日本は自由貿易協定(FTA)を推進できないだろう
今朝の朝日新聞の社説は少し意外な感じがした。「新ラウンドとFTA――戦略なき漂流を憂える」というタイトルで、日本が自由貿易協定(FTA)を推進するようにけしかけているのだが、なぜ朝日新聞がという思いと、なぜ今頃かという思いが交錯する。反米ならなんでもありの朝日新聞という冗談でもないようだ。朝日新聞の思想的な偏向は経済面では単に旧来の左翼という枠から抜けて、なにか奇妙なものになりつつある。
世界貿易機関(WTO)の多角的貿易自由化交渉(新ラウンド)は、10日からメキシコ・カンクンで閣僚会議を開く。05年初めの交渉期限までに完了できるかどうかを左右する重要な会議である。
日本とメキシコの自由貿易協定(FTA)の交渉も、10月半ばの合意をめざして詰めの協議に入る。日本がWTO重視からFTAも推進する方針に転換したのは90年代の終わりだ。欧米に比べ周回遅れである。中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)もFTA交渉を進めている。このままでは、日本は置き去りにされかねない
すらっと読むとあまりに古くさい日本孤児論の焼き直しに過ぎないのだが、背景はもう少し複雑だ。まず、中国の世界経済戦略としてのFTAに朝日新聞は対抗しようとしているか、それとも中国の戦略に乗っかれというのか、よくわらない。恐らく、そういう単純な政治的な読みの問題だけでもなさそうだ。
すでに日経新聞では8月25日に「『FTA大競争』に後れをとるな」として、経済界サイドからの推進を主張している。社説としては、朝日新聞より明快だし、結論も単純だ(参照)。
東南アジア諸国は先進技術を持つ日本企業の誘致も念頭に日本との協定を強く望んでいるといわれる。日本にとってそれは景気回復や国際競争を通じた構造改革に役立つだけでなくアジアでの発言力向上にもつながる。ひと握りの人々を手厚く守るため国益を犠牲にしてはならない。
これに比べると、朝日新聞の結論は高校生の作文でしかない。
日本にとっては願ってもないチャンスなのだ。内にこもるだけの姿勢から脱し、自由化によって新たな市場を獲得するとともに、それを国内改革にも結びつける。海外からの直接投資を増やし、雇用の増加やデフレ不況の克服にも役立てる。
そうした構想力に裏打ちされた通商戦略が、いま求められている。
だが、日本社会の現状から考えて、朝日新聞の意図とは違うが、実はこのFTAがもたらす「国内改革」が問題になるだろう。というのも、東アジアにおけるFTAの影響は、経済活性・雇用増加・デフレ克服といった脳天気なことではない。なお、ここでは、日本の農業の問題については触れない。表面的に愚劣極まるということもあるが、子細に考えると難し過ぎるからだ。
FTAを日本は推進すべきだろうか? 思想的に考えていけば、あるいは世界の情勢を見ていけば、推進以外の答えはない。だが、そのときの日本の光景が見えてこない。
すでに日本ではシンガポールとの間でFTAを締結している。そのサービスの貿易についての子細な内容はなかなかの代物だ(参照)。大学の間で単位交換を認めることや医療の看護業務の認可なども含まれている。本当かと思うような内容だ。
その「本当か?」と感じる自分の日本人の感性がまさに問題なのだ。現状では国民の少ないシンガポールが対象だが、これがフィリピンに拡大されれば、福祉関連で多くのフィリピン人の受け入れが可能になる(余談だがフィリピン人の大学教育の普及率は高い)。そういう社会を我々はすんなりと受け入れているのだろうか。
もちろん、良い悪いといった問題ではない。古くさい日本の国際化議論だの、海外労働者の認可という3K的なイメージの問題でもない。我々の社会において、特定の技能を必要とするサービスをアジアの人に向けて、さらっと開放できるのか、という問題だ。
理詰めで考えればできそうなものだが、そういう状況を我々は受け入れるのだろうか。すでに日本の国際結婚は22組に1組、東京都では10組に1組になっている。我々の身近に国際結婚の家族が数字の上では露出しているのだが、それをおそらく我々は実感していない。奇妙な形で不可視にしているのだ。差別といった単純な問題ですらない。
日本は日本社会の感性に受け入れられない物を暗黙に不可視にしてしまう。この奇妙な力が日本のFTAもまた不可視に追い込んでいるのだろう。
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