照射食品導入には食品ラベル明記を
読売新聞社説「食品と放射線 タブー視せずに議論を始めよう」の内容な陳腐なものだったが、この問題を広く社会問うという意味では有意義なものだった。主張は簡単だ。現在日本ではじゃがいもの発芽抑制を除いて照射食品は禁止されているが、これを緩和せよということだ。
照射食品の導入に慎重な日本とは対照的に、国際的には照射食品の規格をさらに緩和する動きもある。日本だけがタブー視して済む問題ではない。
照射食品がタブー視されるのは、食品の安全性として問題点をあげつらう団体が多いからだ。だが、その批判点は大半が「買ってはいけない」レベルの低次元なものであることは、照射食品がWHOで認可されていることでわかる。きちんとしたルールで実施するなら、食品の安全性にはまったく問題がない。
では諸手をあげて賛成するべきだろうか。私はそうは思わない。また本当の食の可能性が奪われる機会を増やしたくはないからだ。食は人間が生きる上で必要であるとともに、芸術的な感動をもたらす喜びの源泉でもある。飢えを満たすのでなければ、そこには繊細さが求められる可能性を残しておくべきだ。照射食品が一律に認可され、食品ラベルに明記されなければ、その繊細さを求めることはまた一層困難なことになってしまう。
照射食品におけるビタミンB1の破壊など、冷蔵によるビタミンCの減少と変わらないとするような、食を餌と見る視点こそ拒絶したい。
特に照射食品推進派の語りで気にくわないのは、読売新聞社説の修辞的な誘導だ。
香辛料の産地は衛生管理が不十分な途上国が多い。付着している多数の微生物を除去するのに放射線は効果的だ。一方、日本では加熱処理が続けられている。これでも殺菌・殺虫はできるが、香辛料の香りや色は劣化してしまう。
こうした修辞にだまされてはいけない。香辛料は大量に人間が摂取する可能性は少ないのだから、照射食品とする適正が高い。だが、この例だけから他の食品も右にならえ、とはいえない。
求められるのは、照射食品の段階的な解禁と食品ラベルの詳細化だ。
| 固定リンク
「社会」カテゴリの記事
- LGBTが子供を育てられる社会を(2018.07.25)
- 誰かと一緒に死にたいけど恋ではない何かについて(2018.07.16)
- 江戸川区ツイッター集団自殺事件で思ったこと(2018.07.15)
- 「平成30年7月豪雨」災害で思ったこと(2018.07.13)
- 文部科学省前局長佐野太容疑者は無罪だろうか?(2018.07.11)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント