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2003.11.12

韓国受験事情など

 今朝の新聞各紙の社説はつまらなかった。が、祭りのあとの感じから言うと、しょせんそういうものなのかもしれない。選挙の各党の動向についての議論も概ねつまらない。朝日が社民に向けて民主と合流してはどうですかと言ってあたりが微笑ましかった。政党としての左翼は本当に終わりだなという思いと、いや全然終わってないなという思いがある。小林よしのりふうにしつこく言うわけでもないが、旧左翼の社会的な影響は恐らくまるで終わっていない。それは、ちょうど自民党が山中貞則を消すことができないのと同じことだからだ。当然、これらの弊害はぼつぼつと以前より顕著に現れてくるだろう。すでにエコや戦後問題というネタは面白みもないので何が出てくるやら。ただ、一つ言えることは我々の古い倫理や戦後の理想を質にとる形で問うことは間違いない。日経と読売がWTOによる米国の鉄鋼輸入制限クロ裁定について扱っていたが別にどうという問題でもない。端的に米国が間違っているだけのことだし、この問題についてあまり日本がどうこうできることでもない。

 そういえば日本では選挙のお祭りで浮かれていたせいか、隣国だが韓国の話はあまり耳にしなかった。私がうといだけだろか。遅れた話になるが、11月の第一水曜日といえば、日本のセンター試験をもっと厳しくした「大学修学能力試験」通称スヌン(修能)が行われる。ある意味、英国やドイツのほどひどくはないとはいえ、スヌンの結果が大学入学に直結しており、しかも学歴社会の弊害が日本よりひどい韓国では結局スヌンで人生が決まるというくらいの切羽詰まったことになっている。事実上無試験化している日本の大学とは大きな違いだ。未だに四当五落の世界でもあるし、内申も重視されるので、かなり若い人間を精神的に追い込むことになる。自殺者が出るのは当たり前だし、日本同様、験を担ぐので奇妙な風物も街中に現れる。これを滑稽と見るほど日本は異文化でもあるまい(参照)。
 受験競争の過酷さは台湾やシンガポールでも似たようなものとも言えるが、もともとドメスティックな学問の制度の歴史が浅いこともあり、優秀な学生はそうそうに米国や最近ではオーストラリアなどに流れていく。そのまま移民というケースも多いようだ。その意味で、韓国の受験事情などもある意味相対化されていくというか、ある種大衆社会の現象とも言えるだろう。グローバルな背景をもったアジアの知識人はその国の産業界に還元されていくので、個別には日本人には歯が立たないほど優秀な人材も多い。
 こうした点では日本はかなり違う。日本の場合、大学院の知的レベルが低いのでその時点で優秀な学生が米国や欧州に流れ、そして、それらは古巣の大学に還元してしまう。悪い言い方をすれば、お嬢ちゃん、おぼっちゃんの世界だ。しかし、そんなことをくさしてもしかたがないだろう。
 日本でも例外はあった。前沖縄知事大田昌秀は米留と呼ばれるグループで学問は米国仕込みだったし、この70歳大の米留沖縄人は沖縄の中核となった。その後の世代は次第に日留の時代になるが、いわゆる団塊の世代になると途絶える。本格的な日本化が進み、共通一次世代以降は事実上沖縄人はその文化によって裏打ちされるというより、まさにポストコロニアルというかあるいは他の日本の田舎と同じく、辺境化してしまった。ま、沖縄の話が最近多いのでこれはそのくらいで終わり。
 たるい話になったが、日本は大衆レベルではどんどんグローバル化に遅れをとるものの、そうして育成された大衆はある意味、マクロ的に見れば、きちんと消費者として成熟していくのだろう。政界・経済界の爺どもの一部や、ありがちなエコノミストは内需拡大が重要とかいうのだろうが、近未来的に見れば、日本は内需が増えるのだろう。ただ、少子化と団塊世代の高齢化でそうした動向は摩滅してしまうのかもしれないのだが。

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