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2003.11.20

トラジ、トラジ

 今週の日本版ニューズウィーク11.26のカバーは「コリアンジャパニーズ」。リードは「自然体で生きる『ニュー在日』が日本をもっとヒップにする」とある。少し期待したのだが、内容はあまり面白くなかった。この手の韓国ネタは、海外移住話と同じでニューズウィーク日本版が毎年行う吉例ネタのようだ。ルーティーンでしかたなくやっているだけの企画なのだろう。
 へぇ~ボタンを叩くような話はなにもない。が、読みながら、大筋で現在、帰化という意味合いがだいぶ変わってきたのだろうとは思う。言語や国という縛りを大げさに考えなければ、「在日」は現代日本の文化的なヴァーサティリティの一つになっていく。ヴァーサティリティって言い方はないか。
 誰が読むとわからないブログを書き続けていると、どうしても文章というものは自分の内面に向くので、あまり禁欲的にはいかなくなるのだが、在日朝鮮人のことを思いながら、では自分の文化背景はどうなのかと思った。私はという人間は、長野県の文化と沖縄の文化に強烈に影響を受けているのだが、それに加えて、父から朝鮮の文化の影響も受けてきたようだ。亡き父と自分を重ね合わせて考えられるほどの歳になってみると、彼が10歳から20歳まで過ごした朝鮮の文化は不思議と自分のなかに伝えられていることに気がつく。父は五木寛之より歳上だが同じく「引き揚げ者」だった。この言葉もおそらくセンター試験以降の世代には死語になっているだろう。現代風に言えば、彼は朝鮮文化のなかで育った帰国子女だった。私は父とそれほど話をした記憶はないし、その性格や行動のパタンは私とは違うのだが、茶碗(抹茶茶碗)の好みなど高麗や李朝ばかりだ。自分の美観はなぜかそこに行き着く。
 私という人間は受動的に長野県、沖縄、朝鮮に機縁を持たされてきた。と書きながら、「長野県」をある種のエスニシティの扱いにするのは奇妙な印象を与えるかもしれない。もちろん大阪や四国、九州や東北、こうした地方都市や地方に独特の文化性があり、「長野県」もそうした類例の一つに過ぎないということは頭ではわかる。だが実感としては「長野県」の文化は、この歳になってみると、なんとも日本のようで日本ではない不思議なカルチャーだと思えてくる。そういう思いを客観めかして主張したいという意図はさらさらない。ただ自分の実感を極言すれば、長野県、つまり信濃の国は日本の文化から離れている。沖縄も日本ではないと思うが、海のない県と海に囲まれた県に日本文化から離れる類似性もある。なぜかどちらも長寿県だなとも「うちあたい(内心納得)」する。そうした奇妙な思いをうまく表現できる自信もないのだが、ちょっと書いておきたい気がする話がある。トラジだ。
 前振り話ばかりが長くなってしまったが、そんなことを思ったのは最近トラジを買ったせいだ。コチュジャン漬けである(そういえば、私は刺身にコチュジャンを漬けて食べることも多い)。たまたま国立の紀ノ国屋に寄った際、キムチの試食を薦められた。瓶詰めものほどひどい味でもないが、それほど美味しくはない。どうでもいいキムチだなと思ったとき、ふとチャンジャに気が付いた。そういえば、最近見かけなかった。いつの間にか自分の行動パタンが変わっていきてる。歌舞伎町のハレルヤ食堂で飯をかっくらっていた自分はどこに行ってしまったのだろうか。紀ノ国屋のチャンジャの味はそれほどでもないだが、衝動買いした。チャンジャについてはここではこれ以上書かないが、チャンジャを食いながら何か心にひっかかる。トラジだ。トラジはどこで売っている? 売ってないわけはあるまいと思ったが、歌舞伎町に行くより、ネットで注文した。
 日本版ニューズウィーク11.26の「食文化 焼肉を発明した在日のソウル 1世が生み出し、3世が発展させた焼肉カルチャー」にはトラジの名前が唐突に出てくる。恵比寿の焼き肉屋の名前らしい。読んでいて、あれ?という感じがした。「トラジ」はなんの陰影もなく店舗名として書かれていたからだ。トラジといったら、その独特の響きを文章に織り込むべきじゃないのかと思った。しかし今回のカバーストーリーは書き飛ばしなのだろう。焼き肉は「食道園」が発祥であるかように曖昧に書いてあるのだが、清香園ではなかったか。
 「トラジ」と聞いてセンター試験以降の世代になにか響くものはあるだろうか。在日朝鮮人ならわかると思うが、若い二世、三世になるとキムチも食べなくなるというから、わからないこともあるかもしれない。在日朝鮮人や韓国人がキムチを食べる量が減っているとも聞く。不思議でもない。日本人など味噌汁の味噌の味すら忘れているのだから。
 トラジは桔梗のことだ。私が育った家の庭には、他の家と違って、信州の鬼百合と桔梗があった。桔梗はあの美しい花を咲かせるのに、子供の私はいたずらでその淡い色の蕾をぶしゅっとつぶしたものだ。
 トラジは民謡の題から桔梗の花を指すと言っていいのだが、私がネットで買ったのはその根だ。トラジはあく抜きによって風味が違うのだが、どれもコリっとした独自の食感があって面白い。ナムルに入れることもあるが、最近トラジ入りのナムルっていうのは見かけない。
 ネットで取り寄せたトラジをつまみながら、父を思い起こす。野山が恵む味だ。そういえば、小学生のころ父とトトキを取りに行ったことがあった。トトキは茎を折れば白い汁がでるのだと父は言った。あの時、結局トトキは見つからなかった。トトキとはどんなものだったのだろう? トラジと似たようなものだろうか。
 ぐぐってみると、興味深い話があった。滋賀県立大学鄭大聲教授のエッセイ「朝鮮の食を科学する〈20〉―山でうまいものはトドック」だ(参照)。


 日本に住む朝鮮人の中で、とりわけ1世が、故郷をなつかしみながら好んで食べる山菜にトドック(希幾=ツルニンジン)がある。
 日本人の食生活とはかかわり合いがないので、2世、3世になれば、その名前も知らない人が多い。しかし、これもトラジと同様、朝鮮の山野に多く分布し、古くから食用とされて来たし、日本にも多く自生しているので、自然から求めるという点では、トラジよりはるかにたやすい。

 そして、次の話で驚いた。

 トラジと同じ桔梗科に属する植物で、しかもよく似た草根でありながら、一方でトラジが朝鮮でも日本でも食されるのに対し、食味からいえばむしろはるかに美味なこのトドックを食べる風習がなぜか日本にはない。
 ただ信州地方に行くとトドキと呼ぶ食べ物がある。語呂から考えるとトドックの訛ったものと考えても決しておかしくない。最初このことに筆者が気づいた時には、朝鮮語のトドックをそのまま発音したものではないかとすら思った。なぜならこの食べ物がトドックと非常によく似ているからである。

 鄭教授はトドキと書かれているが、他にぐぐってみると、自分の記憶のままトトキで良さそうだ。それにしても、トトキを食べる風習は朝鮮のトドックに関連しているのだろうか。父は朝鮮でトドックを食べていたのだろうか、それとも信州の伝統食として知っていたのだろうか。死んだ父は答えてくれないのだが、父の日本人ずれした感じからすれば、朝鮮で食べていたようにも思う。
 連想ゲームのようだが、信州では蚕の繭も食べる。ポンテギと同じじゃないかと思う。偶然なのだろうか。古代史をひもとけば、天武天皇に纏わる伝説が信州に多く、あの時代の渡来人文化が信州と関係があったのかもしれない。
 食べるほうのトラジは桔梗の根だが、これは漢方薬でもある。サムゲタンに朝鮮人参を入れるように医食同源の発想によるものだ。
 桔梗根は喘息にもよい。父も祖父も老年になって喘息に悩まされたが、トラジを食べていたらよかったのかもしれない。祖父は龍角散をよく舐めていたが、この和薬はキキョウとニンジンを配合したものだ。ニンジンはたぶん竹節人参だろう。だが、最近、龍角散の処方を見るとニンジンは含まれていない。私の記憶違いだろうか。

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コメント

・・・確かに、長野はおかしい。蓮実重彦大先生も書かれておられたが、「ここが日本の中心、何故なら地理的にそうだから」と、思い込んでいるところがまずおかしい。第二に、蕎麦しかまともな喰い物がないところがおかしい。第三に、冬炬燵でひたすら議論ばかりしているところが、とてもおかしい。・・・雪国なら、全部そうかと言うとそうではないだろう。
かく言う私も、母方がまごうかた無き長野の出身です。あそこ、外国だよね。ついでに言うと、田中康夫元知事が、「松本にはササイ(注・ものすっごく小さい輸入食料品店)にしか「食文化」がない」とかどこかで嘆いておられました。本当なんだよね。「人はパンのみにて生きるにあらず」って長野人の事だろうか。

投稿: ジュリア | 2009.12.27 11:58

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