHK放映の講座のほうも、講義メモを読み下すという、ありがちな大学の講義風なので、テレビゆえの面白さもない。
 書籍としてみると、標題のように現代社会の文明共存の可能性を歴史に見るといった趣旨ではあるあのだが、視点はよりグローバリゼーションに置かれいる。それゆえ。ハンチントンの「文明の衝突」も意識はされているものの、文脈が違う。個人的な評価から言えば、ハンチントンの見解は浅薄すぎる。
 あまり肯定的な印象を与えないような話から書き出したが、この分野、特にノルマン・シチリア王国に関心を持つものにとってみると、今回の講座の前半はたまらない面白さだった。シチリア王国は歴史が生み出した奇跡のようでもある。表層的に見ても、ラテン、ギリシア、イスラムの文化の美しい調和が見られる。しいていえば、これは広義のイスラムと見てよさそうにも思うのだ。
 シチリア王国の魅力を象徴する人物はフレデリクス2世だ。現代イタリア語読みならフェデリーコ2世、そして近代西洋史にやられている高校生の世界史的に言えば、フリードリヒ2世となるのだが、これじゃプロイセン王フリードリヒ2世とごちゃごちゃになる。NHK「文明の道」第7集「エルサレム 和平・若き皇帝の決断」では高山の協力を仰ぎながらも、フリードリヒ2世、いや、フリードリッヒ2世で通していた。
 話が横にそれるが、こちらの番組、文明の道7集は、なんつうか、よくできてはいるので矛盾してこう言うに憚られるのだが、まぁ、ひどいシロモノでもあった。話は、「十字軍を批判しイスラム文化を受け入れようとした神聖ローマ皇帝フリードリッヒ2世の半生」ということで、武力ではなく交渉によってエルサレムを奪還したのは偉い!というのである。ディレクター岡和子の話がNHKのサイトにあるので引用しよう(参照)。


十字軍の時代、キリスト教の指導者、ローマ教皇は負けても負けても執拗にイスラムに戦いを挑み続けました。片やイスラムの指導者たちは、戦いに明け暮れ、国作りもままならないことに辟易としていました。その時、和平を提案したのがフリードリッヒ2世だったのです。彼の優れていた点は、相手のことをきちんと認めている点にあります。当時の十字軍の兵士はイスラム教のことを何も知らないまま戦っていました。情報がなかったこともありますが、文化も習慣もわかろうともしていませんでした。

 よく言うよと思う。エルサレムが舞台になっているからっつうことで、現代のイスラエルとパレスチナの状況を賢者めかして皮肉っているつもりなのだ。また、ブッシュが9.11のおり「十字軍」ってな阿呆なことを言ったことも皮肉っているのだろう。だが、あのなぁ、歴史ってものはそんな浅薄なものじゃあないよと思う。フレデリクス2世はイスラムを尊重はしたが、シチリア島内で反抗するイスラム教徒など強制移住とかさせているし、ローマとの関係も修復はできなかった。単純に他文化や敵対者を理解すれば、世の中はよくなるのです、ってなわけにはいかない。その点、高山の講義は、抑制が効きながらもところどころ、はっとするような指摘があった。例えば、シチリア王国を考察しそこから文明の共存の条件として(1)人為的になされたこと、(2)強力な権力が存在したこと、(3)人々がそれを欲したこと、としていた。これは何故かテキストにはない。また、最終回でも、国家を越える枠組みについて、さらっとした指摘ではあるが、軍隊の存在を暗示させていた。
 文明の道7集をくさしたとはいえ、確かにフレデリクス2世ほどの叡智が米国にあれば、現代の紛争はと思わずにはいられない。ブッシュではなくゴアが大統領だったら、ちっとはましな世界になったことだろう。だが、そうならないことをフレデリクス2世の叡智に合わせて受け止めることが歴史というものの理解なのだ。中小企業や官僚の人情話をプロジェクトXにするのはいいし、松平定知引退の花道「その時歴史は動いた」も漫談だからいいが、スペシャルでこんな押し付けは話はやめてほしい。
 話を「文明共存の道を求めて」に戻せば、この講座で有名なフレデリクス2世の背景がより重層的にわかるように思えた。特にロゲリウス2世の話は興味深かった。とロゲリウス2世の話は…テキストを読んで貰えばいいか。
 毎度ながら、話がおちゃらけになってしまったが、こう書きながら、ふと悪夢のようなことを思う。フレデリクス2世は教皇権を背景にもっと悪辣に立ち回ることはできなかったのだろうか? やればできたようにも思うが、ある種自分の美学から、そんなことはやりたくもなかったのではないか。空想していくと、足利義政とは違うが、別の意味でフレデリクス2世は美を求めていた不思議な人物にも思えてくる。もともとアイユーブ朝とことを構える気などなかったのではないか。というあたりで、アル・カーミルについてもちと触れておきたいが、このあたりの歴史をもう少し勉強してからにしよう。
 私事だが、10年前だったが、海路でシチリアに渡ろうとしたときちょうど海が荒れていて断念した。いつかシチリア巡りはしてみたいものだ。

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