イスラエルによるシリア・スワイダ県空爆
2025年7月15日、イスラエルがシリア南部スワイダ県でシリア政府軍を標的とした空爆を実施した。この事件は、シリアの不安定な情勢とイスラエルの安全保障戦略が交錯する中で発生し、地域の緊張と国際関係に新たな波紋を投じている。以下、この空爆の概要、近い背景(7月11日以降の文脈)、2024年までの経緯、イスラエルの思惑、米国との関係、戦争エスカレーションのリスク、シリアの再不安定化の懸念を整理し、近未来の展望を考察したい。
今回の事態の概要
イスラエルは2025年7月15日、シリア南部スワイダ県でシリア政府軍の第12旅団(戦車・砲兵大隊)を標的に空爆を実施した。公式には、ドゥルーズ派への保護とシリア政府軍の進軍阻止を目的とし、ゴラン高原の安全保障を確保する意図がイスラエル政府から発表されている。この空爆は、7月16日、17日にダマスカスなどでも続き、シリア国営メディアは「混乱の扇動」と強く非難した。シリア人権監視団(SOHR)によると、7月11日から15日のスワイダ県での衝突と空爆により、死者数は250~300人に達し、これにはドゥルーズ派民間人や政府軍兵士が含まれるとのことだ。イスラエルの介入は政府軍の進軍を一時的に停止させたが、宗派対立の悪化を招き、シリアの不安定化に新たな火種を投じた。
7月11日以降のスワイダ県の衝突
空爆の直接的な引き金は、7月11日以降のスワイダ県での宗派間対立である。7月11日、スワイダ県(ドゥルーズ派が多数を占める地域)で、ドゥルーズ派とベドウィン部族の間で誘拐事件が発生した。ドゥルーズ派の首長や女性に対する侮辱行為(口ひげを剃るなど)が報告され、宗派対立が急激に悪化したと伝えられている。続く7月12日、13日、シリア政府軍(アハメド・アル・シャラア暫定政権下)が「治安維持」を名目に進軍し、ドゥルーズ派民兵と衝突した。SOHRによると、この際、略奪、虐待、即時処刑が発生し、死傷者が増加し、ドゥルーズ派による国際介入を求める声が広がった。7月14日には、シリア政府の停戦提案をドゥルーズ派指導者ヒクマット・アル・ヒジリが拒否し、戦闘が継続した。ドゥルーズ派はクルド人勢力とも連携を強めつつあった。この緊張の高まりが、7月15日のイスラエル空爆を誘発したと見られる。イスラエルによる空爆は政府軍の進軍を阻止し、ドゥルーズ派の自治を強化することで、この地域のシリア政府の統治力をさらに弱める結果となった。
昨年来の経緯
今回の事態の背景は昨年に遡る。2024年がシリアにとって転換点だった。2024年から2025年にかけて、シリアは政治的激変と宗派対立の悪化を経験し、イスラエルの戦略的介入が続いた。この期間の出来事は、2025年7月15日のスワイダ県空爆の基盤を形成する。
2024年9月9日、 イスラエルはシリア中部の軍事施設を標的に空爆を実施した。シリア保健省によると、少なくとも18人が死亡。イランが支援する軍事インフラやミサイル輸送を無力化する目的で、シリアをイランの中東戦略の拠点とする動きを牽制したものである。
同年11月14日、イスラエルはシリアの首都ダマスカスでイラン関連施設を標的に空爆した。シリア国営通信(SANA)によると、15人が死亡、16人が負傷。イランの影響力削減とシリアの軍事力抑制を目的とし、2024年で最も死傷者の多い攻撃となった。
同年12月8日、この日、アサド政権が崩壊し、シリアは政治的空白に突入した。イスラエルは同日、シリア全土で350回以上の空爆を実施し、化学兵器研究施設やシリア海軍艦隊を破壊したが、これは、シリアの兵器が反政府勢力やイラン関連勢力に流出するのを阻止する狙いがあったとされる。ネタニヤフ首相はアサド政権崩壊を「中東の歴史的な日」と歓迎し、ゴラン高原の緩衝地帯(1974年停戦協定に基づく)にイスラエル軍を展開した。シリアの軍事力無力化とゴラン高原の安全保障強化を明確化した。ゴラン高原の重要性についてすでにこの時点で布石があった。
2025年2月28日から3月2日、 アハメド・アル・シャラアの暫定政権下で、シリア西部ラタキア県を中心にアラウィー派への攻撃が発生した。SOHRによると、1,500人以上が死亡し、宗派対立が急激に悪化した。シャラア政権の統治力の弱さが露呈し、シリアの分断が加速した。
さらに、同年4月28日~5月2日、 スワイダ県でドゥルーズ派と政府軍・スンニ派勢力の衝突が勃発した。発端は、預言者ムハンマドへの侮辱とされる音声データである。SOHRによると、5月までに56人以上が死亡した。イスラエルは5月2日、スワイダ県とダマスカス近郊で空爆を実施し、ドゥルーズ派保護を名目に政府軍を攻撃。ゴラン高原の安全と少数派支援を強調した。今回の事態を先行している。
以上のような経緯からわかることは、イスラエルの一貫した戦略—ゴラン高原の安全保障、シリアの軍事力無力化、イラン影響力の排除、少数派(特にドゥルーズ派)保護—を形成である。2025年7月15日のスワイダ県空爆は、この戦略の延長線上にあり、アサド政権崩壊後のシリアの不安定な情勢を背景に実施された。
イスラエルの思惑
イスラエルの7月15日空爆には、複数の戦略的意図が絡む。第一に、ゴラン高原の支配強化である。スワイダ県はゴラン高原に隣接し、シリア政府軍の進軍は直接的脅威となる。空爆は政府軍の軍事プレゼンスを削ぎ、1967年以来のイスラエルの戦略的優先事項であるゴラン高原の安全を確保した。第二に、ドゥルーズ派保護である。ゴラン高原やシリア南部のドゥルーズ派との関係を強化し、地域の支持を確保した。ドゥルーズ派はイスラエルにおいては軍にも所属するほどの信頼関係がある。このため、7月11日から14日のシリア政府軍による弾圧(誘拐、虐待)への反応として、イスラエルは空爆で保護をアピールした。第三に、シリアの軍事力無力化である。シャラア政権の軍事力を弱め、兵器の再編やイラン関連勢力の復活を阻止するものだ。2024年12月の大規模空爆と同様の目的を持つ。第四に、シリアの「レバノン化」の可能性である。中央権力を弱め、ドゥルーズ派やクルド人などの地域勢力の自治を助長することで、統一された脅威を排除する。シャラアのジハーディストの過去(元ヌスラ戦線)への不信が、これらの行動の背景にある。
米国との齟齬
米国にとって今回の事態は厄介ごとになる。トランプ大統領はこれまでシリアの安定化を推進していたからだ。2025年5月14日、トランプはサウジアラビアのリヤドでシャラアと会談した。このおり、制裁解除(7月1日執行)、サウジアラビアの6000億ドル投資、カタールの支援を背景に、シリアの経済再建を支援した。また、シャラアにISIS対策とイスラエルとの関係正常化(アブラハム合意参加)を求め、ゴラン高原の非軍事化や1974年停戦協定の復活を交渉した。しかし、7月15日のイスラエル空爆は、シャラア政権の軍事力を直接攻撃し、米国の安定化政策と矛盾することになる。米国務長官マルコ・ルビオは「深い懸念」を表明し、停戦を要請した。が、イスラエルはシャラアへの不信(ジハーディストの過去)とゴラン高原の優先を理由に、トランプの制裁解除に反対している。この米国とイスラエルとの戦略のずれは、その同盟関係に緊張を生む。米国は7月17日の停戦交渉で調整を図るが、イスラエルの独自行動は米国の外交努力を複雑化している。
戦争エスカレーションは低リスク
7月15日の空爆は、イランやヒズボラを直接標的にしないため、戦争エスカレーションのリスクは低い。イランへの空爆(例:2024年4月の大使館攻撃)と異なり、標的はシリア政府軍に限定されていることもある。シャラア政権の軍事力は弱く、イスラエルに対抗する能力が不足している(SOHR)。また、イランの関与も限定的で、報復の連鎖や中東全体の緊張拡大は見られない。米国やサウジアラビアの停戦仲介が緊張を抑制する要因ともなっている。ただし、イスラエルの継続的な空爆でシリアのシャラア政権の反発を強め、反イスラエル感情を高めれば、局地的な対立が長期化する可能性は残る。それでも、地域戦争へのエスカレーションは現時点で抑制的であると見られる。
問題は、シリアの再不安定化を加速することだ。空爆はシャラア政権の統治力を弱め、スワイダ県のドゥルーズ派と政府軍の対立を悪化させた。ドゥルーズ派の自治強化と反イスラエル感情の高まりは、シリア内の宗派分断を助長する。2025年3月のアラウィー派虐殺や5月のドゥルーズ派衝突の再現リスクが再浮上する。
その先には、シリアの「レバノン化」(中央権力の弱体化と宗派・地域勢力の自治強化)が進む可能性がある。シャラア政権の統治力低下は、ISISやアルカイダ系グループの再興、トルコ、ロシア、サウジアラビアなど外部勢力の介入を招く。米国の安定化政策(制裁解除、経済支援)はこれを防ぐ狙いだが、イスラエルの空爆は事態を一層悪化させるだろう。
7月17日の米国仲介交渉の成否が、短期的な安定の鍵となる。長期的には、宗派対立の拡大、過激派の台頭、外部勢力の代理戦争となれば、シリアを中東の新たな不安定要因とする可能性が高まる。
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