2024.04.24

[書評] 戦後フランス思想(伊藤直)

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 私は66歳にもなって自分を大人気なく思う。本書『戦後フランス思想』を読んで、ああ、こういう解説は簡素によくまとまっているけど、あの時代の日本の空気が感じられないなあ、と思ってしまった。ということを書くのも、大人げないが、本書はそんな郷愁をもたらした。と、いうのも、あまり正確ではない。後で触れるが、本書は実はとても現代的でもある。
 もう少し、大人げない話をしたい。本書を読みながら、十代の自分が今も自分の中にいることに気がつく。アルベール・カミュは私の少年期そのものだったからだ。なんかもう自殺しようかなと思っていた中二の私は、確か、白井浩司の書いた、フランス哲学風人生論で、カミュを知った。曰く、『シーシポスの神話』を読みなさい、というのだった。読んだ。哲学の問題は今、自殺するかしないかだとする、本書にも引かれているが、その基調は、中二の心を掴んだ。不条理(なんですかコレという笑っちゃうね状況)、それこそが、とりあえず、自殺しない理由になった。1973年。村上春樹の小説を思い出させる年号である。
 私は、カミュに傾倒した。中二病は昂じて高二病にもなった。本書で説明されているサルトル・カミュ論争にも入れ込み、カミュに肩入れして、サルトルをバカにしたのだった。許せ、高二病だ。でも、本書読んで、高二病の俺が正しいじゃんかとも思った。
 さらに、思い出す。あれは、高一だったな。ある日、死ぬほど凡庸な授業のあと、おまえ、校長室に来い、と言われた。はて? 綾小路清隆のように凡庸を偽装している私が目立つはずなぞないのにと思って教師の後をついて行った。不条理に叱られるのかと思ったが、高校生の作文コンテストで入賞したから高校のほうに通知が来たというのだ。ほへ?なんですかそれ、と思ったが、思い当たることはあった。作文コンテストに投稿したことを思い出した(それまで忘れていた)。人生の希望とかいう、吐きそうなテーマだったかと思う。中二病が悪化している私は、さらっと、人生とは反抗の連続である、みたいな、嫌味な作文を書いて送ったのだった。あれが、入賞かよ? 選者(富島健夫もいたんじゃなかったか)、とても退屈してだんだろうなとも思った。作文の内容は、もう黒歴史といっていいのだが、本書に登場し、解説されているアルベール・カミュの『反抗的人間』のパクリである。コピペではない。いや当時、コピペなんてないのだが、つまり剽窃でもない。高一の頭で理解したカミュ思想だった。つまりパクリだ。それで、そのあとで呼び出しの先生にぼそっと言われた、「あれ、もっとなんとかならなかったのか?」あれというのは私の作文である。うへ、おまえみたいな教師がいるから書いたんだよ。
 つまり、そういう時代だった。ベトナム戦争が終わろうとしていた。1975年4月の末日、高二病の私は同じく高二病の友人と、サイゴン陥落と米帝の敗北を見つめていたのだった。僕たちは、うっすらベトナム反戦運動の空気のなかにいた。が、醒めつつもあった。高二病の友人もマルクス主義とベトナム反戦運動の限界を感じていた。僕はいえば、当然、新左翼的な心情だった。が、菅直人元首相のようなヘタレでもあり、黒ヘル的な心情もあった。でも、なんか、アナーキズムというのもダセー(当時そんな言葉はなかった)と思って、なんの矜持もなく、今度はサルトルにすり寄ったりもした。実存主義である。
 と、おふざけもこのくらいにしたが、サルトルというのは、あの時代、そういう存在だった。オーウェルが嚆矢であるが、平和運動家のバートランド・ラッセルも、ソ連ってやばいんじゃねという空気の中で、マルクス主義の超克が問われている状況で、サルトルはええ塩梅で中途半端だった。実存主義というのは、知的で反抗的という、空虚な、高二病のような、そういうものだった。
 それは当時の日本の状況とも言えるが、フランスの状況でもあっただろう。彼らのアルジェリア戦争は、僕たちのベトナム戦争でもあった。マルクス主義と一定の距離を取る「第二の左翼」こそ、戦後フランス思想の要だろうと僕は思うのだが。その象徴的な核にいたのが、ミシェル・フーコーだった。1977年6月、ソ連のブレジュネフ書記長が来仏した際、彼は抗議集会を開いた。それにクラウス・クロワッサン事件が続いた。そう、ここにフーコーとデリダがそこにいるのだが、本書の「戦後フランス思想」には残念ながら登場していない。まあ、それでもいい。
 さて、本書に立ち戻る。というか、筆者さん、お若いのかなと思って生年を見ると、1977年。僕が大学一年生のころだ。若気の至りがあれば、生まれていた子かもしれない年代である。そして、本書の「あとがき」を読む。

 ここまでページを手繰ってくださった読者には念押しとなり、「あとがき」からまず入られた手練れの読者には予告となるが、この本は入門書というよりも、紹介書ないしは案内書である。

 ガーンである(古臭いなあ俺)。そうだったのか。高二病の俺がまったく本書を勘違いしていたのだった。というか、実は、メルロ=ポンティの章に読み進めたとき、あれ?という感じはしてた。でも「あとがき」を捲ってようやく気がついた。何が言いたいかというと、メルロ=ポンティとバタイユの説明が、すっごく、わかりやすいである。はちみつ垂らそうかなというヨーグルトくらいのプレーンなのである。これでいいんじゃね(なんつう上から目線)。というか、そうして改めて前の章を読みな直してみると、サルトルやカミュの説明もこれでいいんじゃねと、ようやく気がついた。トンチンカンな話をしてすまなかった。今は反省している。
 と言って舌の根も乾かぬなかで高二病を再発すると、ド・ボーボワール(ドをつけるところが高二病である)はもう少し現代的な視点で見直されていいだろうし、彼女の現代的な思想の核は、老い、についてあるだろうとも思った。そこは本書には書かれていなかった。あと、バタイユについても、高二病の私は、栗本慎一郎的に言いたいことはあるにはある。けど、ちょっとこれは、さすがに、もういいかな。説明はプレーンだなとは思う。
 本書は令和の時代にそった良書なんだと思う。これはいいなあと思ったのは、サルトルやカミュの文学がきちんと全面に出ていることだ。令和の日本人によって、そしてやがて死んでいく1970年の残骸のような僕なんかどうでもいいだけど、彼らの文学は、今でもいきいきと文学になっている。これからもサルトルやカミュ、そしてバタイユの文学は読まれるだろう。そこを本書は令和の日本人にきちんと伝えている。そういえば、吉上亮『PSYCHO-PASS GENESIS』ではカミュの『カリギュラ』が出てくるし、そのテーマを負っている(こっちも映画化しないかなあ)。というか、PSYCHO-PASSには、1970年代の高二病の熱量があるなあ。
 そして、思うのだ、このカミュやサルトルの文学的な熱量にこそ、もっとも未来に意味があるんじゃないか。本書は、その紹介書というわけだ。
 あと続編的に、本書にちらと言及がある、ジャン=リュック・ナンシーについても、きちんと解説書も書いてもらいたいなあ。ナンシーの思想はとても大切なんだけど、というか、戦後フランス思想をようやく乗り越えたところにあるんだけど、あまり日本では一般的には知られてないっぽいんだよ。

 

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2024.04.02

[書評] 精神の考古学(中沢新一)

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  中沢新一の近著『精神の考古学』を読むことを勧められたとき、その刹那、「ああ、あれか」という不思議な思いが去来した。ほんの瞬時の直感であるが、二つのことがそこにあった。一つは、これは1983年の『チベットのモーツアルト』の続編であろうということ(すべての面でそうだという意味ではないが)、もう一つは、吉本隆明の思想を継いだ著作であろうということ。
 そして、書物を手に取り、まえがきに目を向けたときに、私は、すべてがそうであったとでもいう奇妙な祝福のような感じがした。確かにそのとおりだと、瞬時に確信した。さて、私はそれをどのように語ったらよいのだろうか。
 本書は、読まれるべき書物である、ということは明らかなのに、どのように読まれるべきか、次の言葉が浮かばない。しいていうなら、なんの偏見もなく、なんの憶測もなく、普通に、あたかも河口慧海の『西蔵旅行記』を読むように読むといいだろう、と言ってみたい。それでいいだろうか。それがよいのではないか。ここで私は逡巡する。
 そして、以下、私が書くところは、率直なところ、あまり、読まれないほうがよいのかもしれないと思う。この含意すら、伝えることが難しいが。

*** *** ***

 本書は、明らかにと言っていいだろう、1983年の『チベットのモーツアルト』の続編的な位置づけにある。もちろん、続編ではない。中沢新一が先の本を書いたのは、30歳を超えたあたりであろうし、本書は彼が70歳を超えたあたりの執筆である。その間に、40年があり、私は、この同じ40年を、呼吸をして、生きてきた。私は、『チベットのモーツアルト』の優秀な読者ではないが、熱烈な読者の一人ではあっただろう。私が大学院を最初にドロップした懐かしい年でもある。この年には、この分野で刻まれる事件がある。浅田彰の『構造と力――記号論を超えて』の出版である。同書は時代を築いた。そして、この本と、やや寄り添うような形で『チベットのモーツアルト』があった。が、それは、浅田のそれがポスト構造主義の日本の幕開けであるのに対して、中沢のそれは、70年代のドラッグ・カルチャーの総括でもあった。単純に言えば、ビートルズが後年、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーに系統したような流れの終端であった。恥ずかしながら、自分も広義にその位置にいた。キング・クリムゾンのロバート・フリップのようにグルジェフィアンだったし、クリシュナムルティに傾倒した。私は高尚を気取っていたが、時代の渦中、あるいは渦中に近いところにいた(ニフティのフォーラムでは信者の方と批判的に対話していた)。この意味は、あたかも『輪るピングドラム』のようにオウム真理教事件へとうごめく流れでもあった。で? 私は何を言うに躊躇っているか? 『チベットのモーツアルト』はオウム真理教の事実上の聖典でもあったということだ。もちろん、断固として言わなければならないが、それは「誤読」だった。しかし、あの時代の力動の圏内にはあった。そのことは、あの時代の空気を吸った人間には、どよめく霧が晴れてようやくこの『精神の考古学」という書籍が書かれたのかという感慨もあるが、同時に、この書籍がそのどよめきなく読まれうることに、かすかな違和感のようなものも感じる。
 私はさらに蛇足を書く。私は大学院時代以降に、吉本隆明に傾倒した。ひどい言い方をすなら、吉本隆明の著作には文庫も新書なく、学術的な価値もなく、貧乏学生には無駄な書籍に思えたものだ。が、社会に出て吉本に傾倒しながら、浅田と中沢を巻き込む(栗本慎一郎や彼が巻き込んだ上野千鶴子などや山口昌男など)「ポストモダン」を超資本主義のサブラカルチャーに傾倒していく吉本から傍観していた。
 吉本は、村上春樹や高橋源一郎の作品を取り込む反面、1981年の『最後の親鸞』のように上昇する思想と非知に至る知の相反にあった。対して浅田は上昇する知そのものであり、蓮實重彦のように吉本隆明の非知の罪責感のようなものを持たなかった。この戯画化された構図は、中沢新一を矛盾においた。中沢は浅田や蓮實のような洗練された知の側に寄り添いつつ(しかし無駄ったといっていいようなあの事件があった)、吉本への傾倒を隠していた。このことを吉本は見抜いて、その渦中には中沢を吉本らしく容赦なく罵倒していた(吉本の親鸞論なく中沢の論が成り立つのかと)。私はあっけなく言うが、私は、わかっていた。『チベットのモーツアルト』はサブカルでもなく、構造主義的なレヴィ=ストロース的なものであく、ましてオウム真理教的な神秘主義でもなく、菩提心を宿した人間の業(ごう)の記録であろうと。
 唐突なのだが、本書『精神の考古学』は、その後の吉本隆明と中沢新一の接近を示す表面的な関連ではなく、吉本が親鸞を宗教から解き放つとした心性に似た、回向の菩提心の現れであろう。中沢新一さんは、若い日に、菩提心を植えられた、と。人がなぜ「慈悲」もって生きるべきなのか、そして生かされて、この本を70歳にして書かされたのだ、と。しかし、そう読む人は私くらいであろう。
 表層と切り捨ててしまったが、吉本隆明は暗黙に自身の思想の後継者として中沢新一を見ていた(もう一人は糸井重里だろう)。特に、この「精神の考古学」つまり、アフリカ的段階の問題がある。本書は、どういうわけか、『アフリカ的段階について: 史観の拡張』という書籍の参照はないが、それなくしてもは、本書の思想的な側面の、背景理解は難しい。そもそも、吉本隆明の『共同幻想論』自体が、私がかつてcakes連載に書いたように、そのままにして人類史の無意識を扱ったものである。
 吉本隆明はマックス・ヴェーバーを血肉化していなが、近代とはWiederzauberung (魔術からの解放)であり、この魔術・呪術は。浅田彰が目指したように構造主義からポスト構造主義における「力」として見つめられたものだが、それが「力」、そして「悦楽」の顕現をするのは、まさに解放の後であり、「知」の勝利であり、ミシェル・フーコーが最後に見い出した生の意味としての快楽も、結局は、理性と個の意志のなかにある矛盾を持っていた。が、吉本はそう見ていなかった。私たの生の歓喜は、知を非知に接した新しい世界史の地平にあるとして、「アフリカ的な段階」を方法的に想定した。余談めくが、吉本隆明は生涯その前段のアジア的段階に苦しめられたが、日本が令和の今にあるも、アジア的な問題に停滞していること、そして世界は超アジア的な方向に向かってしまっていること。そこには、ナショナリズムが救済のように見えてしまうこと(プーチンがそう陶酔するように)がある。
 と、私は無駄なことを語りすぎた。

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 本書は、さらっと「ゲールク派」と「ニンマ派」しか触れていない。西洋で強い影響力をもったカギュ派のチョギャム・トゥルンパなどには言及していないし、チョギャム・トゥルンパの末路も当然描かれない。そこには、祝福された者としての、中沢新一の菩提心の成就がある。教えは幸せを導いた。その幸せというものの、詩のような調べ、が本書の、修行の回想譚であろう。本書は、だから、美しい音楽を聞くように読むだけでもいい。ただ、私は、本書で、70歳を超えた中沢新一が「光」に至ったことを驚きを持って知った。菩提心、慈悲、それらは人の精神の深層に「光」として現れる。「アフリカ的段階」や「精神の考古学」が、ある意味、覆いつつ導いているのは、人の心に現れるそうした「光」であろう。吉本隆明の最後の親鸞は非知に着地したと諸論者に読まれるが、そこにあったものは、やはりこの「光」であろう。

 

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