ロアノーク植民地の謎
何気なくニュースアプリをスクロールしていたら、「アメリカの『失われた植民地』の謎が440年ぶりに解明か」という見出しに目が止まった。ロアノーク?
歴史にはそれなりに興味があるつもりだったのに、知らない話だなあと思った。まあ、知らないことは多いものだし、なんとなく気になって記事を読んだ。記事によると、ノースカロライナ州のハッテラス島で小さな鉄の破片が見つかり、1587年に消えた入植者の運命が明らかになったかもしれないというのだ。米国や英国では有名な歴史ミステリーらしい。邪馬台国の所在地や徳川埋蔵金みたいなものだろうか。もう少し国民感情的なもののようだ。どんな物語なのか、なぜ今注目されているのか、調べてみた。といっても、このご時世、このてのことは簡単に調べられ、UNIQLOの商品みたいに知識が並んでいる。
ロアノーク植民地とは何か
ロアノーク植民地、通称「失われた植民地」は、アメリカ初の恒久的英国入植地として1587年に設立された。場所は現在のノースカロライナ州、ロアノーク島。ウォルター・ローリー卿が主導し、100人以上の入植者が新天地での生活を始めた。この中には、総督ジョン・ホワイトの娘エレノア・デアや、アメリカで生まれた最初の英国人といわれる孫娘バージニア・デアもいた。しかし、この植民地の物語は開始早々に暗転する。ホワイトが物資調達のため英国に戻り、1590年に島に帰還したとき、植民地は跡形もなく消えていたというのだ。家屋も人もなく、ただ柵に「CROATOAN」という文字が刻まれていたと。この文字は、近くのハッテラス島(当時はクロアトアン島)か、クロアトアン族を指すとされるが、真相は不明である。というか、こういうのは「たまらん」。入植者は先住民に殺されたのか、飢餓で死に絶えたのか、それとも別の土地へ移ったのか。きっと正解はゾンビに違いない(そんなわけはないのだが)。
400年以上にわたり、この謎はアメリカ史の未解決事件として語り継がれてきた。この不可解な失踪劇は、単なる歴史の出来事にとどまらない。なぜロアノークはなぜ彼らを今も惹きつけるのか。
なぜロアノークの謎は問題なのか
ロアノークの失踪がこれほど注目されるのは、歴史的・文化的な意義が大きいから、ということのようだ。ロアノークは、英国が新世界で初めて本格的な植民を試みた場所で、ピルグリム・ファーザーズの「成功」より端役、それにつながる第一歩だった。13州の起源とされるジェームズタウンよりも早い。
なのに、それは失敗した。というか、謎めいた消失だった。なるほど、これは単なる歴史的事件を超え、ミステリーとしての魅力を放つ。日本でいえば、邪馬台国の所在地のような呑気な老人向けの話題とは違うようだな。むしろ、未解決事件の謎に似ている。
というわけで、米国では、学校の歴史授業で取り上げられ、『American Horror Story』のようなテレビ番組や小説、ドキュメンタリーで繰り返し題材にされたらしい。ノースカロライナ州では「The Lost Colony」という野外劇が毎年上演され、観光名物にもなっているとのこと。
英国では、植民地拡大の初期の挫折として、歴史家や文化研究者の間でよく語られる。ロアノークの謎は、単に「人が消えた」だけでなく、ヨーロッパ人と先住民の出会い、生存競争、文化や技術の交流といった大きなテーマを内包し、まあ、ロマンを駆り立てるのだ。入植者は、当地のクロアトアン族に同化したのか、虐殺されたのか、飢餓で死んだのか。さまざまな仮説が議論を呼ぶ。英米ではこの話が不朽のミステリーとなっている。
新発見が示すもの
最近では米国の話題はフォックス・ニュースを追うしかないことが多いが、そこで紹介された新発見についての話題では、ロアノークの謎に新たな光を投じるという趣向だった。英国ロイヤル農業大学のマーク・ホートン教授とクロアトアン考古学会のチームが、ハッテラス島のクロアトアン族のゴミ捨て場(ミデン)から「ハンマースケール」という小さな鉄の破片を発見したという。これは、鍛冶作業で生じる鉄のフレークで、当時の先住民にはない技術だった。つまり、英国人入植者がハッテラス島で鉄を加工していた証拠だというのだ。この破片は16世紀末から17世紀初頭の地層から見つかり、ロアノーク入植者が消えた時期と一致する。さらに、銃、航海用具、砲弾、ワイングラス、ビーズといった英国製の遺物も発掘され、入植者がクロアトアン族と共存していた可能性を示す。そこで、ホートン教授は、入植者が悲劇的な結末ではなく、先住民社会に同化したと主張すると。18世紀の記録には、青や灰色の目を持つ人々や「ローリーが送った幽霊船」の伝説が残り、これが同化説を裏付ける。
つまり、従来の「虐殺」や「飢餓」のイメージを覆すこの発見は、植民地史を単なる征服や衝突ではなく、共生と融合の物語として再考させるわけで、なんとも現代向けのおあつらえの解釈にあう発見である。話が逆のような気もするが。
かくして、ヨーロッパ人とアメリカ先住民の交流史に新たな視点をもたらし、入植者の子孫が18世紀までハッテラス島で暮らしていた可能性を示唆するのだ。まあ、簡単にいえば、呑気な与太話の印象は拭えない。科学的証拠とやらは、そう語られるときは、たいていインチキ臭くて、ネット民のご馳走になってぽつぽつと発狂者が生じる。定番。かくして、ロアノークの謎は消えない。謎であるニーズが高いのだから、備蓄米を出しても無駄だ。歴史の空白を埋める発見は、まあ、繰り返すことに意味がある。
とはいえ、ロアノークの物語はけっこう面白いなあと思ったのであった。
| 固定リンク