2019.08.17

「趣味は何?」

 「趣味は何?」と聞かれることはなくなった。交友関係が狭いこともあるが、そういう問いかけが必要な人の出会いというのがなくなったからだ。それは、さみしいことだとは思う。若い頃に、そう聞かれることがあったかというと、まあ、あった。それで、なんて答えていたか。思い出せる。読書、とか言っていたような気がする。あるいは、音楽鑑賞。思い出すと、苦笑するしかないな。そんなの趣味じゃないだろ。
 改めて自分の趣味ってなんだろと考えると、特にない。しいていうと、「言葉」だろうか。言葉への関心というのは、俗ラテン語における対格とか。いや、我ながら年をとったなと思うのは、そうした「言葉」への興味をあまり抑えなくなってしまったと自覚するときだ。もう少し若い頃は、そんなことに興味をもつ自分って、どっかおかしいだろうとそれなりに思っていて、ちょっと自制する感じもあったものだ。が、もう自制できないのだ。興味が抑えられない。つまり、こういうのも老いというものだろう。そして思うのだ。
 年取って趣味の対象が、「言葉」というのは、無難だ。これが、「少女」だったら、ちょっとやばいんじゃないか? やばくないか。いや、やばいだろ。違うな、やばいかやばくないかの境界は、対象じゃなくて、その関わり方だ。たとえ、年取って興味の対象が「少女」であっても、その関わり方がやばくなければ、そうやばいものでもないだろう。少女との関わりかたがやばいと、まずい。たとえば……
 と書きながら、うすうす自分の隠された趣味に気がつく。隠されてないか。いかんなあと思う。ふと、見も蓋もないアイロニーを思いついて、にやつくことだ。きもいな。でも、それもどうやら、私の趣味なのだ。
 幸い、それを眼前の人に語って困惑させるというほどの執着はない。世の中、見も蓋もないアイロニーを人前で開陳しないと気がすまないという人だっているのだ。その点、私はけっこうお行儀いい人間なんじゃないかな。でも、ツイッターはいいぞ。振り返ってみると、頻繁に見も蓋もないないアイロニーをつぶやいている。たとえば。

 甲子園は、炎天下苦痛を与えて、48校の敗者を生み出すしくみ。

 どう?
 大丈夫。わかっている。こんなの別に、人を困惑させるほどの、見も蓋もないアイロニーじゃない。ひねりも毒気も足りない。ちょっと、趣味がよろしくない。悪趣味という趣味ではあるが。正確に言うと、苦痛しのぎの悪たれである。
 こう延々と甲子園大会なるものが開催されているのは、自分にとって苦痛だ。なぜ? 私は、NHKのテレビ番組を録画して見るという人なのだが、これが、あれだ、甲子園大会によって、devastated という感じになる。録画壊滅。それも些細なことではあるが。さっさと終われ、甲子園大会。どこが勝とうが、沖縄県以外関心ねーから。
 と思いつつ、録画ミスされた甲子園大会の断片をちら見しつつ、この子たち、なんで炎天下で苦痛を与えられているんだろうか。運動したければエアコンの効いた体育館でフットサルでやったほうがいいぜ。とか思う。それに、君、負けるから。あー、君も君も。負ける。なんのためにこんな試合をしているかというと、負けるためにやっているんだろ。甲子園は、炎天下苦痛を与えて、48校の敗者を生み出すしくみなんだ。と。
 自分がいやになるな。どうでもいいじゃんそんなこと。
 そして、それはそれでどうでもいいやと思いつつ。そもそもコンテストというのは、100人参加したら99人の敗者を生み出すしくみだよなと思う。なんでこんなことするんだろうか。愚かしいな人間というものは、と思うが。それでも、上位6位くらいになればいいんじゃないか。まあ、このくらい負けたけど、このくらい勝ちましたという、心理的な報酬がある。その報酬感が微妙に敗者を救っているのだろう。
 そして、私は美人コンテストの二位という人のことを思い浮かべる。一位の人がいなければ、その人が一位になれたはず。勝者だ。それに美人コンテストで二位ならそれはそれですごい美人じゃないか。二位でもいいぞ。そして思うのだ。一位はどんな人だっただろうか?
 ああ、ゲスい。
 なんてゲスいことを考えるのか。ゲスいついでに言うと、美人コンテストの結果発表を見るたびに(見るのか?)、一位、間違ってんじゃね、この五位の子のほうが美人じゃね、それなら、わかるからね、五位の娘、彼女が一番美人だって。き・も・す・ぎ。
 そういえば、昔、AKBで誰が好きという大喜利にちょい参加した。もちろん、僕はAKBの女の子の区別がつかない。最近の乃木坂なんらとかなんたらなんたらとか、女の子の顔の区別がつかない。うーん、エミリア・クラークに似た子とかエマ・ワトソンとかに似た子はいないの。いねーよ。
 ということで、そのおり、「この子、かわいいんじゃね」とポイントしたのが、「板野友美」。
 そして、その、なんだろ、その場の白け感。え? え? なんかまずいこと言ったか? 私の趣味は見も蓋もないないアイロニーをつぶやくことだが、意図してやって、自分でにやつくのがいいのであって、たくまざるというのは、ちょっとな。
 まあ、そういうことだ。どういうこと? これでオチなの? まあね。

 

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2019.08.16

[書評] Think clearly 最新の学術研究から導いた、よりよい人生を送るための思考法

 もし、このブログの記事をいくつか読まれていて、まあ、このブロガーが強く推す本があれば買って読んでみようか、という人がいたら、これ。『Think clearly 最新の学術研究から導いた、よりよい人生を送るための思考法』。さらに推すと、騙されてもいいかなと思えるなら、ぜひ。
 なぜ推すかというと、ああ、これ読んでよかった。もっと若い時に読んでいたらよかったと僕は強く思ったからだ。

 

 本来なら、どういう本なのかという話をして、その話で推すというのが正しいありかたなのだが、そこがちょっと微妙な本なのだ。
 それでもまず、どういう本なのか、というと、自己啓発書の類である。副題もそれっぽく、そしてサンマーク出版らしく「最新の学術研究から導いた、よりよい人生を送るための思考法」としている。が、実際のこの本は、それほどでもない。また、人生が上向きになる「思考の道具箱」とかいう売り文句もあるが、それも間違いではないが、ちょっと違う。
 じゃあ、なにかというと、52個のいわば人生訓のノウハウがあるのだけど、おそらく、一読して読者の心に響くのは、そのうちの2、3個くらいかもしれない。でも、その2、3個が、かなり決定的だろうと思うのだ。そう、僕は思った。こういうタイプの本は珍しい。で、率直なところ、けっこう影響受けた。
 で、その2、3個以外はただのネタかというと、微妙な関連や、あえて言えば、矛盾もあるのだけど、読書の感触として楽しいのだ。これは、アランの『幸福論』に近い感じがする。
 とっぴな比喩でいうと、おでん鍋のような本なのである。
 酒のつまみにしてもいい、おかずにしてもいいし、ちょっと友人とだらだらとつまむのにもいいし、残り物でもおいしいしみたいな本である。まあ、そんな感じ。
 僕はたまたま書店で見かけて、ちょっと立ち読みして、ふーん、と思い、出版社見て、うへぇと思って置いたが、少し心にひ引っかかって、はずれでもいいや、えいと買って読み出しら、なかなかよかったのだった。というか、そういう本との出会いもいいんじゃないかと思った。
 あと、個人的には、この本はKindle向きじゃないかと思う。一読したら、ちょっとした合間に再読したくなる本だ。
 原書はドイツ語らしいが、国際的なベストセラーになり、英訳書もある。それとざっと比較すると、別の本かと思ったみたいな差異もなさそうだった。が、サンマーク出版らしい編集は入っている。でも、読みやすい。というか、そのくらい気楽に読めていいと思った。

 

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