« 労組ではなく職業別組合の社会貢献が重要だ | トップページ | 住宅供給公社を潰せと煽る正義 »

2003.10.05

日本はいまだ国連の「敵」である

 産経新聞と日経新聞の社説は、イラク派兵に関連して国連決議を取り上げていた。産経は小林よしのりがいうところのポチ保守路線。日経の社説「今こそ『弱い国連』の安保機能見直しを」が、凡庸とも言えるが読み応えがあった。
 日本人は国連に甘い幻想を抱いているが、国連は機能しない。いろいろ問題があるが、根幹にあるのは、私は常任理事国の存在だと考える。そして少し暴論めくが、常任理事国があるというのは、国連(United Nations)というのは連合国(United Nations)だからだ。もともと日独伊の枢軸国と戦うためのリーグなのだ。洒落ではない証拠に、日本は国連の敵国だと敵国条項(国連憲章第53、107条)で定められている。
 そんな話をすれば、知識人なら鼻でせせら笑うだろう、「あれは死文であり、削除は1995年の国連総会で採択され、スケジュールに乗っている」と。確かに、数年前まではそうだった。ところが、そのスケジュールはどうなったのか?と問い返してみればいい。進歩派知識人は「死文だから気にしなくてもいい」と答えるだろうか。では、「いくら死文でも、日本の戦後の努力を踏みにじる不名誉な条項は死文であれ即刻削除されるべきではないか?」とさらに問えばいい。その先はなんにもない。ちなみに、1995年3月憲章特別委員会は旧敵国条項の削除、改正を総会に勧告、12月国連総会で国連憲章から旧敵国条項を削除する決議を行い、賛成155棄権3で採択した。この際、棄権3は朝日新聞の友好国である北朝鮮、キューバ、リビアである。
 だが、ようやく日経がその先を少し言及しだした。まずはアッパレと言っておく。


 国連改革といえば、日本にとって座視できない問題として国連憲章の中の旧敵国条項の存在がある。
 すでに死文化しているともいわれるが、この条項は連合国の敵国であった日本などが再び侵略行為を行った場合、ほかの国は安保理の承認なしに武力行使できると規定してあり、一種の差別条項である。それが厳然として残っている。

 よく考えよう。この数年の流れを見れば、日本への敵国条項は死文ではない。連合国は先日のカンクン会議のG21のようなリーグの筆頭に日本が立てば、連合国側は日本を攻撃するだろう。妄想? もちろん、その前提に日米安保の解消がある。なにしろ、日米安保というのはこの敵国条項の安全弁のようなものだからだ。米軍が日本に駐留している理由の一つは日本を軍事的に支配下に置くことだ。首都を取り巻くように米軍が駐留している様は普通の外人ならバカでも日本が未だ占領下にあることがわかる。
 そんなことを言えば右寄り? ポチ保守賛同? なんだか現実感がないような気もする。
 国連と日本の関係を正常化させることは難しいのだろうか? 意外なソリューションを私は小沢一郎の主張から啓発された。常備の国連軍を作り、日本が兵を出せばいいのだと。なるほど。そうすれば、死文は論理矛盾から本当に死に絶えるだろう。だが、日本の平和勢力、国連主義の人たちはそれを認めるだろうか。今の日本の空気を読む限りそうはいかないだろう。衆院選挙でも、冷静に考えれば、新民主党は敗退する。
 そういう意味で現実というのは厳しいものだ。ナンセンスでない平和というものが難しいのは、血で贖うものだからだし、血で贖うためには国民のなかに国への愛がなくてはならない。この見解はウヨに聞こえるだろうか。だが、警察官だって消防士だって、死ねとは言われないものの、職務のために死なければならないことがある。その職務というものは国への愛が根幹にある。本当は官僚というものもそういう存在なのだが。

[コメント]
# shibu 『そうですか! 小沢の常備国連軍創設とそれへの参加ってそういう意味があったんですか。常備フォーラム「連合国」批判は、敵国条項非難を必ず書くけどその解決策って書いてないですよね。せいぜい執拗に主張せよwで終わり。分担金負担額と率でシノにロ、仏・英非難も尤もですが、こういう視点を積極的に表に出したほうが説得力ありますわ。』

|

« 労組ではなく職業別組合の社会貢献が重要だ | トップページ | 住宅供給公社を潰せと煽る正義 »

「歴史」カテゴリの記事

コメント

これから、国民国家は、大米帝国を始め、ことごとく没落するはずです。日本国も例外ではありません。ちょうど、近代に封建諸侯と修道院が大没落したようなものです。

国民国家が没落する一方で、相対的に、国連をはじめとするグローバル機関に主たる権力が移行するはずです。

また、役所相手の仕事をしてきた組織や公共事業に依存する企業も没落すると思われます。いっぽうで、かつてのブルジョワみたいな、自由業知識人たちのなかに社会的影響力をつける人たちが新たに勃興してくると思われます。そういう人々を連帯させるのがインターネットなのでしょう。

日本人も、これからの時代にリーダーシップを発揮したければ、国連で大きな発言力を持つ努力をすべきです。また、政治力と経済力を増進したいと思うならば、大組織のサラリーマンをあまり優遇しすぎないことです。

かつて、封建社会が解体されて国民国家ができたように、現在も、国民国家から、グローバル機関に大きな権力が移行する時代なのだろうと思います。そして、封建領主の荘園から自治都市に社会の中心が移行したように、経済も、大企業中心から、機転の利くイノベーター集団に主導権が移行するのだろうと思われるのです。

投稿: enneagram | 2009.02.24 08:01

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 日本はいまだ国連の「敵」である:

» 沖縄考 2003.5.X 初出 [仙台インターネットマガジン ★仙台のフリーネット雑誌]
内地の人はそういうけどね 本当はそういうもんじゃないんだよ! タクシーの運転手に... [続きを読む]

受信: 2005.05.25 22:08

« 労組ではなく職業別組合の社会貢献が重要だ | トップページ | 住宅供給公社を潰せと煽る正義 »