2019.05.20

クックパッドの本のレシピを受け入れる

 クックパッドが嫌いだった。そういうふうに考える自分も嫌いなので、クックパッドは好きじゃないくらいにしていた。そしてそのことを他の人に押し付けないようにしていた。まあ、クックパッドに限らず、自分のある種の嫌悪というものには、そんなふうに対処している。
 それが、クックパッドの本のレシピを受け入れるようになった。
 そもそも、なぜクックパッドが嫌いだったかというか、実は今でも好きではないのだが、ある料理について作り方を知りたい、また手元の食材でなんか食事を作りたいというとき、googleで検索すると、まず、十中八九、クックパッドが出て来る。試しに、「豚肉 キャベツ」で検索してみると、ほら……あれ、NAVERまとめが最初に出てきて、次がクックパッドか、うわ、これはさらにひどいな……おっと、まあ、とにかくクックパッドは、料理について検索すると必ずと言っていいほど、上位に出て来る。
 僕にしてみると、こんな情報は要らない。ちゃんとした料理について知りたいのだ。そうだ、クックパッドの何が嫌かというと、料理についての情報がちゃんとしていないのだ。いや、「ちゃんとしてない」というのが不快の原因ではないな。じゃあ、なんだろう。作り手が見えないということかな。誰がどういう意図でその料理をどう考えたかがまるでわからない……いや、それも厳密には違うな。ちゃんと料理を作った人の名前のようなものは出て来るし。
 じゃあ、なんだ? 僕はクックパッドの何が嫌いなのか? そこまで問い詰めてしまうと、そこに人が群れているような感じがするからだろうか。クックパッドのコミュニティみたいのが嫌いなのだ。考えてみたら、BLOGOSもYahooブログとかも好きじゃないなあ。なんかなんとなく群れているのが、僕は嫌いだ。どうも話の方向がずれているぞ。
 話を戻して、クックパッドが嫌いというのを別の視点で考える。僕はレシピ本が好きだ。ブログとして掲載されているレシピも嫌いではない。そこでそれらがクックパッドと何が違うのかというと、レシピの完全性というのか、ちょっと違うが、これってレシピとして完成しているだろうかという疑問がいつもある。不安のようなものだ。実際に個別のクックパッドのレシピを見ると、なんでこの人こういう料理をするかなあ?みたいな。これ、この通りに作ったらどうなるんだろう的な不安ともいうか。
 もちろん、クックパッドが好きな人がいてもいいし、そもそも群れるのが好きという人もいるだろう。それは人それぞれだ。
 まあ、そういうことだ。それで何年も過ごしていた。
 ところが、ある日、僕は、クックパッドのレシピ本を買ったのである。『クックパッドの毎日ごはん2』である。なぜ? 気まぐれ。いや、ちょっと違うな。本になっているレシピ見たら、それなりにレシピになっているじゃないかと思い直したのだ。そして、どれも、それなりに工夫はあるんだけど、料理自体の工夫というより、現代日本の日々の食事の普通と言ってよいような凡庸さと自然さもあった。食材がそもそも普通なのである。いいんじゃね、と思った。
 買って、ビリビリと破いた。
 作りたい料理のページを破って、きっちの壁に貼る。調理するとき、それを見る。そう、そうやって、ページを破って貼って、使おうと思ったのだ。
 で、どうだったか。というと、良かった。レシピって一枚の紙として壁に貼ってあると見やすい。料理も考えやすい。食材の関係でそのとおりに作らないことはあっても、材料の分量や調味料の分量の感覚は悪くない。
 しばらくこれらのクックパッド料理を料理を作った。最近はまた、別の料理に戻っているが、それでもたまにビリビリとやぶったレシピを使うかもしれない。

 

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2019.05.19

[書評] 「ル・マンジュ・トゥー」谷 昇のおいしい理由。フレンチのきほん、完全レシピ

 僕は料理が好きだし、おいしいものというより、変わったものが食べたいということもあって、よくレシピ本を買ったものだった。それがけっこうな数にもなり、ある種、飽和というのか飽きた。もう数年もレシピ本は買ってなかった。しかも、最近、利用している定額サービス、Kindle Unlimitedのレシピ本が充実しているのである。Kindle Unlimitedと言えば、クズ本ばかりと割り切っていたが、少なくともレシピ本はそうでもない。というか、このサービスでレシピ本を読むくらいでいいやと思っていた。この本、『「ル・マンジュ・トゥー」谷 昇のおいしい理由。フレンチのきほん、完全レシピ』もそうした一冊だった。定額サービスとはいえ、無料の感覚で読んでいたつもりだったが、衝撃だった。これはぜひ、手元に欲しい。ポチった。
 何が衝撃的だったのか。料理で知りたいことが、全部書いてある、という感じだった。もし、料理を習うということがあるなら、こういうことを習わなくていけないということが、きちんと書いてある。というか、自分の料理なんて、所詮、ど素人だなと痛感した。玉ねぎの皮の剥き方も知らなかったのである。この本の「最後に、この本で使う料理以前の大切なことを教えます」という見開きに載っている。
 もちろん、その、玉ねぎの皮の剥き方が、本当に正しいかというのはわからない。どう剥いたっていいじゃないかとも言えるだろう。ふとYouTubeを覗いたら、いくつか動画解説もあった。でも、まあ、本書を読んで、僕は、本当の、玉ねぎの皮の剥き方がわかった、というか、なぜこれが本当の玉ねぎの皮の剥き方なのかがわかった。
 で、本書の料理なのだが、変わった料理は何もないというか、それなりにフランス料理を知っている人ならごくおなじみの42レシピだけ。でも、それがどういう料理なのかというのが、本当によくわかる。なんというのだろう、素人とプロの差のコツがわかると言うのも違う。料理を作るというのはこういうプロセスなのだというのが、わかるのである。
 そして、自分の料理の最大の欠陥に直面することになった。僕の料理の持論だが(というのも恥ずかしいのだが)、一番難しい調理器具は、フライパンである、ということ。だから、僕みたいな素人はできるだけ、フライパンを使わないほうがいい。じゃあ、なにを使うか? まずオーブンの使い方を覚える、次に、スロークッカーと下ごしらえの方法を覚える、まあ、そういうふうに考えていた。これだけ、確かにびっくりするくらい、おいしい料理ができる。ちょっとした料理店よりおいしいじゃないかと思ってもいた。当然といえば、当然だ。手はかけていないが、きちんと時間はかけている。料理店はあまり時間をかけていないことが多い。
 とはいえ、僕もフライパンは使う。というか、実際のところ、よく使っている。鉄のタイプだ。だいぶ使い込んでいるので、焦げつきもない。テフロンのフライパンとか使うなよ、とも思っていた。
 が、本書は、すべての料理(例外もあり)を、テフロンのフライパンで作っているのである。ブフ・ブルギニオンから、あろうことか、ローストチキンまで。いや、率直に言って、このローストチキンはやり過ぎじゃないかとは思った。
 調理法はきちんと書かれている。YouTubeの動画なんかじゃわからない料理の微妙なところが正確に写真と解説でわかる。でも、率直に言って、超絶技巧という感じもしないではない。これは、真似できない料理なんじゃないか。
 それでも、真似はする。試してみる。ことごとく本書が正しい。
 昨晩も一品作った。唯一の例外となっているオーブン料理だ。魚のローストである。本書では、メバルだが、たままたおいしそうな黒鯛を見かけたのでやってみた。食べた。我ながら大げさな言い方になるが、こんなにうまい魚料理は食べたことないぞと泣けるほど、おいしかった。塩釜よりうまい。もちろん、魚料理にはいろいろあるのは知っている。干し魚を焼いただけのがおいしいというのもある。でも、魚の料理というのの本質を突き詰めたら、こういうものになるんだという味がそこにあった。
 とまあ、大げさに書いてしまったが、つまり、それだけ衝撃を受けた、僕は。

 

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