精密工作戦の出現とその本質
イスラエルとイランの紛争やウクライナとロシアの戦争で、従来の軍事理論を超越する戦術が浮上していると考えるべきではないか。この戦術は、情報戦、AI、ドローン、秘密工作を融合させ、敵の中枢をピンポイントで無力化するもので、ここでは「精密工作戦(Precision Covert Warfare)」と呼ぶことにする。モサドによるイラン国内の防空システム破壊や、ウクライナの「スパイダーウェブ作戦」に代表されるこの戦術は、敵の防衛網を内部から崩壊させ、心理的・戦略的混乱を誘発する。その本質は、技術の非対称性と情報優位性を活用し、低コストで高効果を達成することにある。特に、敵の指導者や重要人物を標的とする「斬首作戦」への応用が容易であり、従来の正面衝突とは異なり、「見えない戦場」を構築する。
この戦術は、軍事理論の第四世代戦争(4GW)やハイブリッド戦争に部分的に当てはまるが、実戦形態は予測を上回る。モサドがイランの核科学者を暗殺したり、防空レーダーを工作で無力化したりした事例、ウクライナがロシアの将校や補給拠点をドローンで攻撃したケースは、精密工作戦の具体例である。斬首作戦への応用は、モサドがイラン軍首脳を欺く会議に誘導し、ドローンでピンポイント攻撃した事例に顕著だ。こうした戦術は、敵の意思決定を即座に麻痺させ、戦争の定義を変えている。
背景:技術革新と地政学的制約
精密工作戦の出現は、技術革新と実戦経験の相互作用に根ざす。ドローン技術の低コスト化と高性能化が進み、商用ドローンは数百万円で入手可能になり、AIによる自律飛行や精密誘導を実現した。イスラエルはシリアでの実戦でドローンを活用し、ウクライナは2022年のロシア侵攻以降、バイラクタルTB2やFPVドローンで戦果を挙げた。これらの実戦データが、精密工作戦を洗練させた。また、情報戦の進化も鍵である。モサドはイラン内部の監視やサイバー攻撃で敵の動向を把握し、ウクライナはロシア軍の通信をハッキングして攻撃精度を高めた。AIによるデータ解析は、標的の特定や作戦の最適化を可能にする。
秘密工作の高度化もこの戦術を支えている。モサドの工作員はイランに潜入し、ミサイル基地に爆発物を仕掛け、ウクライナはロシア国内のインフラを破壊する工作を実施した。この際、地政学的制約も背景にあるが、イスラエルはイランの核開発を阻止するため、正面衝突を避けつつ効果的な打撃を追求した。ウクライナはロシアの物量戦に対抗するため、限られた資源で最大の戦果を求めた。この制約が逆に、精密工作戦の開発を加速させてきた。そのことからもわかるように、この戦術は国家間だけでなく、非国家主体にも適用されやすい。ヒズボラやフーシ派がドローンで攻撃を試みる例は、技術の民主化が非国家主体に精密工作戦の要素を拡散させていることを示す。
影響:防衛概念と国際秩序の再定義
精密工作戦は、従来の防衛概念を揺さぶる。イランのS-300がモサドの工作で無力化された事例は、防空網の脆弱性を露呈した。層状防衛は外部攻撃には対応できるが、内部からの破壊工作には脆い。ウクライナがロシアの補給線をドローンで攻撃したケースも、従来の防衛線を無意味化する。斬首作戦への応用は特に深刻である。敵指導者をピンポイントで排除する能力は、国家の指揮系統を瞬時に崩壊させ、報復を困難にする。超大国である米国すらこの脅威に無防備である。パトリオットやTHAADは高度だが、内部工作やドローン攻撃への対応は限定的である。広大なインフラと開放的な社会は、原理的に潜入工作に脆弱である。
すでに言及したように、この戦術は国家間だけでなく、非国家主体によるテロやゲリラ戦にも応用できる。低コストのドローンやハッキングツールは、テロ組織が都市や重要施設を攻撃する手段を提供する。
結果的に国際法も挑戦を受けることになる。精密工作戦は秘密性が高く、攻撃主体が不明瞭なため、責任追及が難しい。モサドの暗殺やウクライナのロシア国内攻撃は、「武力攻撃」の定義すら曖昧にする。非国家主体がこの戦術を採用すれば、国際秩序はさらに不安定化するだろう。国家は、旧来通り、防空システムの冗長化や内部セキュリティの強化を迫られるが、精密工作戦への対応コストと技術的難易度は高い。つまり、軍事力の非対称性を拡大し、強国を無防備にするリスクを増大させ、旧来の防衛の概念に変更を強いる。
戦争の新パラダイムと課題
精密工作戦は、戦争の未来を再構築するだろう。技術の拡散が加速し、ドローンやAIは非国家主体に広がる。既にヒズボラやフーシ派が低コストドローンで攻撃を試み、精密工作戦の要素がテロ組織に浸透しつつある。斬首作戦への応用は、国家だけでなく、企業や民間組織の指導者を標的とするリスクを高める。情報戦の重要性も増す。精密工作戦は情報優位性なくして成立せず、監視、データ解析、心理戦の統合が勝敗を分ける。国家は情報機関の強化や民間技術の軍事化を急ぐが、サイバー攻撃やフェイクニュースが社会分断を加速させる。
当然、軍事理論にも変革を迫る。第四世代戦争やハイブリッド戦争を超え、AIと工作の融合は「第五世代戦争」の萌芽である。米国や中国は、従来の軍事優位を維持するため、戦略を再構築せざるを得ないが、対応は間に合わないだろう。かくして精密工作戦は、戦争の規模を縮小させつつ効果を最大化する新たな標準として急速に定着する。また、AIの浸透による機械化・合理化はそもそも精密工作戦の効果を増大させる。
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