ハンガリー動乱と大池文雄
見出しだけは書いたものの、きちんと書く気力がない。このブログを関心を持って読んでいるかたには申し訳ない。
とりあえず、意図を簡単に言えば、日本共産党史におけるハンガリー事件の意味と、それを先駆的に問題視した大池文雄という人間について考えたい、ということだ。
見出しだけのこんなみっともないブログを残すのもなんだが、ブログ「余丁町散人の隠居小屋」10/23 Today ハンガリー動乱勃発 (1956.10.23)を読んで、「あちゃー!、これで終わりじゃ、困るぜよ」と思ったのだ。
首都ブダペストで知識人、学生、労働者による大規模な反体制デモが実施されソ連軍戦車が出動。市民達は絶望的な市街戦を繰り広げたが最後は踏みにじられてしまう。
ナポレオン三世に始まるヨーロッパの首都での街路整備と戦車の発明で古典的な民衆蜂起は物理的に不可能となっていたのである。誰もソ連軍はやってこないだろうと思っていたのだが戦車が出てくるとひとたまりもなかった。
散人先生のブログはこの軽さがいいのかもしれないが、この事件が持つ日本史の意味をパスするには、痛過ぎる。とはいえ、散人先生にはご関心はないのかもしれないので、書いてくれよと懇願する意図ではない。
ちなみに、大池文雄についてゴルフ経営関係以外でgoogleってみたら、案の定、たいした情報はない。そのなかでもましな部類だが「共産党の理論・政策・歴史」討論欄(参照)というページが出てきた。どうやら名前まで抹殺されているわけではないが、たいした内容はない。ここでの言及もくだらない。「新左翼(トロッキズム)の潮流発生」という項目の下に「3月頃には東大細胞による機関誌「マルクス・レーニン主義」、大池文雄を中心に少数の同志たちで「批評」が発行された。」とあるだけだ。トロッキズムかよ、なのだが、ま、そんなところだろうか。
こうして、この時期日本共産党批判の潮流がこぞってトロッキズムの開封へと向かうことになった。このような動きの発生の前後は整理されていないが、対馬忠行を中心として「反スターリン的マルクス・レーニン主義誌」の表題をつけた「先駆者」が刊行された。太田竜(栗原登一)が「トロッキー主義によるレーニン主義の継承と発展をめざす」理論研究運動を開始していった。思想の広場同人の編集になる「現代思潮」、東大自然弁証法研究会「科学と方法」、福本らの「農民懇話会」、京都の現代史研究会の「現代史研究」、愛知の「人民」等々の清新な理論研究が相次いで生まれた。
ちなみに、この太田竜とは、トンデモ本でおなじみの同名のかただ。同一人物なのである。へぇ~とか言わないでほしいのだが。
追記
![]() ハンガリー事件と日本 |
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コメント
ブロクさんの秘密とは何でしょうか。あの『ハンガリー事件と日本』の著者の小島と言う人は、ハンガリーや旧ソ連に長年いて、細菌帰国して大学教師になったものの、あまり日本の大学がアホらしいので辞めたらしいと聞いたことがあります。
投稿: kerem | 2004.04.04 21:08
keremさん、こんにちは。私は日本の近代史の流れではほとんど大衆として捨象される位置に生み出されました。簡単に言えば、松岡洋右の孫とかじゃないという意味です。が、子細に自分の家系の歴史を見ているとわずかですが、あの事件に関わっていました。不思議の感に打たれます。ところで、小島さん、大学辞めたのですか。ちょっと思うことはありますね。そういえば、4月から国立大学が法人化され、よい芽が出るといいのですが。
投稿: finalvent | 2004.04.05 08:00