« 在韓米軍基地移転の裏が読めない | トップページ | トラジ、トラジ »

2003.11.20

視聴率が問題なのではない。ザッピングが問題なのだ。

 日本テレビのプロデューサーによる視聴率操作問題を日経新聞社説を除いて各紙が扱っていたが、どうもピンとこない。以前も書いたが、そんなことがどうして問題になるのか皆目わからない。朝日新聞社説は「日テレ事件 ― 感覚がずれている」でこう言う。


テレビ局って感覚がずれてるなあ。日本テレビのプロデューサーが視聴率を買収した事件のその後を見て、そう思う。

 おい、感覚がずれているのはおまえさんだよ、とつっこみを入れてしまった。こんなことも書いている。

 くだらない番組が増えた。テレビの常識は世間の非常識。そんな批判に素直に耳を傾け、普通の感覚を取り戻すことだ。視聴者の目は厳しい。
 視聴率だけに縛られずに良い番組を作ろう。そんなかけ声で制作現場を元気づけ、広告主の支持もとりつける。日本テレビは、その先頭に立ってほしい

 「番組」を「社説」に、「テレビ」を「新聞」に、「視聴率」を「時代遅れの社会正義」に書き換えて、最後に「日本テレビ」を「朝日新聞」に書き換えたいなと思う。読売新聞なら、「視聴率」を「発行部数」にすればいい。
 それにしても、なぜ新聞はこれほどこの問題にご執心なのだろうか。そして、その論評はどれもほとんど変わりない。どれも判を押したように視聴率が問題だというのだが、そうなのだろうか。毎日新聞社説は少しひねってこう言う。

 視聴率以外の有効な質的評価基準を確立するのは、一テレビ局の取り組みだけでは不可能である。CM取引の尺度としては視聴率以外に客観性をそなえた基準がない現状で、新たな別の尺度を意味のあるものとするには民放界全体の取り組みが欠かせない。それは民放の新たなビジネスモデルの模索をも意味する。

 後半がおちゃらけているが、要するに、やっぱ視聴率以外の手はないじゃんということになる。そして、この手の議論はNHKって存在価値があるという補強にしかならない。そういえば、「あすを読む」でもこの問題を扱っていたが、新聞社説よりは面白かった。単に視聴率至上主義で片づけるのではなく、テレビ視聴率変遷を背景に捕らえていた。知らないことがいくつもあった。
 ひとつは、70年代はTBS、80年代はフジテレビ、90年代は日テレなのだ。グラフがあった。ほほぉと思った。テレ朝とテレ東か下位を粛々と進めていた。ふと、だからテレ東でイチバチの平成仮面ライダーができたのかとも思ったが、そのグラフを見ながら、自分がかつてテレビを見ていた時代の感覚にあっているとも思った。
 二つ目は、ザッピングを扱っていた。ぼんやりと聞いてたのだが、ザッピングの統計を見てはっとした。ザッピング(zapping)だが、元になるzapの意味はちょっと古い辞書には載っていない。心配になってgooの辞書を見たがあった。「素早く動く; リモコンでチャンネルをかえる, ビデオのコマーシャルを早送りする」とある。後半のほうの意味は「あすを読む」では触れていなかったし、今回の日テレ事件でも私が見た範囲では誰も話題にすらしていなかった。まるでタブーであるかのようだ。だが、コマーシャルカットは重要だと思う。話を戻して、「あすを読む」ではザッピングによって番組の固定的な視聴率が得られなくなったというグラフを表していた。テレビをじっと見ていないのである。そういえば、私が子供のころは、テレビのチャンネル回すなぁとか、兄弟でチャンネル争いということがあった。いつからかなくなった。ようするに、テレビリモコンがここまで日常生活を変えていのだ。ちょっと感動すらした。私も若干技術に関わるものなので自戒するが、技術に関わる人間は、新三種の神器みたいないつも最先端の技術に関心を奪われがちなのだが、実際に大衆の行動様式を決定的に変える技術とは、テレビリモコンだったりするのだ。
 三つ目はザッピングによって、番組制作がマーケティング主導になったようだ。いわゆる番組マーケティングだ。番組中の視聴率が分析できるので、どこが面白いということがわかる。そこで、ウケ部分が制作側にフィードバックされるのである。おかげで、番組の時間帯が奇妙に前シフトという事態にもなる。ちなみに、これも日テレが始めたこと。
 「あすを読む」では10分枠ながら他にも興味深い指摘があったが、こうして書きながら考察してみると、今回の日テレ事件のキーワードは「視聴率」ではなくて、「ザッピング」なのだ思い至った。私が念頭にあるのは、インターネットだ。ネットもまた、ザッピング文化なのだ。ヤコブ・ニールセンが情報採餌理論とか提唱しているのと関連しているかもしれないが、ネット閲覧の行動パターンはまさにザッピングだ。
 もう少し踏み込むと、ブログというのはザッピング用にできているのだ。
 そう考えると、極東ブログなど、ブログじゃねーな。ザップして、うへぇっていう印象を与えるからな。とま、つい自嘲なオチになるのは慎もう。現代人とザッピングの問題はけっこう根深い。宮台真司は経済学用語をぱくって恋愛に過剰流動性なんていうけど、流動性じゃない、ザッピングなのだ。人間の関係が情報化されたことで、ザッピングの対象となっているのだし、「出会い系」ってなものは、人間のザッピングのためのリモコンなのだ。

|

« 在韓米軍基地移転の裏が読めない | トップページ | トラジ、トラジ »

「ネット」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 視聴率が問題なのではない。ザッピングが問題なのだ。:

» Zap! Zap! Zap!なFuture Shock/「あわせて読みたい」 [極私的脳戸/日々の与太]
「あわせて読みたい」というブログパーツを導入してみた。右の画像がそれ。サイドバーの下のほうにも同じ画像が置いてある。このエントリ以外では、そちらを利用していただくことになる。「あわせて読みた... [続きを読む]

受信: 2007.06.17 15:43

« 在韓米軍基地移転の裏が読めない | トップページ | トラジ、トラジ »