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2003.09.20

韓国の日本文化開放に思う

 朝日新聞と産経新聞がそれぞれ社説で韓国の日本大衆文化開放措置について触れていた。対立した意見を期待したとこだが、どちらもふぬけた話。わからないでもない。とはいえ、朝日新聞社説「文化開放―日韓に壁はいらない」のタイトルはボケだが、冒頭の切り出しは良い。


 日本語の音楽CDや日本製ゲームソフトを解禁する。韓国がそう決めたと聞いて意外に思った人も多いだろう。日韓の間にそんな壁が残っていたのか、と。

 現状の日本人の意識からするとそんなところだろう。そのくらい日本人は韓国に関心がない。だから韓国文化の一部が切り出されて日本にエスニックとして受ける。少し前の話だが、2001年(5/16)の日本版ニューズウィーク「韓国をうらやむ日本人」は外人の目から見たトンマな特集で笑えた。
 韓国をどう考えたらいいのかという問題は難しい。韓国も日本同様東アジアで中国の影響を受けた歴史を持っているせいなのか、言葉と事実が乖離する。単純に言えば、発せられた言葉にはすべて裏があって事実を指すことができない。韓国について韓国側から語られた言葉は多いが、その裏に向かって日本人が事実を言っても、その語られたこと自体が言葉に還元して循環してしまう。
 とはいえ、隣国であり、人間の交流もある。人間と人間の交流はただの言葉ではない。戦後多くの韓国人と日本人が私的な交流を深めてきた。現実というものは厳しいものだから、全て信頼の交流とはいかない。裏切りもあるだろう。だが、深い交流であることは間違いない。映画「月はどっちに出ている」みたいなものだ。その総体が日本と韓国に何をもたらしたについてはまだ十分に語られていない。言葉の循環をさけて語るにはもっと深い交流を待つべきかもしれない。
 当たり前のことだが、と言っていいだろうが、70歳以上の韓国人は日本語がわかる。植民地下でもあり、日本人に嫌な目にあわされた人も少なくないことは間違いないが、戦前とはいえ大衆の日本人というのはそれほど善でも悪でもない。そのことを70歳以上の韓国人はきちんと知っている。だが、それを韓国の中で語ることはできない。その詳細はここでは書かない。ただ、この半世紀はそういう歴史だったのだと雑駁にまとめてもはずしてないだろう。現在の日本人もそれが理解できなくなりつつある。センター試験世代の人間に先日「李承晩」って知っているかと訊いみたが無言だった。「イ・スンマンですね」と米国帰りのとんちきな答えなども期待できない。歴史とはそんなものだ。「冬のソナタ」の登場人物も李承晩後の世代だ。日韓の歴史は喧しく論じられるが、実際の歴史とはそういうふうに扱われていく(参照)。
 と、話が散漫になるのは書くのをためらう思いがあるからなのだが、ま、冗談半分に書いておこう。名前をあえて記さないが、私が深く傾倒した歴史学者がこう言ったことがある、「韓国には文化がないのです」。そう言われれば、そんなバカなと誰もが思うだろう。現代の韓国人でも怒るよりせせら笑うだろう。だが、この指摘は碩学だけが知りえた怖いものがあると私は思った。そして、過去を知る韓国人もそれを知っているだろう。単純な話でいえば、ハングルによって覆われている漢字を復活させれば、字面の上で日本語とそっくりになってしまう。もっとも今の日本人の漢字はGHQによって破壊された奇っ怪なシロモノだが。
 あまり雑駁に言ってはいけないが、現在韓国の文化と言われてるものの大半は、清朝によって破れた漢意識の辺境的な再構築だ。実は日本の江戸の思想も類系でこれが明治維新につながる(が韓国とは違い道教化した朱子学の影響は少ない)。
 また、ハングルが元朝の遺産であることも歴史を知ればわかる。食文化などを含め、元朝の影響は大きくすでに韓国人が意識でないほどでもある。骨董好きの一部が陶磁器で李朝より高麗を好むのも、古いものを好むということもだが、どこかに国民文化の起源の美を得たいという思いがあるからだろう。「三国史記」があるとはいえ、日本のように正史として古代を伝える日本書紀という歴史書もなければ、本居宣長のように近世に国民国家の古代幻想を創作するというような民族意識もなかった。もちろん、日本が優れているということでは全然ない。深く歴史を知れば、日本書紀の大半はナンセンスな創作に過ぎないことも、宣長の古代意識もグロテスクな偽物に過ぎないこともわかる。西欧流の歴史学で見るなら、日本書紀の推古朝以前はでたらめとしか言えない。それ以降も政治的な修正でできている。また、古事記は偽書だし、漢文で書かれている。
 こうした知識がなくても、朝日新聞社説の次の指摘は皮肉な示唆に富む。

 開放の壁になっているのは、最近は反日感情よりもむしろ経済問題だ。例えばアニメ映画を解禁すると、日本の作品が最大40%のシェアを占めるというのが韓国側の試算だ。一方、この自由貿易の時代に外国商品を禁じるべきではないという意見もある。韓国も悩んでいるのだ。
 だが、この5年間を振り返ると、日本文化を受け入れたことが日韓の競争や交流を促し、韓国文化は打撃を受けるどころか、かえって元気になったのではないか。

 朝日新聞は間違ってはいない。のんきなだけだ。日本の大衆文化の威力がわかれば、もう少し踏み込んだ議論になっただろう。江戸時代から鍛えられてきたこの脱知性化の文化はハッチントンが単一の文明と勘違いできるほどに強力だ。
 それが韓国の大衆意識を席巻するのはわかりきったことだ。だから、朝日新聞がいうような経済の問題ではない。まどろこしい言い方だが、日本文化が韓国の文化をつぶすという関係ではない。日本の大衆文化は日本の国家性を越えている。むしろ韓国アニメや韓国の大衆音楽はアジアでの興隆という点で日本を抜いている。エネルギーが再注入されたかのようだ。そして、それが韓国の大衆文化だと思いこむ人もいる。もちろん、そう思って悪いわけではない。
 で、何が問題? いや、問題などない。偽悪的に言えば、日本文化のレプリカがアジア諸国で興隆し、それぞれが自身をオリジナルだと主張してなにが悪いだろう。「プッカとガル」(参照)で素直に笑っていてもいい。欧米の大衆文化すら同様に日本の大衆文化は圧倒してきたのだ。アッパレ日本と言っていいくらいだ。村上隆を超えるアーティストも韓国から出るかもしれない。
 だが、小声で空虚に向かってつぶやこう、本当は違うぞ、と。日本の大衆文化はある種の病理を含んでいる。村上隆のアートはその危機の緊張を含んでいる。深い知性ならそれを忌避して当然のなにかだ。

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コメント

今の日本の漢字はGHQによって
破壊されたと書いておりますが、それはちょっと間違っていると思います。

本当のところは、GHQを隠れ蓑にした一部の日本人(所謂国語国字改革論者)が
戦後のどさくさに紛れて現在のような中途半端な国語改革を行ったのです。

彼らにとってGHQによる日本占領は最初で最後の絶好の機会だったんですよ。

投稿: ブリブリオ | 2005.11.15 14:16

鍛えられたのは江戸時代からだけれど、重要な一歩を踏み出したのはおそらく平安末期の法然上人からでしょう。先蹤は、源氏物語にも萌芽があるかもしれません。

「深い知性」は、法然上人や日蓮大菩薩は受け入れても、南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経に停滞することは忌避します。

それでも、中国の仏教はいまやほとんど念仏禅です。中国でこれから、天台や唯識や華厳を回復するのは絶望的に不可能といってよいでしょう。

大衆文化は病理を含んでいても、お釈迦様はまだ日本人にくもの糸を垂れてくださっているのです。「深い知性」は、カンダタになってはいけません。

投稿: 脱知性化の文化 | 2009.01.15 16:15

ハッチントンが単一の文明であると誤解した、と考える、ということは、日本は、いわゆる儒教文化圏、より正しくは道教文化圏と考えるいうことです。

そう言われると、日本は、中国の唐の時代の文化が残存できている筋金入りの道教文化圏なのでしょう。

ただ、朱子学の受容を考えると、中国、朝鮮、ベトナムでは、社会機構の構築原理だったのに対し、日本では、単に道徳と教養にとどまったようなので、やはり、日本は、道教文化圏としては異端です。

それから、朱子学も、陽明学も、中国の儒者たちは、禅の影響を受けていて、香をたいて静坐して、神秘的知覚力を獲得するための瞑想行に熱中していたらしくて、すごく道教的なのだけれど、日本の朱子学と陽明学は実証的で実学重視の技術的知識の鍛錬の側面が強くて、「本来の」朱子学、陽明学とは異質みたいです。

まあ、道教文化圏のようでいて、道教文化圏になりきれないヌエみたいな存在が日本だったので、何とかいびつな近代化、より直接的には西洋化が可能だったのだろうと思います。

投稿: enneagram | 2009.04.12 09:01

中国では仏教が極度に道教化して、その終点が禅と浄土なのだろうと思います。

面白いのは、欧米人は、もともとのインドの仏教よりも、日本人が持ち込んだ極度に道教化した禅仏教のほうをありがたがったし、おもしろがったということです。インド人でさえ、ジャイナ教徒の和尚ラジニーシみたいに、禅がブッダの教えを正しく継承していると言い出す人まで出てきました。

それで、日本の近代化、西洋化なのだけれど、これも、西洋文化の道教化なのだろうと思うのだけれど、こっちの方がもともとの西洋文化より世界で受けているみたいです。

ユダヤ思想やギリシャの思想やインドの思想には遊び心がないのだろうな。道教はこの点は豊富だろうと思います。それと、日本人の優れた美意識ですか。大衆レベルで美意識が発達している地層が厚いので日本文化は世界で受けがよいのだと思います。

投稿: enneagram | 2009.04.12 09:14

サミュエル・ハンチントンが日本文明を単一文明と勘違いした、と言う点で、また発見がありました。

ハンチントンは、宗教の違いで、西欧文明と東方正教会文明とラテンアメリカ文明を分ける人ですが、日本と中国では、宗教については、目立った差異があるんです。

調べてみてわかったのだけれど、天台教学というのは、そんなに無理しなくても、大乗仏教としては、中観派にくくれるのだそうです。

朝鮮は唯識系華厳仏教の後は朱子学だし、中国は唐の時代の唯識隆盛の後に廃仏をして、その後は仏教の道教化が急速に進行していったのだけれど、日本では、9世紀のはじめから19世紀の半ばまで、天台座主が直接政治権力の頂点に立つことは無かったけれど、その千年の長きに渡って、中観派の仏教教団が、日本の最高の知的霊的権威と国家的宗教権力を事実上独占していたようなわけなんです。

天台座主が最高政治権力ではなく、輪廻転生してもいないけれど、密教を摂取した中観派の仏教教団が山にこもって日本国を壟断していたわけで、中国と言うより、チベットに似たような状況です。しかも、サンスクリット原典こそ使えなかったけれど、天台密教でも梵字悉曇は学習していたし。

中国には、中観派仏教教団が百年単位で有力だったことなど無かったし、日本の天台宗の歴史は、間違いなくチベットのゲルク派の歴史より長い。もちろん、日本の天台宗は、チベットのゲルク派と違って、中国の皇帝の帰依を受けるようなことは無かったけれど。

そんなわけで、まちがいなく道教文化圏の日本は、宗教だけをとれば、中国とは、たしかに、西欧文化圏と東方正教会文化圏と同じか、それ以上に違うと思います。

むしろ、驚くのは、チベットと日本が、血と肉と皮はひどく異なるのに、骨格が不気味なほど似ていることです。最澄上人もツォン・カパも、自身が真理と思うところに向けて自身の人生を投企したのだけれど、ひどく似た民族指導を行って、自分の民族の文化を中国文化から乖離させていったようなのです。

投稿: enneagram | 2009.06.22 13:30

すいませんが、ここにもう1つコメントを入れさせてください。

本日、東京国立博物館の特別展「染付」(そめつけ:青色の彩文のある白磁のこと)を見てまいりました。

ベトナムや朝鮮の染付も独特だったのですけど、少し驚いたのは、どうも、江戸時代の日本の伊万里や鍋島の染付は、清朝の中後期の染付の作風を、先取りしているもののようなのです。陶磁器の素人の私が、しっかりした検証もせずに、漠然とそう感じ取ったというだけなのですが。

伊藤仁斎の古学や契沖の万葉集研究が中国の清朝考証学を100年くらい先取りしているという話はよくなされますし、おそらく、現代日本も、現代中国をたぶん50年くらい先取りしているのだろうと思います。

たぶん、17世紀のどこかの時点(ほぼ江戸時代の元禄年間)からなのだろうと思うのですが、日本の文化は、中国の文化を50~100年先取りするようになってしまったみたいです。

何が原因かはわかりません。そのころ都市が発展して、大衆文化、いわゆる町人文化が栄えるようになったからかもしれないし、そのころ、いままでは、修験道から仏教を差っ引いたものか、日本書紀の訓詁的研究や注釈の別称に過ぎなかったような神道が、国民を統合する高等宗教へと歩みを始めたからかもしれないし、諸産業の発展のために通貨の流通量が激増したからかもしれないし、いろいろ考えられることはあると思います。

ただ、17世紀ころから、どうも、日本のほうが中国よりも文化先進国になってしまったようではあります。そして、なにが原因なのかはわたしには明確につかめていません。でも、思い付きを1つ申し上げると、そのころ、日本は、いくつかの産品について、全国市場の成立が可能になったのではないか?と推測されるのです。そして、日本の全国市場は、中国のどの地域市場より市場規模がはるかに大きかったのではないか?と考えています。

そうなると、中国全土が単一市場になる中国商品が外来商品を圧倒する中国が成立すれば、中国が、世界最先端国に返り咲けるという推論が成り立ちます。ただ、インターネットによる世界単一市場化時代にこういう議論が意味があるかどうかはわかりません。それでも、貿易の保護政策もまたなくなることもないでしょう。

投稿: enneagram | 2009.07.14 12:28

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