マイクロソフトとトロンの「和解」なのか
人のブログをちらちらと散見しながらマイクロソフトとトロンの和解という話(参照)がなんとなくひっかかった。と言いつつ人のブログをあまり読むほうではないこともあり、どういう意見が飛び交っているのかわからない。ふと気になって2ちゃんねるも覗いてみたが、ようと知れず。ただ、なんとなく思ったのだが、時代のせいなのかな、なにか若い人にはこの問題の歴史感覚がなく、プロジェクトX的に再構築された物語が歴史に置き換わっているようだ。
そういえばプロジェクトXでトロンを扱った話があって、たまたま見たことがある。これってお笑いなのかという意味では楽しめたが、Cトロンへの言及がないのは仕方がないとしても、BトロンとIトロンをごっちゃにしていた。Bトロンについては、当時を思い出すに松下なんかがちょっこし市販マシンを作っみたが、端から市場の相手にされていなかった。トロンキーボードはトリビアの泉ネタかも。いずれにせよ、別に、マイクロソフトがどうという問題でもない。思い起こすに、CDOSやDR-DOSなんかもMS-DOSに劣るわけでもなく、DOSの歴史から言えばそっちのほうが正統なのだが、あまり利用されなかった。理由はMS-DOSがパソコンの事実上おまけになっていたからだ。その意味では、Bトロンも無料配布すればよかったのだろう。とはいえ、Squeak(参照)の例からもわかるように、優れたシステムが無償でも市場で人気になるわけでもない。
反面Iトロンは日立がH8/H16/H32などシリーズなどできちんとフォローしていたせいもあり、よく利用されていた。なんせ実質無料のリアルタイムOSなのだから。といいつつ、さすがにカシオのQV-10に採用されていたときは隔世の感があった。これにJavaが乗っかればけっこうなものじゃんかと思ったが、実際DoCoMoで実現してみたけど、市場はぱっとしなかった。技術がどうというより、市場の問題だ。トロンベースの超漢字がいいっていったって、市場はすでにユニコードじゃん。ユニコード批判とか一部で偉そうに日本語問題とからめて議論されているけどみんなgoogle使っているじゃんか。実際にgoogleがユニコードベースなんでアジアの漢字情報はけっこう統合できている、ってなことを書くと批判されるか。そもそもこんなとこそんなに読まれているわけじゃないが、それでも、日本語がという文脈じゃなくて康煕字典の編纂の意図のほうを歴史的に継承したのはユニコードだろう。
話が散漫になってきたが、かくつらつら思うに、マイクロソフトとトロンの和解と言われてもなんだかな、である。ここでトロンと言われているのはIトロンだし、マイクロソフトという文脈で語られているものJavaをパクった.NET(ドットネット)だし、.NETの展開から言えば、別にどってことないじゃん。ただ、物語が事実になっているセンター試験世代にはちょっとショウアップすると受けるかとマイクロソフトの代理店もやっていたアスキーの古川亨が…、もとい、マイクロソフトの古川亨が思った、ということか。彼がゲイツ3世にお伺いをたてたとき、3世はexcitingって言ったらしい。おい、それじゃバシャールだよ。
話がまとまらないが、マイクロソフトとトロンの和解といっても、別になんのニュースでもないと私は思う。こういうのがニュース扱いになるプチナショナルな、物語再構成な時代ってなんだろ。小林よしのりの戦争論なんかもけっこうその口だな。島尾敏雄とか生きていたら、なんて思うだろう。小林秀雄が生きていたら、福田和也みたいなのをなんて思うだろう。通じないだろうな、米国帰りの30代の江藤淳と小林秀雄の対談とか読み返しても、あの時代ですでに話がまるで噛み合っていない。その後の江藤淳もけっきょく小林秀雄の青春と晩年を結びつけるものが見えていなかった。と、ま、歴史っつうもんですか。
パソコンの世界に話を振って終わりにしたい。今のパソコンはとっても使いづらい。Windows XPに至ってはなんじゃいなぁである。Cygwinでも入れようかな。日本語処理はどうなっているんだろう。ActivePerlは使いづらいし。シフトJIS対応のAWKがあればいいだけか。ああ、自分がロートル化している。
追記
トロンに外圧なんかあったのかよと思ってネットを見渡したら「トロン外圧の嘘と事実」という記事があった。対談形式なので話が錯綜して、しかもトロン贔屓が目立つが、参考になる。私は古木護というフィクションの意見に近い。ただ、この記事、時代の制約もあるのかもしれないけど、「アメリカがその気になれば、石油と食料を止めれば…」っていうアメリカ認識は間違い。余談だが、パーソナルメディアがさぁ…とわずかに古い私恨を思い出す。
CEATEC JAPAN 2003レポート「坂村教授、講演前に異例の『FAQ』」(参照)を読んで…爆笑と言いたいところだが、とほほになった。私は坂村の肩を持つ。しょぼい噂がうずまいていたのか。
リアルタイムOSとPCなどに使われる情報処理系OSはそもそも目的が異なることを再度解説し、「何度も言っているが、TRONとWindowsが戦うとか、TRONとUNIXが戦うとかいう話はおかしい。それは極端に言えば自動車と飛行機の戦いのようなもの。マーケティング的な戦いはあるかもしれないが、技術的な戦いはない。情報処理系のOSはリアルタイム処理には限界があるので、それにリアルタイムOSのカーネルを供給するのは自然なこと」と重ねて説明。TRONとWindowsが融合することは、情報機器の技術的な進化の上では何ら不思議なことではないと強調した。
そんな当たり前のことが通じない世界っていうのは、うんざりするよ。とはいえ、マスコミの物語にそれまで乗ってきた階上に昇ったのだから、ハシゴを外されて怒ってもしかたないかも。
| 固定リンク
「ネット」カテゴリの記事
- やまもといちろう氏のツイッターアカウント凍結で思ったこと(2018.07.27)
- ブログで語るということ(2018.07.04)
- 主の祈りとか(2018.03.17)
- 微妙な検閲と微妙な排除(2018.03.07)
- 単純に情報操作にひっかかる人々について(2013.10.03)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント