2014.09.02

率直に聞くんですが、どんなふうに死ぬつもりでいますか?

 ツイッターをしていたら「健康寿命」について知らない人がいた。この話は自著にも書いたのになあと思ったが、だからみなさんが知っているというわけはないよな、当然。
 「健康寿命」にはそれなりに定義はあるが、ざっくり言って健康に生きていられるまでの年齢というような考えである。いわゆる平均寿命より10年くらい短い。男性だとだいたい70歳くらいまで。
 自分も気がつくとけっこう年を取ってしまったので、まあ普通に生活できたとしても、不自由なく動けるのはあと12年といったところ。個人的にやだなあと思うのは、そのくらいまで生きていても、文字の読み書きがまともにできなくなるんだろうな、というあたり。失明はするだろうなあ。
 ちなみに平成22年時点の日本人の健康寿命はこんな感じ。厚生労働科学研究費補助金「健康寿命における将来予測と生活習慣病対策の費用対効果に関する研究」より。

 最新の統計だったかなと、先日発表された2014年版の厚生労働白書(参照)を見ると、同じだった。
 今後、いろいろ国や地域なども尽力して双方延びると思うけど、基本的には頭打ちなんで、大きな変化はないだろう。男性でいうと、今後もだいたい健康寿命は70歳くらいまでだろう。
 単純なグラフだがけっこう含蓄深く、女性は子どもと同居しなければ、死ぬまでの最後の5年くらいは不自由な体でひとり暮らしということになる。
 今後の日本人が35歳くらいで最初の子どもを産むようになると、だいたいその子が35歳くらいで親の支援や介護が必要になる。
 と書いてみて、現状だとそれがまだ10年くらい後にずれているから、45歳くらいからぽつぽつと親の介護ということになっている。
 どっちにしても、支援・介護する側の子どもとしては、自分の側にも子どもができて子育て手生活がつらい時期にあたる。
 つまり今後も日本の国民の生活はかなり厳しくなるだろうなという印象がある。誰も他人事ではないのですけどね。
 白書には都道府県別の健康寿命の差のグラフも掲載されているが、グラデーションの差は誤差くらいにしか思えない。それでもトップの長野県と青森県だと男性で3.6年の差はあるので、そう見るとけっこう大きい。ちなみに、なんで長野県の老人が比較的健康なのかというのは、信州系日本人の私には思うことがいろいろあるが割愛。
 昨日癌の種類の話を少し書いたが、その興味から日本の癌の現状を見るとこんな感じ。これは男性だが。

 ちょっと見づらいが、胃癌は横ばい、膵臓癌と大腸癌は地味に増加、肝臓がんは減少気味、肺癌はさらに伸び率が高い。
 大腸がん検診は有益な部類なので、それと比べると、男性の肺癌の現状は難しいものがある。ここには引用しなかったが女性の場合は、肺癌と大腸癌が大きく、乳癌は他の癌と並びといったふうになっている。
 つらつらと白書を見ると、健康と食事の話もある。各種データは面白いといえば面白い。健康な食事ということで昔の日本食が称賛されることが多いが、データを見ると、1970年の食塩摂取は14.0%、現在は10.0%。昔はけっこうしょっぱい食事だったなあと思い返す。ほか、飲酒、喫煙とかも、近年、めだって下がってきている。
 自殺はどうかなと見ると、よくネットでは自殺は社会問題だという枠組みで話題にされることが多いが、これを見ると、健康問題の比重が大きい。もっともその半数は鬱病によるので、社会問題が鬱病を介して自殺を起こしやすいとは言えるかもしれない。

 ついでなんで白書をたらたらと見ていくと死生観という項目があった。ここに「生きたい年齢」と「生きられると思う年齢」というのが、平均寿命に合わせて掲載されている。

 男性で見ると、生きたい年齢は平均寿命くらいで、生きられると思うのほうがそれより二、三年少ない。女性は現実と想定の間に10年近い差がある。この意識差はなんなのだろうか。女性の意識の根幹に関わるように思うがわからないなあ。
 健康年齢に対する想定は、白書には掲載されていない。ざっとした印象だと、死期が近づかないと体がぼろぼろとなっていく実感は持ちづらいのではないか。
 死というもののイメージは、実際に自分が死ぬ場所のイメージとして捉えるとわかりやすいものだが、そういうデータも載っている。

 まず言えることは、三割くらいの人はどう死ぬか想定なく生きているということだ。これは介護されるというイメージもあまり湧いてないということなのだろう。その想定のなさの部分が、現実には病院での死に回収されるというふうになっているようだ。まあ、日本人の八割方は病院で死ぬことになるよね。
 意外だなと思えたのは、半数近い人が自宅で死にたいと思っていることだ。生活の延長に死をなんとなく想定しているか、家族に看取られてみたいな思いなのだろう。これから生涯未婚者も増えるだろうが、それでも自宅で死にたいと思うだろうか。
 白書を見ていていて僕がびっくりしたのは、これ。死が怖いかというデータである。世の中半数ちかい人は死が怖いと思っていないのだなあ。

 どうも僕のように死が怖いと思って生きている人間は、社会的にはそう多くないんじゃないかとはうっすら思っていたが、いやはや半数もいたのかあ。僕なんかからするとちょっと社会観変わるなあ。
 そもそも死というのを大半の人が考えないんじゃないか、というと、そうでもないようなデータもある。

 三割くらいの人は死のことを考えないで生きているが、七割くらいは考えてはいる。
 すると……考えはいえるがそれほど死が怖いものではないと、いう人々がそれなりにいるのだろう。
 これだけのデータからは読み取れないが、死は考えるけど別段怖いものではないという人々は二割くらいだろうか。それがうっすらした意識にまで広げると四割くらいにはなるだろうか。
 と、そんなことを考えるのは、そのあたりに、日本人の宗教意識が隠れているんだろうなと思うからだ。
 日本人の大半は明示的な宗教意識をもたないが、なんとかこの世を暮らしてて来世の思いに繋げる信仰のようなものを持っているのだろう。
 そのことが死を社会連帯と個人で引き受けていく市民意識とどう関わっているのかとても気になる。難しい問題だなあ。そのあたりの意識が、実際には、高齢化社会の介護や健康寿命を終えた人への対応とも関わってくるように思うからだ。
 
 

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2014.09.01

癌についてちょっとめんどくさい話

 日本テレビ「24時間テレビ」を見なくなって久しい。というか今でも毎年やっているのかすら知らないが、この間、ツイッターを覗いていると、『はなちゃんのみそ汁』というドラマが話題だったようだ。同題の書籍もあり、関連のブログもあるらしい。当のドラマはどうかというと、該当のテレビサイトによるとこういう話らしい。
 新聞記者・安武信吾は、音大学生・松永千恵と交際。信吾は千恵から乳がん打ち明けたが、信吾は千恵と生涯をともにすると決意。千恵のがんは悪性度が高く、再発の可能性あり。抗がん剤治療後、5年間再発の兆候がなければ完全寛解(テレビのサイトでは「完治」とあるが誤植だろう)。治療を続けながら出産、はなが産まれるが、はなが9か月のときに転移が判明。玄米に味噌汁という食事療法を始め、はなが引き継ぐ……という話らしい。
 つらい話だなと思う。
 ツイッターで見かけた話題は、この食事療法を含め代替医療への批判が多いようだった。私はドラマも見てないし、本も読んでないので、どのような治療生活をしていたか知らないのでなんとも言えないのだが、ツイッターでの話題を見ていると、癌は早期発見で標準治療をすればよいのに代替医療がそれを邪魔するという枠組みで語られているものが目立った。そういう考えもあるかもしれない。
 これについては、ちょっとめんどくさい話がある。めんどくさい話はブログでするもんじゃないのだが、ちょっとだけ触れておきたい。
 まず、癌の代替補完医療について知りたいのであれば、厚生労働省がん研究助成金(課題番号:17-14)を元に「がんの代替療法の科学的検証と臨床応用に関する研究」班と独立行政法人国立がん研究センターがん研究開発費(課題番号:21分指-8-④)を元に「がんの代替医療の科学的検証に関する研究」班がまとめた無料配布の『がんの補完代替医療ガイドブック【第3版】(2012年)』(参照PDF)を読むとよい。
 この話題は同冊子に尽きていると思われるので、読後は過剰に代替医療を忌避する必要もないだろう。
 この日本の研究のさらに元になったのが、米国国立衛生研究所(NIH)の代替補完医療部門(参照)で、米国で実際代替補完医療が普及していることに対して連邦がどうあるべきかということを示した。簡単にいうと、現状があるのだから連邦としても最低限の指針を示しましょうということ。
 以上で話は尽きているといえば尽きているのだが、ツイッターやネットでよく見かける早期発見と標準医療の話はさらにめんどくさい。そのめんどくさが代替医療の普及とも関連している面もありそうなのがさらにさらにめんどくさい。
 このめんどくさい問題に、NIHはすでに着手している。
 まだNIHとして公式の指針は出していないが、すでにその研究班が医学誌JAMAに昨年、関連の論文を出した。「Overdiagnosis and Overtreatment in Cancer: An Opportunity for Improvement」(参照)。表題を見てもわかるように、癌における過剰診断と過剰検査の問題を考慮するというものである。
 この論文は基本、厚生行政の問題で癌患者に直接は関係ないとも言えるのだが、実質、ニクソン時代から始まった米国の癌戦争の総括とも言える部分があり興味深い。「[書評]病の皇帝「がん」に挑む ― 人類4000年の苦闘(シッダールタ・ムカジー )」(参照)で紹介した同書とあわせて読むと味わい深いだろう。
 内容を簡単にまとめることは難しいが、論文掲載に実質まとめとして掲載されている表がなかでも含蓄深い。


 全体はIncidence(発生率)とMortality(死亡率)で分け、1970年から2010年までの40年間の厚生行政、医学・標準医療における癌対策の成果をまとめている。
 全体は3分類の例でなりなっていて、これが実質、NIHが構想する癌のタイプに関連しているのだが、わかりやすいのがExample2のColon(結腸癌)とcervical(子宮頚癌)である。端的に発生率が低下している。つまり、スクリーニング(検診)がかなり有効であったと言える。早期発見が重要だとも言えるだろう。ちょっと微妙な余談を言うと、よって子宮頚癌については厚生行政としてはワクチン効果と早期発見体制の全体をどう見るかという問題もある。
 それを見た上で見るとわかるのが、Example1のBreast(乳癌)とProstate(前立腺癌)とLung and bronchus(肺癌・気管支癌)で、発生率は低下していない。背後に検診・早期発見があってこの状態なので、当然現状での検診・早期発見の効果をどう見るかということが問題視されることになる。現実乳癌と前立腺癌の検診や早期発見については現状諸論がある。ただ、この表から見ると全体傾向としては、早期発見は言われるほどの効果はなく、標準治療も万全の効果があるとも言いがたい。
 Example3のThyroid(甲状腺癌)とMelanoma(黒色腫)については、ごらんのとおりかなり難しい状態にある。
 以上から一つ言えることは、癌でひとくくりはできないということ。また同じことだが、早期発見と標準治療の枠組みはその癌の種類に対応しないとそれほど意味はないだろうということである。
 ネットやツイッターの世界は、信じた正義からいろいろ他者をバッシングする傾向が見られるが、信じられる正義の根拠の評価は仔細に検討するとなかなか難しいことが多い。
 
 

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