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2003.11.18

再考・はてな村とくるみの木 リターンズ

 自堕落な私ではあるが、この手の話題は実は避けてきた。でも。ま、事はほぼ歴史の領域に移管されたと見ていいので、歴史家のはしくれで私としては、そのことをここに記そうと思う。っていうのは嘘です。私は歴史家じゃないです。
 話は端的なところ、hirokiazuma.com@はてなの顛末。のっけから余談だが、この日記の存在を知ったのは、はてなのMAP機能によってだ。はてなは、この日記と極東ブログの関係が深いというのだ。私はそうとは思えないんけどね。ことは、先日の大月隆寛のくさしエッセイにも出てきた東浩紀のはてな日記が、17日をもって停止となった(業界人なので敬称は省略)という話。停止の理由は、元ネタを見てもらえばわかると言いたいところだが、滅菌済み、もはや現場の状況はわからんのだ。
 私が理解する限り、当面のことの次第はこうだ。11月12日に東が「『少年深夜外出』に親への罰則規定、横浜市が提案へ」というネタを振ったところ。はてなが真似ているところのtDiaryのつっこみ機能で、みなさん、つっこむべし!つっこむべし!つっこむべし!ということになり、2ちゃんねる化してしまったのだ。祭りだ。
 ネタは、横浜市が少年深夜外出に対して親への罰則規定提案をするってんだけどそれってひどいんじゃないですかってな振り。虻がよってきそうな蜜の味だ。つい、俺っちもちっと言いたいじゃないですか、ってな気持ちにさせる。そして、率直に言えば、俺っちだってゆーめー人とタメはりたいじゃないですかってな思いも、うふふふだろう。とばっくれて書いたものの、このブログでも過去にこっそりビニールに包んでうんこ投げたのできれい事は言えない…さておき、ま、そんなところで、祭りに収拾が付かなくなる。
 で、16日「告知」(←ちょっとこの言葉のセンスはスゴイと思う)で、つっこみことコメント機能をはてなユーザーに限定。さらに17日に停止とあいなる。以下は、引用しておこう。


はてなユーザだけの書き込みに制限したのですが、面倒は続きそうです。まあ、それはそれで適当にさばいていけば何とかなるのですが、コメント欄でも指摘されたようにはてなユーザ限定の日記というのは僕が普段言っていることと矛盾する気がするし、、、、というか、さらに正確には、そんな非難もどうでもよくて、単にそういうツッコミにいちいち反応して、コメント欄をチェックしなければならない自分にウンザリしてきたので、昨日の今日の方針転換ですが、この日記への書き込みはしばらく停止します。同時にコメント欄も閉鎖します。以前のコメント欄が見れなくなるのは残念ですが、これははてなの仕様なので仕方ありません。

 ここで遠隔からうんこ投げのようなつっこみを入れるってのなぁと思うので、それは避けておく。うんこが自分に跳ね返ってくる部分もあるしね。例えば「僕が普段言っていることと矛盾する」というのは実名で書くと、そーなるよね、である。
 ただ、このブログでわざわざと取り上げたのは、「同時にコメント欄も閉鎖します。以前のコメント欄が見れなくなるのは残念ですが、これははてなの仕様なので仕方ありません。」は、そうなのかなと思う。確かに、コメント欄を放置すれば、祭りは宇宙のエントロピーが最大値になるまで続くだろうというのはわからないでもない。いずれにせよ結果的に他者の言葉はあっさりと殺戮された。こういう言い方は誤解を招きやすいのだが「人の書いたことを許可なく消すのは許せん」っていうのじゃない。それは、一種、編集権の問題だろうと思うしね。そうじゃなくて、他者の言葉への恐れのようなものについての一種の感慨だ(*1)。
 別の言い方をすると、書くという行為は自己を疎外する。外化するわけだ。それは自分自身でもコピーでもない。一種の現象だとも言える。そして、この手の祭りも同じ現象なのではないか。そういう現象の生成運動に対して、「自分」という特権をするりと出してくるという感性に、私はとても違和感を持つ。「バカは相手にしない」という問題とは別にしてだね。
 と書いても、こういう私の見解はあまり理解されないだろうし、まして、同じ問題が今日自分のブログに降りかかってこないとも限らない。具体的に、このブログで祭りが始まったらどうするのか? できるだけ自分の顔にきちんとぶち当たったうんこはぬぐわないようにしよう、そして道に落ちたうんこはぬぐおう、つまり、編集しようかなと思う。自分を守るのは極力止めようとは思う。が、祭りになっちまうとそうもいかないだろう。とりあえず、つっこみははてなユーザーに限定というあたりか。実際問題としては、今回のケースは著名人ブログ対無名人という構図はあるし、旧メディア対ブログという構図もないとは言えない。
 さて、と、もう一つ気になることがある。ブログというものをどう捕らえるかだ。もう一箇所、16日のhirokiazuma.com@はてなから引用する。

読者のみなさんも何となく気づいていたと思いますが、実はこの数週間、僕は日記の方針を変えていました。モスコミューンとか文学フリマとか、仲間内のネタ(当然自覚はありましたよ、そりゃ)を回しているあいだは居心地がよかったこの日記ですが、さて、内容が政治的になったり理論的になったりするとどうなるものなのか、いくつか観測気球を飛ばしてみたのです。結果として、込み入った議論には向かないし、荒れるときは荒れるという欠点が分かったので、今後の方向性をしばらく考えてみます。基本的にははてなで続けるつもりですが、別のシステムでも実験してみるべきかもしれません。結局MTを採用するような予感もします(笑)。

 私は何を気にしているか? tDiaryとMTって機能的にそんな差はないっすよ。PerlとRubyのくらいです、ってな技術系の話はHTMLの理解すら苦手そうな東に突っ込むのはどうかと思うが、それでも「込み入った議論には向かないし、荒れるときは荒れるという欠点が分かった」という点は、そうなんだろうかね。単純に否定しているわけではないし、否定はできないというのがむしろ前提だろう。気にしているのは「理論的」は私にはどうでもいいことだが、「政治的」な発言についだ。それがはてなに向かない、という結論は、私は当面否定したいなと思う。と、ガラにもない話題を書いたのは、政治的な発言に向かないという言葉は、汎用的に結果的におそらく私にも投げかけられているのだから、それに答えておこうと思った次第だ。私たち市民はこの日本の社会を変えて行かなくならない。その方策は言葉にしかない。その言葉の可能性はとりあえず、愚直に探求されてもいいものだろう。
 再度、顧みて思うのは、極東ブログの著者は匿名だし、無名だということの要因は大きい。課題となるなら、書かれたもの、書かれた現象、ということをどう捕らえるかになるだろう。我ながらつまんない話だな。でも、横浜市が少年深夜外出に対して親への罰則規定するってな話題は私にはつまらない。ま、そういう話題の棲み分けっつうことだけかもしれない。

注記
*1:追記11.29:既存のコメントに限ってはダウンロードでき、まったく消されたわけではないので、この指摘はあまり正確ではなかったかと思う。

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