イスタンブル・テロの話なのだが…失敗
今朝は毎日新聞を除き各紙社説がトルコのテロを扱っていた。大きな事件だと言えないこともないし、社説向きの事件なのかもしれないが、あえて社説で扱うべきだったのか多少疑問が残る。各紙社説が同日横並びというのも変な感じだ。なにより内容も似たり寄ったりなので、各紙社説とも特に読むべき内容がない。あまりに単細胞なのだ。「テロだ大変だ。トルコのユダヤ教会だ。大変だ」というくらいの話に尾ひれがついたようなものだ。不思議なのだが、各紙ともにトルコについて詳しい人間はいるだろうに、なぜ社説の執筆者はそういう人の話をじっくり聞いて書くということをしないのだろうか。社内にいないのなら、外部に聞いてもいいだろう。今年の日本はトルコ年だった。そんなこともあまり知られていないような気がする。
話は些細なことになるが、アルカイダを「アル・カーイダ」と表記する読売まで含めてイスタンブルを「イスタンブール」というように「ブ」の後に音引きを入れて表記している。表記の問題は所詮決めごとだし、日本の慣例に従うのがいいので、殊更に「間違いだ」などという気はさらさらない。だが、この表記はトルコの原音ではない。原音では音引きなしの「イスタンブル」に近い。逆に「ブール」と音引きを入れる意義と由来がはっきりしない。久保田早紀の歌「異邦人」の影響なのだろうか(庄野真代の「飛んでイスタンブール」でした)。どうでもいいがこの歌もリメークしていのを聞いて驚いた。作家池澤夏樹は昨年イスタンブルに滞在していて、現地から週刊文春の書評なども送っていた。池澤はさすがに「イスタンブル」と表記していた。署名原稿の強みだろうか。さらに些細なことかもしれないが、ギリシアではイスタンブルとは呼ばない。依然、コンスタチノープルである。個人的な話だが、サロニカに滞在していてふと国境沿いの地図を見ていて気が付いた。余所の国の代表都市名がその自国表記ではないのだ。なぜかという理由は余談が過ぎるので割愛するが、ムスタファ・ケマル・パシャ(アタチュルク)が生まれたのもサロニカだ(聖書のテサロニキである)。なお、当たり前過ぎる話だが、トルコの首都はイスタンブルではなく内陸のアンカラだ。なぜアンカラかの話も割愛する。が、こうした話は日本人の基礎教養であるべきだなとも思う。余談のような話が長くなったが、日本のトルコ情報はけっこう音引きイスタンブール的な状況だ。日本の知識人はトルコに関心がないためだろうが、この無関心さは、たぶんヨーロッパのトルコ人差別の影響があるように思われる。知識人の視点が欧米中心すぎるのだ。
今回の自爆テロで、ブッシュは21日「トルコも新たな前線になった」とほざいている。また、毎日新聞ニュースで見かけたのだが現地トルコでは「なぜ同じイスラム教徒がテロの犠牲になったのか」との声もあるそうだ。解説してみたいのだが、どこからどう話していいのかどうも自分が混乱する。前提が膨大過ぎるようにも思えるし、端的に言えないものかも思う。
まず、ブッシュの言明だが、毎度道化回しにして申し訳ないが田中宇的にいうと、このテロのおかげでトルコが米国陣営に着きやすくなったのだから、裏の動きは米国内部にあるのではないか…冗談である。ただ、そういう影響はある。また、トルコはイスラム教国なのだが、イスラム圏の常識でいうと「諸悪の根元はトルコ」なのだ。これが日本ではブラックジョークとして通用しないのだが、いずれにせよトルコはイスラム圏では異質に見られている。トルコの宗派は90%以上がスンニ。クルド人(クルディアン)もスンニと言っていいだろう。イラク北部のクルド人も同じだが、南部はシーア派が多い。人口比ではシーア派のほうが60%を越える。ちなみにフセインはスンニだが、イランはシーア派。というか、シーア派とはイランだといってもいいくらいだ。イランのシーア派は革命の中心でもあり、日本人の原理主義のイメージに近い。だが、トルコも民衆も90年代以降イスラム原理主義に傾いているが、この原理主義はシーア派のそれとはかなり違う。むしろ、宗教による互助会的な運動だ。いいことじゃないかとすら思えるのだが、トルコという国の中枢はケマル以降の歴史を引きずって未だに軍部が幅をきかしているし、基本的に同様にケマルの伝統から脱宗教的な建前をもっている。エリート達は実に欧米的だし、これは言うにはばかられるのだが、ツラを見てもわかるのだ。
トルコを難しくしているのは、これにさらにクルド人問題が絡むからだ。日本の知識人はどうもなんとなくクルド人びいきなのだが、この問題は複雑怪奇になっている。どう手を付けていいのかわからない。ザザ人など端から無視される。なにより、イスタンブルの生活をかいま見れば、通常言われている以上にクルディアンが住み着いていることに気が付くはずだ。それはもう中国の盲流のようなものにも近い。統計が存在していないのだが、クルディアンの大半は実はトルコの都市部に生息しているのではないだろうか。また、イラク北部のクルディアンともすでに歴史が離れすぎて同一民族だといっても修復不可能な事態になっている。これはどう見ても、クルド人問題はクルドを突出させるよりも、トルコの民主化・近代化のながれで解消するしかないだろう。
嗚呼。ちょっとここで書くの止める。全然まとまっていない。難しすぎるのだ。イスタンブルの旧市街の構造なども触れたほうがいいか、まさか…。なんだか偉そうな言い方になるが、この件についての欧米の言論や日本の知識人のコメントがまるでトンチキなことが多いのだ、どうも一筋縄ではいかない。
めちゃくちゃついでに最後の余談だが、いつもくさしてごめんよの田中宇だが「イラク日記(5)シーア派の聖地」(参照)のなかのシーア派の考察はなかなかいい。彼が考え至ったのだろうか、なにかも孫引きかわからないが、シーア派分派についてはさておき、以下の指摘は基本的にいい。
ややこしい教義の話から書き出してしまい恐縮だが、私はこの日、カズミヤ廟モスクを訪れたことがきっかけで「シーア派とは何か」ということをしばらく考え続けることになった。
私なりの答えは「シーア派の中心は、古代以来の信仰を持っていたメソポタミア文明やペルシャ帝国の人々で、彼らがイスラム教に集団改宗する過程で、昔からの宗教の教義や哲学をイスラム教の枠内で再解釈しなければならなくなり、もともとのアラビア半島のイスラム教(スンニ派)とは違う分派となった」というものだ。シーア派が多いのはイラクのほか、イラン、アゼルバイジャンなどで、いずれもイスラム教が発祥する前にメソポタミアを支配していたペルシャ帝国の諸王朝の領土だった。
もっとも、田中宇が田中宇的な文体で言うまでもなく、そんなことは、新藤悦子の「チャドルの下から見たホメイニの国」を読めばわかることでもある。ま、読んでないのかも。とリンクを張ろうして気が付いた、これ絶版だよ! 文庫になってないのか。おーい、新潮、復刻しろ。
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