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2003.08.27

憲法改正は無意味

 日経を除いて大手新聞の社説が今朝はこぞって自民党の憲法改正案の動向を扱っていた。産経は右よりというだけで内容はない。朝日は「首相自身の過去の発言や最近の自民党の動きを見れば、主眼が9条の改正に置かれていることがはっきり見える。 」と悪文の上、またこの話かよ、だ。読売はナベツネの意向で大はしゃぎが醜悪。毎日は「経済打開が最大課題の時に、国論を二分するような論議に首をかしげる人々も多いことを、首相は直視しなくてはいけない。」というが、そのあたりが一般の人の感覚だろう。

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痛快!憲法学
 日本の憲法は小室直樹の考えをうのみにするわけではないが、成文法としてみれば「死んでいる」。そもそも憲法は成文法だけをさすわけではない。憲法は本質的には慣習法であり、実際戦後の歴史で解釈改憲を行っているので、いまさら成文法に手を付けるとすれば、解釈改憲の歴史推移を明文化するしかない。しかし、その必要すらない。解釈推移の便覧があればこと足りる。
 憲法の問題といえば、朝日が条件反射するように戦争放棄だと九条だのということになるが、この手の条文はオセアニアの島々の小国なら盛り込まれている。もともと米国は日本をオセアニアの小国のようにおとしめたかったのだろう。
 国家と市民は本質的に対立するのだが、その際、国家から市民を守るための装置が憲法だ。国際平和などは二次的な意味しかない。日本における憲法の問題は、その装置が明確に機能できないことだ。さらに、日本の憲法は最初から国民的な統合ができないようにしくまれている。例えば、大統領制度と国民投票は事実上不可能だ。いかんともしがたい。現状の日本国憲法は日本国民の意思を明確にさせない装置であり、その運用の歴史を見れば国民はそれを是認している。日本人は国家としての意思はもたないというのが憲法以前の原則であり、実状でもある。
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うるさい日本の私
 否定的に響くだろうが、この状況で日本国だの国家だのという問題は考えるだけナンセンスだ。具体的な日本の市民社会を充実するための、小さな装置を作っていくほうがいいだろう。他国の憲法を見ればわかるように、憲法は市民生活に密着した規則の根拠となる原則だ。市民の健康なども重視されている。本来憲法とはそういうものであって、理念だの平和だのといった抽象的な問題ではない。日本では、そうした本来の憲法が機能できないのだから、機能的に等価な疑似システムを作り、市民社会の質を高めるしかない。
 単純な例でいえば、中島義道がいうように、うるさい日本を静かにすべきだし、公共の空間に美的な秩序を求めることだ。自転車の放置やその無法な運転(軽車両が歩道を走るなよ)といった具体的な問題を解決する装置を作り出すことが、生活に密着しているという点で本来の憲法の代替たりうる。

追記:日経は翌日このテーマを扱っていたが、つまらなかった。

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# shibu 『そうですよね。なんも最高裁判所の判例がどうたら議論する以前に、行政の単なる一部門の内閣法制”局”なんてところが勝手なこと言ってるだけなんで、見の程知ってねと首相が「はい!今日からこれこれでいきます。」ってなことで、あんたの役目はこの方針を格好よく飾り立てることですからね、できないなら他の人にやらせます、でいいんじゃないですかね。それについても「国会の承認を得たい」なんて安倍さんいってるようですけど、不要でしょう。』

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