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2003.11.08

教員の性犯罪を考える

 選挙の話やイラク自衛隊派兵については、パス。今朝の新聞各紙社説で気になったのは2点、日経の「電子政府の遅れを取り戻せ」と朝日の「教員の犯罪 ― 学校あげて病根を断て」だ。どちらもあまり面白くないと言えば面白くはない。日経の「電子政府の遅れを取り戻せ」は標題からもわかるように、日本は電子政府に立ち後れているので推進せよというのだが、なんともよくわからない。自分がどんな電子政府を求めるのかと問うてみても、はっきりとした答えがないことに気が付く。日経に言わせるとこうだ。


日本の評価が低い理由は主に2つある。1つは技術インフラはあるが双方向システムができていない、もう1つは各省庁のシステムに統一性が欠け、一方的な情報が多いという点だ。世界経済フォーラムの「世界IT(情報技術)報告」でも日本政府の電子対応は19位だが、利用度は41位となっている。

 そうなのか? 全然違うのではないか。双方向システムってなんだ? 省庁間のシステムの統一性ってそんな重要なことなのか。別に住基ネットについてがたがたいうわけではないが、日経は全然ピントの違った議論をしているような気がする。私は端的なところ、オンブズマンの仕組みが市民社会に定着するようなシステムだけが必要なのではないかと思う。この話は、別の機会に掘り下げよう。

 朝日の「教員の犯罪 ― 学校あげて病根を断て」も標題以上の内容はない。朝日新聞社説にありがちな扇動的な前口上を除けば、ポイントはこれだけ。


 これらは特殊な教員の突出した事件とは思えない。わいせつ行為で懲戒などの処分を受けた教員は01年度には全国で122人もいた。92年度の5倍近い数である。
 保護者や社会の目が厳しくなったため、事件が明るみに出やすくなった面はあるとしても、性的な事件や問題を起こす教員がこんなに多いのはどうしたことか。

 ん? 多いか? 日本全体の教員数の統計が手元にないが、122人ではどってことない数値なのではないかと思う。で、だ。でも、じゃ、騒ぐほどの問題じゃないと言いたいわけではない。話を端折っると、それっきゃ表沙汰にされてないわけ?という問題だ。
 先日たまたま大月隆寛の雑文のために買った「諸君」(2003.12)に「スクール・セクハラの赤裸々な実態 盗撮、痴漢は当り前? 親が知らない教師の姿。スクール・セクハラから我が子を守るために」との標題でジャーナリストの宮淑子と宮坂聰の対談が掲載されている。「諸君」だものなぁと思うが、このお二人さん、それなりに取材努力が伺われて面白かった。そのなかに、122人の処分についてこうある。

しかし、この数値は公表されたものだけです。数年前、北海道が全体の二割だけ公表し、残りの八割は意図的に隠していたことが報道されていますから、実態はこの数字の五倍くらいと考えたほうがいいかもしれません。

 5倍というあたりは妥当な線ではないだろうか。端的に言って痴漢教師は全国に600人程度だろうなと思う。それでも少ないという感じはする。そのあたりの自分の感覚は、おそらく「偏向」してんじゃないのと言われそうだが…。そう思うのは、以前、リリー・フランキーの「女子の生きざま」(新潮OH!文庫)を読んだとき、洒落というにはかなりひどい実態が裏にあるんじゃないかと思ったこと、それと、eggみたいな雑誌を雑見すると(するか)、けっこうひどい実態があるとしか思えない投稿がある。もちろん、ヤラセというかネタという感じもする。ついでに、自分の経験や過去になにげに聞いた話を総合しても、けっこう実態はひどそうだ。
 私は何を言いたいのか? もちろん、小中高の先生がらみで性が乱れているよ~んというのはある。ロリ化で低年齢化が進んできもちわりぃというのもある。だが、そう「諸君」したいわけではない。
 そのあたりがもどかしくうまく言えないので駄言を弄することになるのだが。そんな思いで象徴的に思い出すのだが、昔のホームドラマ、といっても肝っ玉母さん時代というか1960年代から70年代というところだろうか、しばしば家庭の風景で、旦那を「先生ぇ~」という若奥さんがいた。つまり、旦那は元教師というやつだ。あの時代、それってけっこう普通ことだった。社会もそれを普通に受け入れていた。22歳くらいの男子教師が16歳の女子高校生とけっきょく出来てしまって、24歳と18歳、あるいはその2歳上くらいでしゃんしゃんというわけだ。個人的な印象だと、この風習はけっこう田舎に残っているような気がする。もうちょっというと、これは先生に限らないのだが…さておき。
 現代は女子高校というのが減っているし、ある意味そういう結婚ターゲットの純愛みたいなものはない。だから、そういう表層的なケースは少なくなっているのかもしれない。それに、高校生女子など自立心がなくつるんでいるから、抜けて先生とつるんでいるのはダセーというかそのツルミの規制から排除されるゲというのはあるだろう。さかもと未明が高校生のころ、暗げまじめな感じでオヤジとつきあっていたみたいな話を描いてたが、ポストガングロ系というか、浜崎たぬき系といか街にたむろっている女子高校生はセンコーなんかとできてしまうというのはないだろう。痴漢先生もそそられないのではないか。いずれにせよ、宮台真司あたりがマスコミ受けで語るあたりは彼の言うところの免疫化が進んでいるだろう。
 だが、変態教師が存在するということの基本的な部分では昔も今も変わらない。学校の先生にしてみるとなんで今さらセクハラなのかと思っているだろう。先の「諸君」の対談でも、そんな様子はうかがわれる。

(富坂)非常に腹立たしかったのは、ある教育委員会を取材したとき「そうは言うけど、自分から膝に乗ってくる子供もいるんですよ」と、暗に被害を受けた子供に落ち度があるかのようなことを言うんです。だから「それが教育委員会としての公式見解でよろしいですね」と言ったら、慌てて取り消しましたけどね。

 そんなところじゃないか。だから、返ってどろっとした部分は街に露出する女子学生の陰や田舎にどろっとした温床があるかもしれない、なとも思う。無責任な推測かもしれないが、結果として性についてPTSDのようになっている女性の数はかなり大きいのではないだろうか。
 朝日社説では触れていないが「諸君」の対談にもあるが、どうも現代的な様相としては盗撮の問題が大きそうだ。

(富坂)最近目立ってきたのは、単純に体を触るというセクハラだはなく、盗撮ビデオやパソコンを使用したものです。

 このあたりの心性というのは自分と違いすぎてよくわからないのだが、れいのマーシーもそうだが、止めろといって止めになるものでもなさそうだ。なぜ、このような倒錯が多いのか、については、率直なことをいうと、現代のメディアとの関連があるような気がする。関連して「諸君」ではこうもある。

気になるのは、それらの犯人は私と同じ三十代が中心だということですね。上の世代は直接体を触るセクハラが中心だけれども、わりと若い世代は盗撮が多いんです。ただ、少し取材をしてみた印象では、生徒に人気のある教師が多かったですね。

 率直な印象をいうと、ここにもセンター試験以降の世代のなにか特有な現象が関係していると思う。大月隆寛はその上の共通一次世代の論客たちのメディアでの自己愛的な露出を指摘していたが、問題は大月が暗に問題視する自己愛というよりも、そのピヴォットにあるのは、メディアではないだろうか。
 なんかつまんねー結論になりそうだが、共通一次試験からセンター試験以降の世代へ向かう、巨大な断層というのは、メディアとリアリティの問題ではないかという気がする。そういうと単純過ぎるので、リアリティとはリビドーだと言ってもいいのだが、リビドーだのいうとフロイト批判が知的に思われている浅薄な知的状況では通じないので、端的に性的な欲望としてもいい。もっと現代にすり寄って言うなら、ジラール=ラカン系ではないが、他者の欲望はメディアの媒介とした他者であることを必然としているとなるだろうか。つまり、リアリティがあってそれがメディアを通すのではなく、メディアでスクリーニングしなければリアリティにならないのだ。そして多分、メディアはある種万能感を保証する装置でもあるのだろう。
 もうちょっと奇っ怪な指摘をすると、そこに欠落しているものは糞の臭いであり、糞の臭いへの倒錯された欲望かもしれない、と思う。あまりに唐突な言い方なので、もう少し補足しないといけないのだろうが、人間社会が避けられない糞の臭いがその社会性のなかである調和をもたらされることがなくなったので、逆に現代では単純に糞の臭いが露出している。なのに、メディアを介したリアリティには糞の臭いがないのだ。
 どうも議論を端折りすぎているようだが、このあたりでこの話は止めて、もとに戻すと、痴漢先生を社会的にどうするか? 朝日は短絡的に言う。

子どものサインを素早くつかむことも大切だ。子どもが教員の授業を評価する学校も出ているが、教員の行動についても聞くというのはどうだろう。学校に配置されているスクールカウンセラーにも協力を求め、普段から注意しておけば、危険を未然に察知できるかもしれない。
 教員同士や校長と教員との日常のコミュニケーションも大事だ。互いに授業や子どものことを話し合い、情報を交換し、指導に生かす。当然なことが、ややもするとおろそかになっているのではないか。

 そんなことで解決になるか? というか、実際にあの薄気味悪い学校という制度にいた記憶が朝日新聞社説の執筆者にはなくなっているのだろう。ずばり言う、変な先生はなんとなくわかる(ばれる)ものだ。もちろん、人気の高い先生に盗撮が多いということからすれば、外観からはわからないというのが筋が通る。でも、わかる。若い人間の感性を侮ってはいけない。少数かもしれないが、あの感性は人間の本性を洞察するに余りあるのだ。その感性をどう学校の経営に反省するかだ。端的に言うと、痴漢先生の問題は解決などできない。問題化させないように校長が学校を運営するしかない。
 とすれば、校長が、感性の強い、敏感なアンテナのような一群の子供たちと密かにコミュニケーションを取ることが解決の糸口になる。学校にスパイを撒くようで気持ちの悪い提言に聞こえるかもしれないし、そこまで腹の据わった校長などいるわけないとも言えるだろう。確かに教頭上がりの校長などにはできない。だからこそ、実社会の大人が必要になる。しかも、青年期の苦しみの感性を摩滅していない大人が必要なのだ。

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コメント

ども。

突然ですが、ちょっとセクハラ的心性についてお尋ねしたくてトラバってみました

っていうか、極東さんはたぶんこういう心性からは縁遠い方のような気がするのでご迷惑かもしれませんが..
(今回、ぼくのほうの話で出てくる男も牧師の子です)

<フロイト―リビドー>という流れで見ていけるかな?っていうのをお聞きしたくて...
また、その場合具体的にどのような資料を参考にするのがいいかなと思いまして..

・・どんな感じでしょう?

投稿: m_um_u | 2004.04.06 06:25

m_um_uさん、ども。感覚的にうまく受け止めてないと思うのですが、印象としては、土居健郎の甘え理論を思い出しました。「甘え」というのは、あれだけ人口に膾炙したわりにほとんど理解されていない概念ですが、前エディプス的なものです。この話は長くなりそうなので簡単にするのですが、一種の同性愛的な感性でしょう。日本人はこの傾向が強いですね。西洋などでも強いのでしょうが、表出が違うわけです。たぶん、ストリップとかを見に行く感じかもしれません(経験ないのですが)。男たちにまみれて女の裸を見るという充足感なのでしょう。後は、愚行権じゃないですが、誰もがそういうお下劣な欲望を持っているので、そういう面を引き出してみたいという感じでは? 「噂の真相」みたいな。そういえば、最近、ワルチンスキーの本って無くなっているのですね。

ワルチンの人間博物館〈1〉奇行・珍行の愉快な面々
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4584301190/fareasetblog-22

投稿: finalvet | 2004.04.06 08:26

あ・なるほど~..
甘えとか依存はチラッと思った(でも忘れてた)ので参考になります。あと、愚行権、と..

っていうか、やっぱ甘えと責任とかでも考えてみたいので、そっちほうでちょっと見ていってみようかと思います。

ありがとうございました (^-^)

投稿: m_um_u | 2004.04.06 08:52

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突然ですが... .....セクハラ行為が好きです っつっても、友人(男)相手だし、 直接的行為とかじゃなくて、エロ画像なんか見せてその反応を楽しむわ... [続きを読む]

受信: 2004.04.06 06:21

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