朝日新聞社説「貧困撲滅――小泉さんも、菅さんも」の内容はくだらない、というか左翼の知性も劣化しているなというだけなのだが、世界の貧困について最近気になっていることがあるので少し書いてみたい。話の分類は「環境」ということだが、私はエコ派ではないが、偽悪的にならなければ、環境に関心を持っているのは確かだ。
朝日新聞社説の冒頭を読んで「あれ?」と思った。こういう言い方がまだ通用するというか、まだ一般的な社会言説なのだろうか。
地球上の5人に1人、約12億人が1日1ドル(約112円)未満で暮らすという極貧にあえいでいる。その割合を2015年までに半分にしよう。5歳未満の子どもの死亡率を3分の1にし、すべての子どもに初等教育を保障しよう。
今さらバカなこと言うなと言われそうだが、貧困とは何か? ちょっと率直に朝日新聞に訊いてみたい気もする。この文章を読む限り、その12億人の生活費を5ドルくらいまでアップすればいいのか? この先の文脈をみると、そうとしか思えない。
覚えている方もおられるだろう。3年前の9月、21世紀の幕開けを記念する国連首脳会議で宣言されたミレニアム開発目標(MDG)の一節である。戦乱と破壊の前世紀を反省し、先進国と途上国が力を合わせて、地球を揺るがす根源の問題である貧困に取り組むことを確認し合ったのだ。
曖昧に書いてあるが、このおり日本は貧困撲滅などに数値目標が必要だとしているし、この話は今回の朝日新聞社説にも盛り込まれている。で、よーするに「金」ということなのか? つまり資本主義的なマーケットを否定してただ贈与せよ、と。政治的にはアホーな坂本龍一なんかも政治的には悪辣な浅田彰の尻馬にのって、第三世界の債務を消せなんて言っている(だったかな、浅田彰はそんなしっぽは出さないか)。おい、それでいいのかという感じだが、ボケまくってしまうちと手前の吉本隆明など明確に贈与しろと言っていた。そんなのが世界システムなのか? ウォーラスティンはなんて言っている…って、ウォーラスティンみたいに国際間の労働力の移動を無視している左翼っていうのは実際には労働者を国家経済に収監するアホーなんだが。
くさしが長くなったが、単純な話に戻して、貧困という問題はそういう先進国からの贈与ということなのか。違うだろう?
朝日新聞社説の冒頭の話に戻れば、死亡率や初等教育の充実も含まれている。それらを贈与に還元することが「貧困」の問題に取り組む知性にとって想像力という最大のツールを無化させてしまう。もっと言う、あえて言う、「貧困」が先にあるのではないし、「貧困」に問題を収斂することは間違いなのではないか。貧困は世界の貨幣経済のシステムの、おそらく必然的な従属だろう。そうではなく、福祉と教育を従属させ、かつ伝統文化と伝統社会のとの整合を必要とするなにかが求められている。極論すれば、貨幣はゼロでも人が幸せに生きられるシステムはなにか?
補助線を引きたい。通常、貧困というとき、思想的なたくらみとしては上のように貨幣経済の問題に還元されるが、イメージとしては「飢餓」がある。今、世界はどれほど飢餓に瀕しているのか? 数字的には10億人定度ではないか。ところが、世界の肥満の人口は20億人近い(IOTFによればBMI25以上は17%)。WHOは肥満を発展途上国も含めた世界規模の疫病だとしている(
参照)。
これはいったいどういうことか。単純に考えれば、現状の世界の食糧をシェア(共有)すれば問題は一気に解決するのではないか。また、現状の肉食を菜食にシフトすることで、人類の食料はもっと増えていくはずだ(
参照)。だが、反面飢えを短期間で満たすには工業化された食品のほうが簡単だ。実際、発展途上国では伝統的な食ではなく工業化された食の優位ということが起きている。
暴論に聞こえるかもしれないが、食のシェアが進まないことや食の内実が変化しない理由は、世界の一部があたかも資本主義のように富を独占しているからではないだろう。人類全体の食のシステムが人間に合っていないのだし、その間違いは先進国だけにあるのではなく、未開発国にも潜在的にある。
さらに暴論を重ねるようだが、同じことが初等教育にも内包されている。先進国の教育モデルは人を幸せにするだろうか。日本のように初等教育が完璧になった国ですら社会正義の意識は大衆に根付かない。おそらく医療にも同じ問題含まれているだろう。結核を根絶した20世紀の医療で、実は医療は終わっている。医学の先端は医療から乖離するのがその本質なのではないか。「患者の孤独」(柳澤桂子)を多くの人に勧めたい。現代の最先端の医療が町医者に及ばないのだ。
朝日新聞社説はミレニアム開発目標に触れてこう言う。
だが、あの時の思いとは裏腹に、その後も世界は戦禍にまみれ、世界貿易機関の新ラウンド交渉の決裂が象徴するように、南北の亀裂はむしろ深まっている。
貧困の問題は南北問題なのか。アホーだな。いやアホーならまだいい、結語の朝日新聞社説の「ユーモア」に私は精神の邪悪を感じる。
残念なのは、欧州や米国で援助をめぐる国際会議となれば熱心な国会議員たちの姿があるのに、日本ではまだまだ少ないことだ。小泉さんも、菅さんも、世界のことをもっと考えて行動してみませんか。
だったら国連の負担金を減らしてそっちに回せば名案だな(
参照)。
この問題は朝日新聞社説が言うほど簡単じゃない。嘲笑されるのを恐れずに言えば、世界の各位置に置かれている人々が今どうやったら幸せに生きられるかをそれぞれ問い、そのための基礎条件を静かに広げていくことだけが、「貧困」に覆われているものの解決になるだろう。議論が荒くなるが、肥満を例にしても、そこには心の貧しさがあるのだ。また、肉食(屠殺)を工業生産に組み込む残虐さがあるのだ(菜食になれという単純な意見ではないが)。自然保護や環境保護を言う前に、私たちの内面に幸せと優しさがなければ、事はイデオロギー主導では解決しない。なのにその善性を吸い取る偽善のイデオロギーが罠のようにあちこちに存在する。