2025.03.19

トランプ・プーチン会談とエネルギー施設攻撃停止の背景

 2025年3月18日、トランプ米大統領とプーチン露大統領が電話会談を行い、ウクライナとロシアが互いのエネルギー関連施設への攻撃を30日間停止することで合意した。このニュースは、ウクライナ戦争が始まって以来、初の具体的な緊張緩和策として国際社会に衝撃を与えている。会談は2時間半に及び、トランプが「和平への第一歩」としてこの提案をプーチンに持ちかけたとされる。しかし、プーチンはトランプの求める30日間の全面停戦には応じず、「外国によるウクライナへの軍事支援と情報共有の完全停止」を条件に挙げた。この限定的な合意は、戦闘の根本的解決には程遠いが、両国が疲弊する中で一時的な休息を求める動きと見なされている。
 実は、このエネルギー施設攻撃の停止交渉は新しい話ではない。2024年10月30日のフィナンシャル・タイムズ(FT)を引くロイター報道によれば、ウクライナとロシアは2024年8月にカタール仲介の下で同様の交渉を進めており、合意目前まで至っていた(参照)。

«10月30日(ロイター) - ウクライナとロシアが互いのエネルギー施設への空爆を停止する可能性について、初期段階の交渉を行っているとフィナンシャル・タイムズ(FT)が報じた。情報源は匿名関係者とされている。FTは、火曜日遅くに得た情報源を引用し、その中にはウクライナの高官が含まれていると述べ、ウクライナが8月に合意寸前まで進んだ交渉を再開しようとしていると報じた。この交渉はカタールが仲介していた。»

 当時、ウクライナは冬を前に電力供給の安定化を急いでおり、ロシアもゼレンスキー後のウクライナとの協調から攻撃を控えるメリットを見出していた。しかし、この交渉は突如として頓挫する。その原因として注目されるのが、ウクライナによるロシア領クルスク州への軍事侵攻である。この侵攻が、和平への道を閉ざした転換点であり、むしろそれが目的だったのだと考えることができる。

クルスク侵攻とウクライナ内部の分裂

 ここで、クルスク侵攻の背景について考えてみる。2024年8月、ウクライナがロシアのクルスク州に侵攻したことは大胆な行動であり、この作戦はロシア領内に戦線を拡大した。意外なことにこの作戦の意図は後付の説明が多様であることからも明確ではない。私見では、クルスク原発を「人質」に取ろうとしたものだろう。問題は、しかし、タイミングである。絶妙すぎる。ちょうどカタール仲介の和平的な交渉が佳境を迎えていた時期に、なぜウクライナは、和平的な志向に反する侵攻を決断したのか。ここに、ウクライナ政府内部の分裂という視点が浮かんでくる。合理的に考えれば、クルスク侵攻はウクライナ内部の強硬派が主導したものではないだろうか。彼らは、ロシアとの和平交渉を進める穏健派やゼレンスキー政権の一部を抑え込み、戦争継続を優先する意図を持っていた可能性がある。FTの情報源であるウクライナ高官が「交渉が近づいていた矢先に侵攻が起きた」と述べている点からも、内部での対立が交渉の破綻を招いたと推察できる。強硬派にとって、ロシアとの妥協は国家の屈服を意味し、領土奪還を諦めない姿勢を国内外に示す必要があったのだろう。他方、和平派は戦争の長期化による国民の疲弊やインフラ崩壊を懸念し、エネルギー施設攻撃の停止を足がかりに停戦を模索していたはずだ。
 この分裂は、ウクライナの政治構造や軍事戦略にも表れている。例えば、ゼレンスキー大統領は2024年初頭に軍最高司令官ザルジニーと対立し、彼を解任した経緯がある。ザルジニーは強硬な姿勢で知られ、国民的支持も高かったが、そこから2023年後半の反攻作戦の失敗の責任がとわれた。他方、ゼレンスキーは存外により柔軟(軟弱)な外交路線を模索していたようすも伺える。このような指導層の軋轢が、クルスク侵攻のような大胆な作戦を後押しした土壌を作った可能性は否定できない。

2025年合意への道

 クルスク侵攻で交渉が頓挫した後、ウクライナとロシアの戦闘はさらに激化した。ウクライナ側では、ロシアのミサイル攻撃により電力供給能力の半分以上が失われ、2024年冬には大規模な停電が頻発した。EUのフォン・デア・ライエン大統領が2024年9月に警告したように、ウクライナのエネルギー危機は欧州全体の安全保障にも影響を及ぼすレベルに達している。一方、ロシアもウクライナの長距離ドローンによる反撃から、石油精製所や発電所が被害を被っている。
 以上が、今回の2025年3月の合意に至る伏線となった。トランプ大統領の介入は、ウクライナの疲弊を見越したタイミングでの動きである。2時間半の電話会談で、トランプはプーチンにエネルギー施設攻撃の停止を強く求め、プーチンは限定的な合意に応じる形で譲歩した。もともと昨年時点で合意するはずであった。ただし、プーチンが全面停戦を拒否し、軍事支援の停止を条件に挙げたのは、ロシアが依然として戦場での優位性を手放す気がないことを示している。ウクライナのゼレンスキーは基本的にこの合意を支持しつつも、おそらく、国内の強硬派からの反発をどう抑えるかが課題となっている。和平への抵抗勢力が根強く存在するとすれば、30日間の攻撃停止が次のステップに進む保証はない。

展望と和平への障壁

 ホワイトハウスは、2025年3月23日にサウジアラビアのジェッダで黒海の海上停戦や包括的和平を議論する会談を予定していると発表した。しかし、ウクライナがこの交渉に直接参加するかは、強硬派による政府内分裂が想定され、不透明である。すでに強行的な西側専門家は、「ロシアが時間を稼ぎ、東部戦線での地上戦を有利に進める戦略ではないか」との懸念を広げているが、冷静に事態を見つめるなら、時間稼ぎを要するのはウクライナ側であることは明白である。
 過去の和平交渉を振り返ると、2022年4月のイスタンブール協議や2024年8月のカタール仲介交渉が、いずれも決裂した歴史がある。いずれも途中までは合意の方向性が見えてきた段階で、外部からの妨害が入って頓挫している。ウクライナ内部の分裂も依然として解決していないだろう。
 私の推測では、強硬派としては、欧州を巻き込むか、あるいは世界を巻き込む核問題などを惹起して、事態を混乱に陥れたいところだろう。しかし、ウクライナ国民の戦争疲れやインフラ崩壊を背景に、和平を求める声はもはや無視できないまでに高まっている。ゼレンスキーがこの二つの勢力をどう調整するかが、交渉の鍵を握ると考えたいが、彼の昨今の動向はすでに蚊帳の外に置かれ、どこかのYouTuberのような状態になっている。
 2025年3月のエネルギー施設攻撃停止合意は、ウクライナ戦争における一時的な休息をもたらし、ウクライナ市民にロシアとの関係を見直す契機となるかもしれない。しかし、全面停戦への道は見えない。戦争継続にメリットがある勢力を除かない限りこれは難しいだろうが、存外にガスプロムに米国が関わるという噂が無視しがたい。2025年3月14日のブルームバーグ報道によれば(参照)、米国がガスプロムとの協力可能性を模索しているとの情報がロシアおよび欧州の匿名当局者から出ている。この報道では、ノルドストリーム2パイプラインの再稼働支援や、ロシアと中国の関係を分断する戦略の一環として、米国がガスプロムと接触している可能性が示唆されている。この話にトランプ政権が直接関与しているとなると、さすがびっくり展開である。が、和平につながる希望でもある。

 

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2025.03.18

石破茂首相の商品券配布「問題」

 日本の石破茂首相が、自民党総裁として新人議員に10万円相当の商品券を配ったことが波紋を広げている。野党は政治資金規正法への抵触から「説明責任」を追及し、マスコミは「政治とカネ」の定番ネタとして取り上げている。総額150万円程度という金額は、国家運営の観点からは些細なものだが、この問題の本質は金額ではない。石破首相の責任感の構造的な欠如と、自己を度外視した他人への責任転嫁的姿勢だ。少し整理してみたい。

商品券配布の発覚と石破首相の初動対応

 問題が表面化したのは2025年3月13日夜である。朝日新聞などの報道によれば、石破首相は3月3日に首相公邸で自民党の当選1回の衆院議員15人と会食を行い、その前に各議員の事務所に10万円分の商品券を届けさせていた。報道直後、石破首相は記者団に対し、「私自身の私費、ポケットマネーで用意したものだ。政治活動に関する寄付ではなく、政治資金規正法にも公職選挙法にも抵触しない」と即座に釈明し、翌14日の参院予算委員会では、「法的に問題はない」と強調しつつ、「多くの皆様に不信や怒りを買っていることは深くおわびする」と付け加えた。それだけ見れば、この過程も大した問題でもないようにも思える。
 ただ「ポケットマネー」という言葉は引っかかる。石破首相は「私費だ」と繰り返すが、その資金の出どころに曖昧な部分は残る。一部では内閣官房機密費が使われたのではないかとの憶測が飛び交った。首相は「亡くなった親の遺産もあるし、議員を40年近くやっているとそれなりに自由に使えるお金はある」と述べて否定したが、具体的な証拠や収支の透明性が示されない以上、納得しづらい。150万円をポケットマネーで賄えるほどの余裕があるという主張をさらっと言ってのけるのにも呆れるが、それ以前に今回の件の責任者としての自覚のなさに呆れる。

自民党の慣例と責任感の不在

 この商品券配布が自民党内で慣例化していた可能性もある。毎日新聞の報道によれば、過去の自民政権下でも同様の行為が複数回行われていたと関係者が証言していた。が、自民党党内での証言者の発言撤回などもあり、実態はわからない。とはいえ、石破首相自身も、「これまでに他の会合で商品券を配ったことはある。回数は両手で数えられるくらいだ」と認めている。基本的に、商品券配布ということは長年続いてきた行為でありながら、それが問題であるという認識が自民党に欠如していた。だが、だからといって自民党総裁である石破首相にこの認識が欠如していてよいというわけもない。
 この件について、石破首相は謙虚なのか尊大なのか、よくわからない印象がある。事態の発覚当初、石破首相は疑念を問いかけた記者に「一体どこの法律に引っかかるんだ」と逆質問したが、詰問の口調であった。政治資金規正法第21条の2では、政治家の政治活動に関する寄付を禁じ、違反すれば罰則が科されるが、首相は「これは政治活動ではない。議員やその家族へのねぎらいだ」と主張した。法的にはそうだろう。だが、首相公邸で自民党総裁として新人議員を集め、官房長官や副長官が同席する会合を「政治活動でない」と公に強弁するのは政治家として重要なネジが外れている。日本維新の会・柳ケ瀬裕文議員が参院予算委員会で「明らかな詭弁だ」と批判したが、それも失当感あるものの、石破首相には野党側の声を受け止めている感覚はないのだろう。薄っぺらい粘ついた敬語の口調があるだけだ。

国民感情への責任転嫁と精神性の欠如

 石破首相の一連の対応で最も呆れるのは、結局のところこの問題を「国民感情」にすり替えた点である。14日の参院予算委員会で、「世の中の人がおかしいと思うことは大変申し訳ない」「国民の皆様にご理解いただくために謝る」と発言した。つまり、「私は法的に正しいが、国民が怒っているから謝る」という論理だ。これはあまりにもおかしい。政治資金のグレーな運用への不信感や怒りは、単なる感情ではなく、透明性と説明責任の欠如に対する正当な疑問から生じたものだ。にもかかわらず、石破首相は自身の責任を棚に上げ、国民の感情が問題だと、つまり他人に責任を回しているのである。
 石破首相はかねてより「精神性努力」を政治信条として掲げてきたが、この件での対応を見ると、その精神性は空虚である。商品券を配る際も、自身の監督責任を顧みず、自分からではなく自民党の慣例かのように振る舞い、そして問題が発覚すれば記者をやり込めて「法的に問題ない」と言い放つ。そもそも法的な問題がないことは最初から分かっているはずなので、悠然と記者をやり込める。これがなぜ問題なのかという所在を考える努力は最初から放棄されている。挙句の果てに「国民感情が悪い」と責任を転嫁する。石破首相はマックス・ウェーバーを借りて政治家に問われるのは結果責任だと言うが、この一連の行動から伺えるのは、すべて「お前たちが騒いだ結果」の責任を私が負ってやるのだという、なんとも薄気味悪い自己尊大感である。他者が問題を指摘するなら、「謙虚な私なのだから、その対処を誠心誠意済ませよう」という姿勢が透けて見える。

なぜこのタイミングなのかの説明の欠如

 そもそもなぜこのタイミングで商品券を配ったのか、その理由が石破首相自身の声で語られていない。彼は「新人議員の苦労への慰労」と説明するが、2023年の自民党派閥の裏金問題が未だに尾を引く中で、10万円もの商品券を配る判断が「純粋なねぎらい」だというのはまともな神経ではない。なぜなら、受け取った議員側が「社会通念上の範囲を超えている」と感じて全員返却しているのである。普通におかしいだろう。この事実からも、石破首相の感覚のズレは明らかである。
 この一件は石破政権の求心力を確実に低下させるかもしれない。自民党内からも「資質が問われる」(日本経済新聞)、「退陣を検討すべき」(毎日新聞)との声は上がっている。日本の野党は政策立案能力に乏しいので、大衆の一時の空気に乗って、予算審議や内閣不信任案で追及を強めるだろうし、夏の参院選を控えた与党にとっては最悪のタイミングだろう。立憲民主党の野田佳彦代表は「政治活動に関する寄付に当たる可能性が高い」と指摘し、国民民主党の玉木雄一郎代表も「疑惑が払拭できなければ首相を続けるのは困難」と述べている。政治の論理としては、それもマトが外れているが、頷きたい心情はある。
 個人的には、自民党に特別な愛着も嫌悪もない。だが、こんな人物をトップに据える政党はやだな。私自身、碌でもない人間でもあり、普通の世間で考えるなら、「世の中にはおかしい人もいる」と許容して生きていくしかないが、これが日本の首相となると話は別だろう。次の選挙で、国民がどう意思表示するのか見ておきたい。



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