「そんなことをしたら、死人が出る」日本
社説は吉例新聞週間ネタと拉致被害者帰国1年の話が多い。拉致問題については朝日新聞の社説が期待どおりだった。オメーらも共犯のようなものだぜと思う。そんななか日経新聞社説「聞き捨てならない公団疑惑」が面白かった。
ことは、石原伸晃国土交通相が5日の藤井治芳日本道路公団総裁と更迭会談で、道路族議員の癒着や国有地払い下げに関わる政治家の不正を藤井がほのめかしたらしい。それを日経は聞き捨てならぬというのである。
族議員の癒着や国有地払い下げの不正なんか当たり前じゃないかとふと思ったが、そう思う自分がなにかに麻痺している気がした。これは日経が言うようにきちんと膿を出さなくてはいけない問題だ。
話の出所は石原伸晃のテレビ出演のようだ。
石原国交相によると、藤井総裁は「道路関係議員は自分が面倒を見ている」と述べ、誰か分かる政治家のイニシャルを挙げ建設省勤務時代に「国有地払い下げを巡る疑惑があったことを知っている」と指摘した。不正を公にするよう求めた同相に対し、藤井総裁は「そんなことをしたら、死人が出る」とまで言い切った、という。
「そんなことをしたら、死人が出る」はいい表現だ。実際この手の問題でこれまでどれだけ死人を出したことだろう。たくさん死んだなと思う。近いところではりそなに税金をつぎ込むときにも裏で人が死んだ。でも、率直のところ、あの事件、この事件ときちんと列挙できるわけではない。こういうことがあると人が死ぬだくらいな感じだ。なにかが麻痺しているとも思う。
詰め腹日本といえばそうだし、そういう日本社会を大上段に批判することもできるだろう。とにかく自民党の政権をリセットしないかぎり、これが続く。だが、話がおちゃらけるが、そうしたシステムの死のなかで、実際に死んでいくのは一人一人の人間だ。名前を持ち、青春を持ち、人生の経験を積みあげた人間だったのだが、それがシステムに圧殺される。もっと率直に言えば、圧殺される以前にシステムにきれいに組み込まれていて、可能的には圧死が最初から設定されている。
システムは成功者でもあると思う。そこから落ちた人間は失敗者だ。死はその中間にあって失敗者の側にはない。もっとも、失敗者はじわじわと殺されていくのもシステムの機能かもしれない。
話を人生論的なオチにしたいわけではない。伝聞ではあるが、藤井治芳がさらっと「そんなことをしたら、死人が出る」と言い得るのは、結局はこいつらが殺傷権を持っているからだ。
社会理論的に考えるなら、そうした状況で人を守るのが国家だ。国家は社会から人を守るために存在している。社会の上に国家がそびえているのではない。国家とはルソーのいう一般意志の発現でなくてはならない。我々は自分自身を守るための権力装置としての国家を獲得しなくてはいけないし、そうする地道な一歩として、藤井治芳の発言を聞き捨ててはいけない。
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