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2003.11.04

三題話、図書館・地位協定・栄養学

 今朝の新聞社説から気になった点をざらざらと書く。テーマ的には関連の薄い落語の三題話のようなものだ。

 朝日新聞社説「図書館 ― 時代に合わせて変身中」は現状の図書館が時代に適合するべく努力しているという、わずかな例を挙げて作文を書いていた。文章の顛末としてはそれでいいかもしれないが、社会問題として捕らえると数値のほうがわかりやすい。
図書館の数は毎年70館くらいずつ増えてはいるが、まだ10万人に約2館にとどまっている。英国の9館、ドイツの17館などとは大差がある。
 ただし、誰でもわかることだが、日本で館数だけ増やしても無料化貸本屋ができるだけだ。欧米の場合、国よっても違うがどちらかというと小型の公文書館的な役割があるのだろうと思う。いずれにせよ、ようは日本の地方図書館がどのように公共にサービスするのかという点だろう。現状では、生活者なら知っているが、図書館はごくわずかな人々へのサービスにしかなっていない。サービス対象者を増やせというのではなく、ルソーのいう一般意志的なありかたからなにをサービスするかが問われなくてはいけない。端的に言えば、これから市民が官僚をねじ伏せる道具が提供されなくてはならない。

 日経新聞社説「外交・安保で共通の土俵はできたが」はありがちに見えるがよく書けていた。確かに端的には「自民は米、民主は国連」である。だが、日経が些末な事項として追加している以下が決定的に重要だ。
 両党の政権公約をみると、このほかには自民党が防衛庁の「省」昇格、民主党が日米地位協定の改定を掲げているのが目立つ。
 はっきり言う、防衛庁を「省」にしてはいけないし、日米地位協定は改訂しなくてはいけない。そのためだけに、今回の選挙は民主党を支持するというのは、まっとうな日本人の選択である。あえて言う、日米地位協定とは沖縄の問題だ。これまで本土は沖縄に結局のところ金のばらまくことでこの問題に蓋をしてきた。構造的な差別である。同胞の人権すら危ぶまれているのに本土市民は動いていない。沖縄から米軍を撤退せよとまでは言わない。だが、日米地位協定は改訂されなくてはならない。

 産経新聞の「『食』教育 学校で指導すべきことか」は愉快だった。産経らしさが良く出ていた。結論は、「食育は本来、家庭の役割である」と言うのだ。だが、当然のことながら、そんなことは無理だ。実現するべき家庭がないのだ。食を維持するための家庭とは、最低でも4人の構成員が必要だ。3人暮らし以下でしかも生活時間のペースが共有されないのに食をその場で維持するのはシステム的にも無理だ。栄養が問題なら、むしろコンビニでサポートするという逆の発想が必要になるし、現実はそう動きつつある。
 もっと重要なのは、学校に食の指導を導入することで、あの古くさい女たちの栄養学が権力となってしまうことだ。今ですら、日本の栄養学の惨状は目に余る。トランス脂肪酸についての考慮すらないのだ(*1)。なのに日本の栄養学の弊害が社会的に目立たないのは、この点において米国の惨状の実態しか日本からは見えないせいもあるだろう。だが、栄養学の学としては米国はあれで先進国でもある。だから、知識をもって食の選択が可能になる。
 まだはっきりと追及しきれたわけではないが、ラジオ体操同様、日本の栄養学とは軍国主義、というか軍隊主義の名残りなのだ。それが戦後のGHQ下の統制でも、欠乏を避けるために実質延長されてしまった。もうこの手の栄養学は廃棄されてもいいくらいだ。繰り返すが、栄養学とは所詮兵站の一部なのである。臭い肉を食わせるためにカレーライスを作り、外地の水に当たらないように茶を飲ませる。牛乳で下さないようにヨーグルトを推薦したかったのだろうが、それだけの国力がなかった。それでも日本は腸内菌についてはメチニコフ学説の導入が早かったこともあり研究は先行していた。軍への適用は間に合わず、戦後に市場に出てきた。
 読売新聞社説「糖尿病 腹八分と歩く習慣が予防のカギ」という愚劣な論説も、現行の栄養学の弊害そのままでもある。自分も批判対象になることを了解していうのだが、人間の健康維持の学問に素人なやつらはつい既存の「学」の大衆向けの上水を垂れ流すだけだ。その結果が常識に合致するならがいいが、そうでもない。最新の栄養学の知見がないなら、まともな常識で考えたほうがいい。例えば、「糖尿病になるのは栄養が過多だからだ、だから食を減らせばいい、なぜなら栄養過多ではない昔は糖尿病が少なかった」という提言がある。
 常識的に考えて欲しい。端的に言ってなぜ平均寿命が延びたのか。栄養が十分になったというのが最大の要因だろう。20世紀医学の最大の敵だった結核も統計をよく見れば抗生物質の勝利ではなく栄養の勝利であることがわかる。
 「栄養のほどほどのバランス」が良いといった折衷的な意見もあるだろうが、常識的に考えれば、栄養過多というのは栄養が社会に充足することに必然的に内包される事態だ。むしろ、過食や偏食になるシステム的な要因とその要因を支える心理的な問題を社会システム的に解決したほうがいい。
 最新の栄養学の知見からすれば、グルセミックロードが問題だ。砂糖がブドウ糖果糖液に置き換わることによる果糖代謝が脂肪蓄積に関連している点も構造的な問題だろう。
 なにより、これを生活習慣病として個人に責務を追い込む厚労相の詐術に気を付けなくていけない。医学的に見れば、生活習慣病の大半は実は遺伝的な問題なのである。遺伝の問題というのは、個々人がそれを周知して管理しなくてはいけないものなのだ(*2)。

注記
*1:もちろん病人を相手にする管理栄養士には考慮する人もいないではない。例えばここ。しかし及び腰。ちなみに管理栄養士と栄養士は違う。
*2:例えば、糖尿病の人はαリポ酸のようなサプリメントを活用するのもよいと思う。これについてはドイツで成果報告が出ている。サプリメントはなんでも不要か危険かといったレベルではどーしょーもない。

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