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2003.09.30

JR中央線工事にミスに思うこと

 毎日新聞社説「中央線トラブル できない約束した罪深さ」を読みながら、もどかしいようなひっかかりを感じた。事態は出だしのとおりだ。


 東京都のJR中央線で行われた線路切り替え工事にミスがあり、運転再開が8時間近くも遅れて約18万人が影響を受けた。突発的な事故ならともかく、計画的な工事でダイヤを混乱させた責任は重い。JR東日本はもちろん国土交通省も原因を究明し、再発防止に万全を期してほしい。

 ただ、その先の次の文脈の糾弾は変な感じがした。

 影響を受けた利用者の中には記念の旅行をあきらめたり、親の死に目に会えなかった人もいたことだろう。関係者には、公共輸送を担う気概と責任感が希薄ではなかったか。

 たしかに親の死に目に会えなかった人もいるだろうと思う。記念の旅行がふいになった人もいるだろうと思う。だが、そういう心情的な修辞を新聞の社説に書くか? そういう怒りを述べていいのはその体験者だけではないのか。新聞の社説っていうのは以前からこんなものだっただろうか。以前は違っていたと言いたいわけでもないが、私には街の風景が急に変わったような奇妙な感じがする。
 暴論に聞こえるかもしれないし、ひどい目にあった人には思いやりのない言い方もしれないが、鉄道のトラブルがなくても親の死に目に会えないことがあるし、記念の旅行がふいになることもある。人の人生というのはそういうものじゃないか。今回の高架切り替え工事はけっこう大がかりなものなので、ミスが起こることはしかたがない。毎日新聞は些細なミスだといいたいようだが、システム規模が大きくなるにつれ些細なミスが起きるものだ。
 まして今回の事故はまるで予想されなかったほどでもあるまい。過度に交通システムに依存する我々の生活がどうかしているのではないかとすら思う。
 実は私事だが今回のトラブルに私も立ち会った。私の場合はほぼ無意味な一日だし、事故は織り込み済みなので、そんなものかなと駅の様子を見ていた。見ていた範囲ではそれほど大きなトラブルという感じは受けなかった。そしてなんとなく以前インドを旅行したことを思い出した。車に乗っての移動だったが、目前の踏切で列車事故。なんてこったと思った。しばらくすると、かなりの人が集まりだした。もちろん列車からも人が降りてくる。すると、こともあろうか屋台まで出てくるのだ。臨時バザールといった感じだ。わきあいあいというのだろうか。私も屋台のミルクティを飲みながら、どっかから来たノラ牛を見ていた。あいつがうんこをすると燃料用にと拾いにくる子供がいるだろうとか思っていた。列車はそれほど待たされもせず動き出したように記憶するが、それでも3時間くらい経っていたかもしれない。

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