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2003.09.18

名古屋立てこもり事件とは何だったのか

 産経新聞社説が名古屋の立てこもり爆破事件を扱っていたが、これが奇っ怪なシロモノだった。以下引用の内容は完璧にゼロだが、「ガソリン」にまつわる醜い修辞に注意してもらいたい。


 爆発原因はまだ、明らかでないが、揮発性の強いガソリンのようなものをまいたため、密封された部屋にガスが充満、何らかの原因で引火し爆発、炎上したらしい。
 事件後、警察当局は爆発は想定外の出来事だった、としている。確かに人質をとり、ガソリンのような油をまいたことで、警察官の強行突入は、困難を極めた。しかし、防ぐ手段はなかったのだろうか。
 犯人がビルに侵入してから、爆発、炎上までに約三時間あった。警察は、犯人を説得しながら、突入の機会をうかがっていたが、ガソリンのようなものを床にまいたうえに、「近付いたら火をつける」などと脅したため、強行突入は危険な状況だったという。

 なんだこれ。執筆時点で「ガソリン」と断定できないから「ガソリンのようなもの」になったのだろうが、バカみたいだな。と、またバカの壁現る。というわけで執筆者を思いやってみても、なんだかなぁである。バカでなければ文章が抜本的に下手くそということか。常識的に考えれば、ガソリン以外の類推は成り立たないのだから、もう少し踏み込んで書いてもいいはずだが、それができなかった産経新聞の体制は大丈夫か。
 ただ、この「ガソリンのようなもの」は産経新聞をコケにして済む問題ではなく、今回の警察の対処も似たようなものだったのかもしれない。すでに爆破後に「ガソリンのようなもの」とする産経新聞はさておき、爆破前の警察としては「まさかガソリンじゃねーべさ」と思っていたのだろうか。日本のガソリンのハイオクタンはヨーロッパ高級車向けに出来ているほど危険。質の悪いアメリカのガソリンですら、「ガススタンドで携帯電話をすると爆破する」ってな都市伝説(参照)がまかりとおるほどだ。これらは携帯電話の注意事項からでっちあげられたホラなホラーだが、危険認識として誤っているわけではない。
 実際のところ、今回の「名古屋立てこもり事件とは何だったのか」と再度問いを出してみると、世間は犯人像や爆破映像に関心を持っているようだが、事件の本質は警察のガソリン認識と対処のミステークっていうことになる。
 事件を伝える17日の読売新聞のニュースでは見出しに「揮発性油は想定外、特殊部隊投入できず…ビル放火」とあり、警察がガソリンを想定できなかったかのような印象を与えているが、ニュース内で言及されているのは次のとおりなので、見出しのボケだ。

揮発性の高い油をまかれたため、爆発につながる特殊せん光弾を使った強行突入ができないという想定外の事情も影響したとみられるが、警察幹部たちはショックを隠せない。

 警察はガソリンと認識していたけど、「特殊せん光弾が使えないのかつまらーん」とか思案していただけだったということになる。と書きながら、この手の短絡的なアホーな思考はセンター試験以降の世代に多いんだよなと、密かに思う。こいつらが根本的にわかってないのは、現場というのは最善のソリューションなんか求めていないっていうことだ。求められているのはソリューションだけで、それに修飾語はいらない。テメーの体を張って問題をとにかく解決する能力が実務家には必要なのだ。という能力が警察に欠落してきているのだ。
 今回のニュース報道をみるかぎり、そうした問題(つまり、被害を出した原因は警察だぜ)ということが薄められていくあたりも、ジャーナリズムもセンター試験以降の世代に溢れているのだろう。と、世代論に話を堕すと時事ならぬじじい臭い暴論になるが、でもよ、現場たたき上げの中高年よ、がんばれ。

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