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2003.11.05

[書評]「偏差値秀才クンたちの歪みきった自画像」大月隆寛・「諸君」12

 「諸君」という雑誌はあまり買わない。理由は単純でつまらないからだ。AERAを買わない理由と同じ。機会があれば目次を立ち読みする。それに束のある雑誌はゴミになっていやだなとも思う。文藝春秋で困るのにさらにオヤジ雑誌は要らん、とキーワード「オヤジ」がいきなり出てしまったが、純正オヤジといってもいい私ではあるが、いわゆるオヤジものにはあまり関心がない。オヤジ代表の西尾幹二も好きではない。理由は小林よしのりのいうポチ保守だからではなく、処女作以来の読者だったからだ。ニーチェに挫折した若い西尾がいつからズルムケになってしまったのかなと思い起こす。この人の昭和回顧ものもつまらない。回顧なら小林信彦のほうがいい。「国民の歴史」に至っては、ほとんど盗作ではないかと思う。卑しいとすら思う。
 「諸君」を買ったのは人待ちの本屋でたまたま大月のこの記事を見たからだ。何を言っているのかざっと読んでよくわからないので買った次第。大月の文章は、啖呵よくわかりやすげな雰囲気で書いてあるが、小谷野敦ほど知性がないわけではないようなのので、言いたいことがねじくれている。そして、正直に言えば、そのねじれの奥の意図だけは理解できることもあるので、大月は多少気になる。
 この記事は、小熊英二のツラの揶揄から始まる。多分に恐らく、「諸君」の読者なら、「そーだよな、このツラじゃあね」と思うだろう、という食いつきで書かれている。
 小熊英二については、私は「『日本人』の境界―沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで」が出たとき雑読して、とってもつまらかった記憶がある。自分は台湾・沖縄に関心を持っているせいもあるが、「そんなこたぁ知っているよ、で、なんだ?」という印象だった。この人は生身の沖縄人も台湾人も知らねーなとも思った。手元にこの本もないので曖昧な記憶だが、太田朝敷(*1)の苦悩なども理解しないだろう。というか、その苦しみを我が苦しみとするが故に探求するということはないのだろう。ま、総じて岩波・朝日新聞系のスカポンな若い研究者が一人増えたかな、と思ったくらいだ。もちろん、この手のサヨ入りは沖縄でウケがいいのである。100倍優れた与那原恵の「美麗島まで」のウケが悪いのと好対照だ。このねじれが現代に至る沖縄の複雑さを物語ってもいるのだが。
 とはいえ、私には大月が小熊を吊し挙げる理由はよくわからない。田口ランディを吊し挙げた理由も私には皆目わからないので、それ以上の関心もない。だが、この記事では小熊から宮台真司や芸名香山リカなども同じく罵倒しているのだが、そのあたりの感じのほうはわからないではない。短絡した理解でいうなら、偏差値秀才クンたちは実生活に生きる年頃になっても架空世界的な優秀性を強迫的に、かつ自己愛的に主張し続けている、というわけだ。
 率直に言えば、私はその偏差値秀才クンたちの心情や行動パターンもわからないではない。自分にも思い当たる節があるからだ。なにしろ、こんな自慰的なブログを書いていることすら、同類の臭いを放っているのではないか。
 それでも、ここでブログを書き始めてから、テメーも元祖オタク系かもねだが(*2)、下の世代のあり方にかなり違和感を強めるようになった。しばしば「センター試験以降の世代」という言い方をしてしまうのもそのためだ。SPAで漫談をやっている福田和也は、相棒の坪内祐三との間にある種越えがたい世代的な溝を感じているようだが、それを感じ取れるだけ福田がマシなのかもしれない。その溝は、奇妙なほど、センター試験前身の共通一次の時代に適合する。大月に言われて、時代を思い起こす。
 共通一次試験が大学入試に具体的に導入されたのは昭和五十四年度入試からだから、生年としては昭和三十五年度生まれ以降、一九六〇年代生まれということになる。平成二年度以降はセンター試験に移行しているから、その間十年ちょっと、今、浪人や留年コミで概算した実年齢でいうと、現時点でおよそ三十代の始めから四十代の始めまでがまさにこの共通一次世代、ということになる。
 大月は触れていないが、センター試験以降の世代はもっとすごいことになる。初対面で互いに交わす言葉「ね、何点だった?」が「朝飯、食ったか?」の代わりになっているようだ。大月はそういう偏差値秀才クンが社会のエリート層になりつつあることも懸念している。くだらねーなとも思うが、たまたま自分がそういう世代でもなく、そういう世界にもいなかっただけで、実際はよくわからない。
 話を溝のこっち側(オヤジ側)にいる坪内祐三に戻すと、彼の特有な陰影は神蔵美子をめぐる、すえーどんこと末井昭との三角関係(*3)の影響もあるだろう。卑しい興味ではあるが、そうした三角関係が成立する心情を支える最後の時代だったようにも思われる。宮台真司と速水由紀子では陰影もなく洒落にしかならない。福田和也に至っては、ぶよぶよしているのは体質として仕方ないとして、娘のよきパパというくらいの恰幅過ぎておよそ色気というものがない。絞ったら水はでるけど、酒井順子の言うところの男汁は出てきそうにない。
 てな、アホーなことを書きながら、偏差値秀才クンというのはルックスはいいし、実際のところその世代か、その世代以下の女にはモテるのだろう。古今東西音楽家がモテるの同じだ。よく女たちがいう「いい男いないわね」というところの、いい男ってあんなものじゃないか。男は上淫を好み女は下淫を好む、だ。女が四十歳近くなって、若い男とつるむのはその手の理想的なのだろう。でも、だ、古典西洋的な意味では、あーんな男、ぜーんぜん、セクシーではないなぁ、という感じはする。シラクなんてでーきれーだが、あいつはセクシーだよな。
 話がずれまくってきたが、大月ががんばって鉄槌を下したいというのに、あまり自分は賛同しない。自分が間違っているのだろうなとも思うが、偏差値秀才クンを含めこの下の世代に対して、ある種の哀れみのようなものも感じるからだ。自分の優越であるとはまるで思わないのだが、彼らは真に性的な身体を獲得して生きることなどできないのではないだろうか。
 現代の若年の女性は一見性的に奔放になったかのようにも見えるが、実際の身体性としての性からは疎外されているような気がする。そのぉつまりぃ、若い男からは、なかなか男汁が出ないからではないか。それに比して、西原理恵子がつきあう中年男たちは、汁、出まくりだよな。

注記
*1:「おおたちょうふ」と読む
*2:平野文のCDを全部持っていたとか。
*3:http://www.mainichi.co.jp/life/dokusho/2002/0804/03.html

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コメント

私は共通一次試験を受験したものですが、共通一次試験を悪いと少しも思っていません。

共通一次試験がなかったら、古文漢文や化学Iや倫理社会や世界史の勉強などしなかったと思います。もっと、理工系らしい理工系になっていたか、あるいは、人文科学系に移っていたと思います。ほんとうは、中国文学志望だったので、そっちを専門にしたほうが幸せだったかもしれません。でも、自分が吉川幸次郎先生や井波律子先生にはるかに及ぶことができないという当たり前の現実に対して、ばかばかしい悩み方をしていない分、理工系を選択して幸せなのかも知れません。

共通一次の是非はさておき、高校の英語の時間には、絶対、英語史とラテン語概論を通年で数時間ずつ付け加えるべきだと思います。また、倫理社会の時間には、記号論理学を少しは教えて、フレーゲとか、パースとか、ラッセルとか、ホワイトヘッドとか、ヒルベルトとかいった名前は文科系の人でも全員知っているのが当たり前にすべきです。

さらに、教育改革が必須なのは美術です。原則的に、僻地の子供たちを含めて、すべての学童を小学校1年生のうちから、1学期に最低1度は美術館か博物館に連れて行くべきです。学校の図書館の美術教材を充実させるべきです。視覚障害者にも、すぐれた彫塑や陶芸のレプリカに触れさせるべきです。こういう予算を国家は惜しんではいけないと思います。

万国の美術教師たちよ、生徒たちのために決起せよ!

投稿: 共通一次世代 | 2009.01.19 13:00

共通一次程度の対策を「勉強」とは、何とも烏滸がましいと、ラッセルなら言うでしょう。

投稿: ssk | 2009.09.15 20:42

共通1次。あれが、日本をダメにした最高峰の世代(・・・つまり、自分世代)だと、自分的には思っていますが。「勉強すれば、学歴を得れば必ずのし上がれる!」と、皆が信じて、四畳半の炬燵で、あるいは予備校の食堂で、ひたすらでる単と戦っていた、あの時期。で、成功した奴はその後のバブルに乗って燃え尽きて行った。・・・だけど、なんて言うか、人間的に(と、いうか哲学的に)厚みのある奴一人もいないよ。同窓会で、皆、男は男でサッカーと会社の出世話、女は女でブランド物と、子供の学習塾の話しか出来ない。・・・心底、情けないなって、落ちこぼれの自分がつぶやくのも変ですが。浦沢直樹原作の映画「20世紀少年」見て、暗澹たる気分になったけど、浦沢はあの世代としては「河原乞食」の感覚を、かろうじて持っているんだなと思いました。そんだけ。

投稿: ジュリア | 2009.12.27 11:44

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