[書評]がんから始まる(岸本葉子)
![]() がんから始まる |
「がんから始まる」は著者のエッセイスト岸本葉子自身が40歳の若さで突然虫垂がんになった顛末を、自身の目でドキュメンタリーふうに描いた作品だ。彼女は40歳になった2001年にがんになった。2000年の日常を描いた「炊飯器とキーボード」には下腹の激痛の記載が三度ほどあるが、これは単なる腸炎ではないだろうと私も思っていた。とはいえ、がんだとまでも思っていなかったので、文藝春秋11月号「女ひとり、40歳でがんになる」を読んだときは驚いた。人ごとではないなという感じがした。私は岸本のエッセイの大半を読んでいるので、彼女がよく健康に気遣っている人であることを知っている。これでがんになるようでは、いわゆるがん予防の何箇条みたいのは、意味がないのだなとすら思う(*1)。
![]() 微熱の島 台湾 |
この本はある面、岸本の著作の特徴である実用性の面もよく活かされている。ちょうど「マンション買って部屋づくり」が、女ひとりマンションを買って暮らす際のいい心得書になるように、今回の「がんから始まる」も、こういう言い方はいけないのかもしれないが、潜在的ながん患者である一般の市民にとって、よい指針書になっている。
毎度ながら、文章はうまい。編集もだいぶ仕事をされている印象もあるが、ドキュメンタリー風の構成もいい。現状のがんの医療もよく描かれている。特に、がん手術後の人生という問題の提起という点で社会的な意義がある。先日読んだ絵門ゆう子の「がんと一緒にゆっくりと」もそうだが、がんと生きる人々をどう配慮するか、その視点が社会の常識として重要になるだろう。こちらの本については、いわゆる代替医療にゆらぐ心がよく描かれていて興味深かった。岸本の本でもそうだが、がんのように現代医学のある意味で限界にある場合、代替医療がどうしても重要に思えてくる。だが、残念なことにこの方面でのよい指針は日本にはほとんど存在していない。春秋社あたりから「Choices in Healing: Integrating the Best of Conventional and Complementary Approaches to Cancer」(参照)の翻訳を出してもらいたいところだが、それまでは、アンドルー・ワイルの「癒す心、治る力」にあるがんについての指針がよいだろう。なお、訳者上野圭一はこの分野の第一人者でもあるのだが、翻訳が荒いところが目立つので出版社はフォローアップの体制をしっかりとって欲しい。
「がんから始まる」に話を戻して、私にとって特に貴重だったのは、次のように若くして死病に向き合う心のありかたの記述だった。この言葉自体は、普通はたわいなく聞こえるのかもしれないが深く共感した。
日頃の私と接する人は誰も、私がこういう、死と隣り合わせの虚無感を抱えていると、想像だにしないだろうなあ(*2)
「死と隣り合わせの虚無感」というものは、おそらくそれがわかる人とわからない人とに決定的に分かれてしまうだろう。もちろん、岸本も、がんの経験がない人にはこの気持ちはわかるまい、というような考えはきちんと退けている。がんだからということでなくても、この生きているという実感を奪うような虚無感に浸されてしまうことがある。自分にはもう未来なんていうものはないのだという思いが、いつでも、なんどきでも、笑っていても、それはそこにある。我を忘れていても、その虚無感が私を忘れていない。目の前の現実よりも強固な感覚として、実在の感覚を消耗させ、奪っていく。それから逃れることはできない。そういうことがある。ゲド戦記のゲドと影との関係のようなものだ。それと向き合い、ひとつになるしかないなにかなのだろう。
岸本はそうした経験の集積を「がんから始まる」とした。よく考え抜かれている。こうした死の光景のなかで、新しいなにかがはじまる。彼女は、「新しき者よ、目覚めよ!」と呼ぶが、死の光景でしかありえないなかで生きているのは、新しいなにかなのだ。
生きていること自体が奇跡のような事実と思えるというのはなんなのだろうか。神学者パウル・ティリヒはそれをThe new beingと呼んだ。母語をドイツ語とするせいものあるのだろうが「新しき存在」とは奇妙な響きのする英語だ。彼はそれを和解と許しによって特徴づけたが、そこには単純なキリスト教の教義を越えるティリヒの深い瞑想があるのだろうとは思う。
岸本の本の扉裏には「私を生かす未知なるものへ」とある。もちろん、がんという死の光景のなかで生き続ける「新しい者」を意図しているのだろう。だが、この祈りともいえる言葉には、こう言うことは僭越だが、岸本がこの世に生きてきた意味、さらには使命のようななにか、奇跡のような何かが隠れているように思われる。人の人生には奇跡ということが起きる。それはがんが治るといった好ましい奇跡だけではないかもしれない。たがそれは人生に決定的な意味をもたらす。岸本のこれからの人生にきっとなにかが起きるだろうという感じもする。
今回の本では文学的な美しさも感じた。一人の娘と老いた父の関係についてだ。ユーモアを込めていうのも失礼だが、岸本のエッセイの多くには私はところどころ嘘を感じたものだ。女30歳がひとりで生きて嘘がないというものも、変なものだ。中村うさぎやさかもと未明みたいになってしまう。今回の本で描かれた父への思いには、しかし、嘘のない、とても繊細な感性が露出していた。この人が独り者の人生を選んだのは、こうした感性の帰結だったのだろうな、と思った。
注記
*1:強いていうと、食物繊維ががん予防によいかについては最近疑問が出てきている。また日本の葉野菜は硝酸塩が多すぎるので菜食にも注意が必要になる。
*2:p187
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コメント
岸本さんの「がんから始まる」を、大変興味をもって、かつ、かなりの共感をもって読みました。私は、視覚異常から白内障だと独り合点して出かけた眼科病院で、医師から極めて厳しい表情で脳神経外科で精密検査を受けるように言われました。
それまでは、白内障は不治の厄介な病気だという程度の気持でいたのですが、医師の表情からこれはただならぬ病気(=癌)だと思い、生まれて初めて死の恐怖に襲われました。そのときの気持ちは、体験した人でなければ決して分からないものです!5日後の脳神経外科の検査で幸い良性であることが分かり、やっと夜眠ることができました。
私は、他人に対して優越したいという衝動が強く、他人の不幸に大して冷淡なところがありますが、以上のような体験をした御蔭で、他人にたいして少しまじめに思いやりをもてそうに思います。
岸本さんは、どんな場合でも、著作に表現するときにはユーモアを忘れることがなく、楽しく読ませてくれます。唯、そういう点で、少し読者に迎合?しているように感じるときもありますが・・・。でも、基本的に真面目な姿勢を貫く岸本さんは、とても好きです。
投稿: 東司郎 | 2005.05.18 18:24
どのくらい前だったか、たしかTimesであったと思います。Mark HendersonというScience Correspondentの書いた記事(Vaccine could wipe out なんとかでした。。)で知ったのですが、英国では子宮頸がんのワクチンが5年以内に使用可能になるということでした。ただ、性交未経験の10代の女子に与えることが必要のようで、使用以前の条件で物議をかもしそうな内容でしたね。どのくらいの期間ききめがあるのかとか、HPVにすでに感染している人たちにも効くのか等はまだ分かっていないようでしたが、すごいなあと思いました。日本はどうなのでしょう。
やはり、正直、女性のひとりとして無関心ではいられません。。。
投稿: むぎ | 2005.05.19 00:29
岸本葉子、finalvent氏の好きなタイプなんですか?・・・なんて、ちょっと聞いてみただけとです。
投稿: donald | 2005.05.19 21:30
donaldさん、こんにちは。こっそり言うと好きなタイプです……ぃぇぃぇ、一ファンです。岸本さんは私より四歳年下ですが、同時代の空気を吸いながら生きている女性という強い実感を与えてくれます。与那原恵さんもそうですね。同じ時代の世界を、自分に近い年代の女性がどう見ているのかということに、とても関心を持ちます。
投稿: finalvent | 2005.05.19 22:17
はじめまして。sallyと申します。
ずっと昔に買った岸本葉子さんの「炊飯器とキーボード」を再読していて、ひどい腸炎の記述があったため、「あれ? この後、彼女はがんが発覚して闘病生活をおくったのではなかったか。つまり、これってがんの症状の1つでは」と気になり、岸本葉子さんの「がんから始まる」の本が出たのはいつだったかと検索していて、finalventさんのブログにたどりつきました。そうしたら、私と同じように「炊飯器とキーボード」の腸炎のことについて書いていらっしゃったのを見て、驚いた次第です。もっとも、私はリアルタイムで感じたのではなく、今さら…なんですが。私も岸本さんと同世代(1962年生まれ)で、細々と書く仕事をしているので、本当に他人事ではないなと思いました。
finalventさんの説得力のある文章は、さすがアルファブロガーとして選ばれた方だけありますね(ごめんなさい。全然存じ上げなくて、プロフィルからたどっていって、本のことや、とても有名なサイトだということがわかりました)。また、お邪魔させていただきます。
投稿: sally | 2006.08.07 16:06
はじめまして。
暇だったので岸本葉子さんで検索してこのブログにたどり着きました。
岸本葉子さんの本で始めて読んだのは「幸せまでもう一歩」という本です。
そのころとてもつらいことに直面していて、何とか気持ちを上向かせようと幸せ本(?)ばかり探していました。そして、この題名にひかれ思わず手にとってしまいました。
読んでみると、何気ない毎日のエッセイで、それなりに面白かったのですが、題名から来る期待はなかったです。
後から思えば、この本のころは癌の手術後の経過見のころで、そのことについては一切触れていませんがこういう題名になったんだなと思いました。
そして、何冊かエッセイを読んだ後、この「がんから始まる」を読みました。
私は癌ではないですが、やはり気持ちが萎えているものにとって、要所要所に、深い共感を呼びました。
この本を読んだのは4年前のことですが、私自身の環境は今も変わらずで、岸本さんも今もやはり同じような状態なのでしょうか。
特に下記の言葉に感銘を受けたので、書かせてください。
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「生きてみないとわからない」領域が、常に私たちには残されている。
変えることのできない、どちらを向いても絶望的としか思えない状況でも、人間には、運命に対してどのような「態度」をとるかという自由が、ある。
「ふつう」の行動をしていれば、心もおのずととそれにつれて、健康人としての、自然な律動を刻みはじめる。「外相整いて内相自ら熟す」一種の行動療法といえようか。
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最後の言葉は、私自身がうつ病などにならないための訓辞としています。
極東ブログさんのことよく存じていないのですが岸本さんのことを書かれたものをめったに見ないし、すごく丁寧に深く書かれているので、コメントさせていただきました。
投稿: かよ | 2009.05.17 21:16