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2003.11.16

[書評]「古の武術」に学ぶ(甲野善紀)

[歴史]「『古の武術』に学ぶ」(甲野善紀)
 まず、今朝の動向。新聞各紙では、今朝になって昨日のブログに書いた市町村合併の話題が日経と産経に見られた。日経は反対意見、産経は賛成。この件については自分の視点から贔屓するわけではないが、産経のほうがまとも。日経は例外をもって議論を進めるなど論理自体破綻している。他、GDP統計の話題はお茶を濁す程度。読売が米国牽引の回復に安住するなと井高にこいているが内容はない。あるわけもない。FTAがお先真っ暗な日本に貿易の活路はなくなっていく。国内需要については問題が錯綜してはいるが、少子化と地方の問題という大枠の構造を視野に入れない限り、新三種の神器といった阿呆な話になる。

 さて、今朝の話題もないので、書評を増やす、と思ったのだが、書評にもならないので、分類は歴史とする。
 「『古の武術』に学ぶ」はまだ正式には書籍化されていない。標題は今NHKでやっている人間講座だ(*1)。テキストはありがちなぺらっとした装丁で販売されている。いずれどっかの出版社から出るだろう。が、書籍としてはあまり面白くないだろう。面白いのは、実際の立ち回りである。とま、それが結論なのだが、その前に簡単に甲野善紀を紹介しておく必要があるか。けっこう有名人なのだが日垣隆も知らなかったみたいだ。はてなではキーワードにもなっているようだが、武術稽古研究会松聲館の主催者とあり、情報が古い(*2)。
 甲野善紀は1949年生れの武術家なのだが、「武術家」ってなんだという疑問はつきまとう。武術の研究家というほうがいいだろう。彼はそこから率直なところ珍妙な理論を作り出すが、そのわりに桑田真澄や末續慎吾(*3)の指導をしても、ちゃんと成果を出す。だもんでその理論はスゴイと思う若者が多いのだが、私はこれは理論ではなく、甲野の特異な人格の影響だ思う。
 甲野善紀については、「自分の頭と身体で考える」(養老孟司共著、PHP研究所)や「古武術に学ぶ身体操法」(岩波書店)など、物書きの世界でも有名だ。先の日垣隆も文藝春秋の記事で知ったようだ。で、私の印象なのだが、胡麻臭ぇなこのオヤジだった。この手のヤカラはいっぱい昔いたもんだよと思っていた。本物かどうかは身のこなしを見ればわかる、と思って、NHKの講座を見た。
 見て、まいりましたね。こりゃ本物だね。なにが本物だと思ったかというと、たぶん、多くの人の視点とは違うと思うのだが、本当の殺人剣を秘めていたからだ。NHKの映像だとちょっとそのあたりぼかしているけど、こりゃすげえ、です。ちゃんと人が殺せる人だなと了解。人殺しの風貌もある。そしてその上で、人を殺さない武道というふうに武道を捕らえている点では、ある意味画期的だ。
 だが、悪く言えば、この人の古武道の理解は完全に間違っているのである。じゃ、テメーの正しい古武道の理解とやらはなにか訊かせてもらおうじゃないか、となるだろう。聞かせてあげよう。本当の古武道とは卑怯の道である。およそ武術も戦術も卑怯の極みでなくてはいけない。日本の武道が孫子かと言われそうだが、兵とは詭道なり、である。


故に、能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示し、近くともこれに遠きを示し、遠くともこれに近きを示し、利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれに備え、強にしてこれを避け、怒にしてこれを撓し、卑にしてこれを驕らせ、佚にしてこれを労し、親にしてこれを離す。其の無備を攻め、その不意に出ず。此れ兵家の勝にして、先きには伝うべからざるなり。

 武道というのは、まさかこんな立派なおかたが、という人がいきなりうんこを投げるのである。どうもこの手のギャグに最近嵌っているが、いずれにせよ、詭道とは卑怯の限りを尽くすことだ。
 実際私もまた甲野のように古武道の原点に関心をもって自分の感性で調べていったらそんなものだったのだ。基本は、身をかがめて足狙い。それと金玉蹴り。生きるか死ぬかっていうのは、ようするに勝ちゃいいのだ。卑怯こそ最大の戦略。そういうものが本来の武術なのである。甲野の滅菌した古武道は、そういう観点で見ると、おおっそれって卑怯な手ですなぁ、が隠れていている点は喜ばしい。
 卑怯こそ武道の原点だ。で、それからちと矛盾に陥る。武道というのは武家から出るわけだが、武家というのは一種暴力団だ(*4)。当然、組長には風格がなくてはいけない。中世までの武家はそういう暴力団と同じなので、その棟梁にはある種風格が求められてしまう。「われこそは八幡太郎なんたら…」と叫んで戦うのだから、あまり卑怯な真似はおおっぴらにはできない。それに加えて、日頃でもやくざどもを束ねる訓練ってなものもあるので、なんとなくすがすがしい武士道のようなものができる。なお、武道にはあともう一点は海賊があるのだが、これはまたの機会としよう。
 だがだ。甲野善紀も武者修行に言及しているが、いわゆる古武術になると、一人技になる。じゃ、卑怯の極みに戻るかというと、そうじゃない。このあたりだいぶ誤解があるようだが、いわゆる古武術の武道家というのは、市場の演芸人である。大道芸人なのである。宮本武蔵などいかにも武道の達人とか言われているが、大嘘である。あれも芸人。もちろん、命をかけての芸人だ。実際の戦闘には役にもたたない。NHKの講座では、手裏剣の話もよかったが、この卑怯な武具の投げ芸を、甲野はくったくなく楽しそうにやっていた。しかも彼の手裏剣のお師匠さんの話もよかった。芸は一代限りというのがよくわかる。
 考えてもみよ、壬申の乱から源平合戦、そして武田軍団までは基本的な戦闘は騎馬戦なのである(歩兵や海戦もあるがここでは論じない)。そして騎馬戦からすぐに時代は鉄砲に移行するのだ。刀なんか振り回している武士なんてものは歴史上存在しない(*5)。「葉隠」の正しい武士にとって実質の戦力は鉄砲である。最高の武士文学、隆慶一郎著「死ぬことと見つけたり」を読めばわかる。
 話がめちゃくちゃ。なので話を進めて古武術の現代的意義なのだが私はこれは、近代武術と対比でみるのではなく、それ自体で歴史的な終焉を迎えたと考えている。そして、いわゆる芸としての古武術を終わらせたのは、柳生石舟斎だと考える。この石舟斎最大の卑怯技が無刀取りだ。これをもって古武術は終わった。刀、つまり武具を無化するとこで古武術は完成し、終了した。無刀取りは時代劇などでは滑稽な真剣白刃取りとして描かれ、あんなのあるわけねーじゃんと思っていたが、甲野善紀を見ていると、ありうるかもしれないな、と思うようになった。現状の柳生にはもはやこの技は伝承されていないだろう。
 その他、芸事ではない体系的な組織的な古武術についてだが、恐らく最強の武術は示現流だと私は思う。現代では多くの人が本物の刀を持ったことがないので理解できないのだろうが、あのだな、刀というのは全部鉄で出来ているのである。竹刀や木刀ではないのだ。あの鉄の塊をぶん回すのは芸人でしかできない。そして芸は所詮組織的な殺戮には使えない。となると、歩兵が勝つための刀の正しい用法は、一刀に下す以外はありえない。そう考えると、示現流ほど合理的な剣道はない。

 示現流兵法心得


  1. 刀は抜くべからざるもの
  2. 一の太刀を疑わず、二の太刀は負け
  3. 刀は敵を破るものにして、自己の防具に非ず
  4. 人に隠れて稽古に励むこと

 示現流は完璧だ。甲野はNHKの講座で刀を鞘に収める所作の解説をしていたが、刀というものは抜いたら終わりだ。あとは相手を一刀で殺すだけ。疑ってはならない。足を切り込まれても、一刀にざくと相手の肩の骨を折ればいいのである。まして、刀で防戦などする手間はない。一刀の技はただ鍛錬あるのみ(*6)。
 余談だが。レスリングやK-1など私はまるで関心ない私だが、戦いというのもには血が騒ぐ。その感性でいうと、K-1などはでくの棒だ。実際の戦闘では強いとは思わない。じゃ、最強の武術ってなんだろうと思ったことがあった。私の結論はこうだ。多分ボクシングだ。まさか? ボクシングというと殴ることに関心が向くが、最大の利点はフットワークだ。あの足で間合いを詰められたら、飛び道具以外では勝てっこない。やくざがボクシングを重視するのは実践のせいだ。
 ボクシングより強い武術があるすれば、映像でしか見たことないし、その武術の名前は忘れたがインドの武術だった。ヨガと関係あるのかわからないが、腰巻きだけの裸の男が人間とも思えない動きをして飛ぶは蹴るは、立っていたかと見えたらすとんと180度開脚して沈むと思うやバク転するのだ。あれに刃物が付くのかと思ったら、ほんと恐怖した。あれには勝てない。あの技はもともと異教徒を殺すためのものらしい。パキスタンあたりに今でも伝承されているのではないか。そんなのお二人も従えていたら、ビンラーディンもけっこう心強いだろう。

注記
*1:(参照
*2:武術稽古研究会は先月をもって解散した。
*3:高野進コーチは甲野善紀のなんば歩きに影響を受けているようだが、直接甲野が末續を指導したということはなく、誤解を招くので削除とした。
*4:中世以降の武家は恐らく台湾の首狩りの部族と関連があるだろう。
*5:海戦では振り回すのである。
*6:と、書きながら、なぜ示現流では人に隠れて稽古するのか、突然わかった。うかつだった、そうなのだ、人に隠れてするっきゃないような稽古をするからなのだ。

[コメント]
# sayoukann 『カラリパヤットじゃないですか?>インドの武術』
# finalvent 『あ、それみたいですね。どうもです。ぐぐってみると、けっこう情報がありますね。』

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コメント

示現流? あんなのザコザコ。示現流の集団が新撰組と戦って勝てるわけねーし。一刀目を外されたら終わりだろーがあんなもんはよ。それにどーがんばっても三人は斬れねーし。剣術は、乱戦において一人あたり三、四人斬れてナンボなんだよ。ボクサーが強い? K-1に殴りこみかけて全敗したのにか? 武術ってのは、武器術と徒手空拳の技術が結びついた総合的な殺人術だ。歴史上、武器を持たないことを前提とする格闘技が武術と呼ばれたことなんて一度もないぜ。現代における最強の武術は、特殊部隊の殺人術をおいて他にないだろーよ。
甲野なんて、ただの手品師だな。経験則からタネを考え出す努力だけは認める。だが実戦は乱雑な状況の連続だ。道場で弟子相手に技かけて自己満足してるあんなジジイは、喧嘩馴れしたヤクザには到底かなわないだろう。古武術の動きがスポーツに応用できるだのとほざいてるが、ヒクソン・グレイシーやマイケル・ジョーダンの動きが古武術で説明できるとか言って古武術の凄さをアピールするのは論外。彼らは別に古武術を参考にしたわけでもなんでもなく、自分の工夫でそうした動きを編み出しただけであって、古武術はなんの関係も無い。全く関係ないものにこじつけて自己満足的なアピールをするのは、カルトの特徴だ。彼は古武術の品位を恐ろしく下げている。

投稿: おん;jん: | 2004.12.22 21:58

そんなことはない。先祖代々が例の武士でなく自身も件の武術、武道の世界に長くいない人には解らんでしょうが、その喧嘩なれしたヤクザが刃物で突いてくるのを簡単に投げ飛ばす競技剣道家もいる。僕は簡単な素手の勝負でだが例の特殊部隊に行ってた人に勝ったことがあるが体術より得意な剣術ではその剣道家に勝てなかった。その剣道家先生にその甲野氏のビデオを見せると、うまいね。勝てないかも。だそうだ。
ひとによる。なんだってそうだろう。僕はサッカーが微塵も解らんが、電車内で態度のデカイ弱小無名高校サッカー部員が卒業後就職しサッカーを離れ、ある種の熱意で会社を休んでビール片手にオレオレ言いながらテレビで見るワールドカップ日本代表戦と、世界のトップを極めたまあ、ジダンあたりがモナコのアパートあたりで美しい家族と二百万くらいするシックなソファーに身を沈め美しい我が子あたりのたわいないバカンスの思い出話に頬かどっかを緩めながら横目に見るかもしれないテレビの同じ試合。まったく違って見えると、思いませんか。

投稿: | 2006.08.14 12:20

然り、武の真は卑怯の極意を業に身をつけるものにあり。
己を磨かんとするものに非ず。

しかして筆者の感性は他人に振りかざして語れるほどにご立派なものではないな。
武を持てぬ者の世迷言と受け止めよう。

武仁を辱めることなかれ。

"武"とは生の勝者が死の敗者に礼を尽くすために始まったのだよ。

二枚舌を畳んで学び給え。

幾星霜、武道のために積み上げられてきた屍までを愚弄するおつもりか?

投稿: さぶらうもの | 2007.07.15 02:34

>卑怯こそ武道の原点だ。
>示現流は完璧だ。
浅い見識で、よくもまぁ断言できるもんだ。
経験もないくせに、ぐぐった程度の知識で武道、武術について語るなんておこがましい。

まぁ、一生そう考えてりゃいいけどね。

投稿: ぶじゅつけいけんしゃ | 2007.07.19 10:46

いろいろひどいな……
つっこみどころ満載だ。
書き手もひどければ、コメもひどい。
武術武道の資料をこれっぽっちも調べてないし、ボクシングが強いとか示現流は弱いとかもうね……めちゃめちゃすぎる。

ボクシングのような西洋の格闘技の大半は、強い人はより強く、弱い人は弱いまま(それでもまぁ、それなりには強くなる)というもの。強い人が当たり前のように強くなるのがほとんどだ。

古流や中国武術は、強い人はより強く、弱い人もそれなりに、というもの。ボクシングなんかは、弱い人は弱いまま。

あと、無刀取りで古流は終ったとか、マジしんじらんないんすけど。新陰流から始まったといわれる無刀取りは、未だに柳生流に当たり前のように存在してる。というか、初伝程度では教えられないだろうが、基本技の一つといってもいいぞ?
新陰流でこの技が作られたあと、当然のようにあちこちの流派に発生し、大東流合気柔術や合気道でも技の一つとして伝えられてるし、それから後は、無刀取りを超える技も山のように存在している。

これっぽっちも調べないで想像だけで、よくもここまで語れるもんだ。呆れるわ。

投稿: | 2008.07.13 11:31

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