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2003.10.17

イラク戦争は正しかったのかという問いの意味

 今朝になって社説で中国有人衛星の話を読むのもなんか間抜けな気持ちがするが、日経新聞がずばり軍事目的でしょとしていたのは痛快だった。産経がそう言うとボケと突っ込みのような感じがするのだが…。他、話題として、朝日新聞と読売新聞が、久米宏「ニュースステーション」(テレビ朝日)による所沢ダイオキシン嘘報道の最高裁の判断を扱っていた。朝日新聞がそれほどテレビ朝日を擁護しているわけでもなく、読売新聞がバッシングをしているわけでもなかった。今回の最高裁の判断はなかなか含蓄があるのに、テレビとコングロマリット化した新聞というシステムでは、つまらないを絵にしかならないのだ。

 今朝の話題は、イラク戦争は正しかったのかという問いの意味だ。なんだか重たい話題だが、個人的には避けるわけにはいかないと思っている。今頃、書く気になったのは日本語版ニューズウィーク10.22号で編集長のザカリアが書いた「視点 イラクへの攻撃が正しかった理由」を読んだからだ。
 このブログは八月の半ばから始めているが、イラク開戦時、知人のグループに私は今回の戦争を支持すると明言したことがある。あの時点でブログを書いていたなら、同じように、戦争支持を明記しただろう。支持の理由は、大量破壊兵器の存在を信じていたというのもあるが、世界秩序を変えなくてはならない、というものだった。イラクの裏で動いているフランスやロシアといった汚ねーやつらを潰しておかないと世界はろくでもないことになる、と私は考えた。ろくでもないというのは、フセインがイスラエルを刺激してどんちゃん騒ぎを起こす危険性が念頭にあった。その意味で、私はネオコン的ではないが、米国のユダヤロビーに近い考えを持っていたと思う。そして、戦後しばらくの間は私が正しかったと感じていたが、ここに至って、私の考えには大きな間違いがあると認めざるを得なくなった。
 なにが間違っていたか、大量破壊兵器の存在をすんなり信じてしまったことは当然だ。だが、それをもっと入念に疑えば良かったかというとそういう反省はしていない。私に与えられた情報から導いた結論としては、そうなるしかなかったと思う。「大量破壊兵器などない、米国は嘘っぱち」だという意見も当時あったが、それはイデオロギーから導出されたものでしかないと私は思った。こうした意見はインリン姉さんが言うような石油利権の馬鹿話であり、低脳しか意味しない。イラク戦争は単純なレベルでの石油利権ではない。
 私が間違っていたのは、フランスを潰せるはずだと思ったことだ。冗談で言えばEUを土台にボナパルト再生なんてろくでもないものが出現するまえに、徹底的に潰しておくべきだ、と。で、結果はというとダメだったね。シラクもプーチンもただものじゃない。ついでに言えば、嘘つきブレアにも私はジョンブルっていうのは怖いものだと敬意を持っている。イギリス人にしてみれば、国策を誤ったという評価もあるだろうが、土壇場になればいつだってチャーチルを輩出する底力があの国にはあるのだ。
 結局のところ、私の念頭にあった、この戦争で世界システムを変えるべきだ、という思いは実現しなかったし、今にしてみれば、できるわけでもなかった。
 ザカリアも手短かながら、うだうだ言っている。突き詰めればこういうことだ。


 イラクの脅威は、現時点ではそれほどでもない。だがフセインはとくに核兵器を手にした場合に重大な脅威になりうる。制裁措置が骨抜きなっていることを考えると、世界はいつか核武装したフセインと対峙せざるをえなくなる。それならフセインが弱い、今のうちにやってしまおう - 。
 イラク攻撃を批判する人々は、「このまま現状を維持する」という選択肢はイラクにはなかったことを認識すべきだ。(後略)

 これは端的に間違いだ。「選択肢はなかったのだ」ということは言論人にとってもっとも恥ずかしい言葉だ。それを言ったとたん、言葉はなくなる。言葉がなければ、我々には自由がない。我々が言葉を発せられることが自由なのだ。
 ザカリアのその先の説明に説得力がないわけではない。曰く、

イラクの近隣諸国やフランス、ロシアは、経済制裁の抜け道をせっせと提供していた。それでも、制裁には深刻な副作用があった。

 として、制裁によるイラクの幼児の死亡を挙げている。米国人であるおめえさんが言うことかねとも思うが、ましてそれを言う資格が私のような日本人にはない。それに問題は制裁の副作用ではなく、フランスやロシアが世界マーケットを破壊していたことだ。世界マーケットが維持されれば、石油は戦略物資にはならない。ABCD包囲網はできない。日本の最大の防衛は世界マーケットなのだ。
 ザカリアが間違っているもう一つの大きな点は、この論理では北朝鮮も潰すしかないということになることだ。次の段落でイラクを北朝鮮に、フセインを金正日に読み替えてみれば、その怖さがわかる。

 対イラク政策は破綻していた。こうなったら制裁を解除して、フセインを国際社会の一員に再び迎え入れるか、それとも邪悪な独裁政権を排除するか。われわれには、二者択一しかなかったのだ。

 これを読み替えたとき、恐怖の重点は実は韓国にあることがわかる。韓国は偽装された民族主義から国の置かれた位置がまるでわかっていないのだ。絶望的にわかっていない。そして、その連鎖が日本に及ぶことを日本人もわかっていない。しかし、それはまた別の問題としよう。
 ザカリアはいつかイラクが民主化すると希望で締めくくる。私は、率直なところ、現在のアラブイスラム社会が民主化する日はこないだろうと思う。そう書きながら、自分の人生の終わりまでの世界状況のタイムスケジュールが大まかに見えるようだ。そして、私はこの絶望的な世界を残して死んでいくのだなと思う。書きながら滑稽で笑う。
 ザカリアを批判することなど簡単だ。そして、自分が間違っていたことを認めることもそれほど難しくはない。あの時点で何ができたことがなにかは今もわからない。何ができただろうかと悔やむことは、しかし無意味ではないようにも思う。
 小林秀雄は歴史とは死んだ子供の歳を数えるようなものだと言っていた。そうだろう。悲劇は悲劇でしかない。悲劇を喜劇に塗り替えることはできない。できることは少し賢くなることだけだし、そのことは、飛躍した言い方だが、恐らく、自分のありかたをもっと孤独にしてしまうだろう。壊れていく世界を見つめながら、どうしようもなく一人で立ち竦んでいなくてはいけない。若い頃には思いもよらなかった孤独というものが人生の後半にそびえていることに、冗談のようだが、戦慄を覚える。

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