国立大学法人化は当然のことだ
毎日新聞社説「国立大学法人 力尽くして『良き法人』に」は、なんだか間抜けなトーンが漂っていた。
大学関係者は力を尽くしてほしい。文科省には自制を求めたい。
呆れて脱力するしかない。制度と運用の違いがまるでわかっていない。問題は制度であって、運用で改善するということではない。
国立大学法人化について簡単に触れておきたい。ちょっと変わった意見に聞こえるかもしれないが、まず重要なことは、国立大学法人化が日本の市民社会にとってはまるで問題になっていないということだ。騒いでいるのは関係者たちだけ。つまり、国立大学関係の人たちだけだ。ちょっと下品な言い方をすれば、「そーゆーあんたらが問題なんだよ」ということだ。
なぜ日本人は大学制度に関心をもたないのか。そういうと嘘のように聞こえるかもしれないが、日本人は、大学名で識別され社会グループを形成するための学歴だけにしか関心を持っていない。社会が脱知性化されているという特殊な社会だからもしれない。実際のところ、現状、これだけ大学制度が機能していないのに、社会に弊害はなく大半の市民も知性のありかたになんの関心をもっていない。
大学関係者たちが一番知っているはずだが、現在の大学生の知的レベルは低い。もっとも、まともな知的教育を受けていない全共闘世代が社会の中心的な位置を占めている現在、問題にならないのも当然なのだろう。あまり高踏的に言うのもよくないのかもしれないが、国際社会である程度の知的レベルが必要とされる場を覗いた人間なら日本の大学教育が知的な人間を育成するという点でまったく意味をなしていないことを痛感しているはずだ。単純な話、日本の大学では国際的にある大学との単位の交換すらできない。最近民族系の大学の入試資格がさも問題になったが、実態はくだらないイデオロギー闘争だった。誰もSATやACTについて触れていないことからでもわかる。
言いづらいことだが、現在の大学の経営が教授会によっている現体制には大きな問題がある。その点だけでも、今回の国立大学法人化には意味がある。
日本はこれから少子化に向かう。すでに現状の日本では多くの私大の大学入試は実質廃棄されている。そんなものが大学なんだろうかという惨状だ。
エリート教育という意味ではないが、国際的に意味のある知的な層を作り出す社会システムは社会にとっても必要だ。国立大学にその可能性を与える契機として国立大学法人化は悪くない。
さらに言えば、本来は歴史的に見れば大学とは私学であるべきだ。諸外国の現状ではアメリカですら私学は少ないという意見もあるが、知的なレベルで大学を見ていないからだ。私学こそが知的な独立の伝統をもちえている。
[コメント]
# shibu 『実学って分類がいいのかは知りませんが、例えば経営の経験ない人が経営学教えるとか、刑務の実際知らない人が刑事政策教えたりはまずいでしょ。同じく軍事や外交の知識の無い人が憲法論じちゃったんで変なことになっている。やっぱり実業界との人事交流(行き来)がないとダメだし、一旦教授になっても10年同じノート読んで時間潰してんじゃねぇ。』
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コメント
はじめまして。
R30さんのところでこちらを知りました。こちらの記事に言及した記事を書きましたのでトラックバックしました。
投稿: shig | 2005.02.01 23:43