2014.10.27

計算尺の思い出

 先日、宮崎駿の『風立ちぬ』について書いたおり(参照)、こういうコメントを貰った。名前は出す必要がないので省略する。


申し訳ないけど、どう読んでも映画の素晴らしさが伝わってこない。これはもう世代の断絶だね。

 この映画のすばらしさを伝えるのが目的ならたぶん、読者層を想定して別の書き方をすると思う。また、評論的に書くなら、cakesのような別の媒体に書くと思う。先日の話は、自分の思いをまず自分のブログに勝手に書いてみたかったというのがあった。ただ、「勝手に」といっても迷ったことがあった。計算尺のことである。
 この映画では、計算尺がとても大きな意味をもっている。だが、そもそも、計算尺というものの歴史的な情感が、ある年代より若い人に伝わるのだろうかと考えていた。もちろん、計算尺がなんであるか、というのは、一言で言える、手動式の簡易な計算機である。であれば、電卓のようなものかというと、とりあえずそうだとも言えるが、ここから、微妙に口ごもるのである。
 電卓はどちらかというと算盤に近い。算盤については、教育的な見地から現代でも見直されつつあるし、米国などでも理解されている。数という概念や四則演算を理解する教育的な道具にもなりうる。しかし、計算尺となると、対数の理解にはよいかもしれないが、やはりそうもいかないだろう。
 算盤と計算尺はどう違うのか? なぜ飛行機の設計者が計算尺を片時も離さなかったのか? なぜ「風立ちぬ」の主人公は片手で計算尺が使えることを誇っていたのか?
 ここで「そんなことあたりまえだろう」と言えるのだろうか。いや、もちろん、設計には計算が必要だから計算機が必要……という文脈は理解されるだろう。ここでさらに口ごもる。
 本当は、計算尺とは何か、なぜそれが使われたのか、ということを、説明した気持ちに駆られる。もちろん私が適任者ではない。幸い、この文章を書き始める前にネットを検索したらそういう説明サイトもあったので、詳しく調べることもできるだろう。ついでに、私より一年年下の女優・樋口可南子が中学生のころ計算尺のクラブに入ってという話も見かけた。
 私の思い出みたいなところから話したい。大正15年生まれの私の父も技術者だったので、いつでも計算尺をもっていた。家にも計算尺が何個かあった。小学生の時、自分専用にもらったこともある。嬉しかった。父の部署の若い人で、計算尺大好きという人がいて、わざわざ計算尺の個人教授をしてもらったことがある。残念ながら大半は忘れてしまったが、彼が熱烈に述べていたのは、一つの計算をしてその答えを出したあと、さらに数値を使ってどう次の計算をやっていくかという、計算尺特有の手つきだった。感心して見ていた。手の動かし方が見事だった。映画を見て、あれを片手でやるのだなと、胸にじんときた。
 私にとって計算尺の時代は1960年代である。すでにコンピューターの時代が到来することはわかっていた時代でもあり、私の父も特別にコンピューター技術の講習会に通っていた。その時の講座テキストで私はコンピューターを学んだ。70年代が始まる前のことである。その後、トランジスタを使ってAND回路やOR回路などからラッチを作る技術などに私も夢中なり、そこからコンピューターに魅了されていくようになった。
 関連してもう一つ思うことがあるが、私は小学生のころ父から電気磁気を学んだのだが、そのころの教科書にはすべて巻末に三角関数表と対数表が付いていた。あの数字だけのページを見なくなって久しい。あの数表は計算尺の補足でもあった。
 変わったのはいつだろうか。転機は関数電卓の登場である。その始まりは、HP-35。1972年である。ポータブルで画期的な関数電卓だった。余談だがこいつはリバース・ポーリッシュ方式だった。FORTHと同じ、ポストスクリプトとも同じである。
 HP-35の1972年は「カシオミニ」も出て、日本社会にも大きな影響を与えた。現代的な意味での電卓というものの事実上の始まりと言っていい。社会的なエポックは名刺サイズまで小型化された1978年のLC-78だろう。だが、計算尺を実際に追いやったという点からすると、1974年のカシオのポータブル関数電卓fx-10からだろう。
 この歴史に並行してマイコンが成長していた。嶋正利が関わった、現代のマイクロプロセッサの原形のインテルの4004が1971年。8ビットの8008が翌年。この時点ですでにパソコンの原形が見え始め、1974年に我らが8080が登場した。アルテア8800が翌年である。ここからマイコン、そしてパソコンの文化が始まる。当初はマイコンのニーズは制御が主目的だったが、BASICをOSとして(そうだったのだ)コンピューター言語を持ち、関数計算に結びついていった。
 かくして、1980年までにはだいたい計算尺のニーズはなくなっていった。
 しかし、1970年までの技術の世界の大半を支えていたのは計算尺である。原爆も計算尺から生まれた(ファインマンが機械式計算機を使ったのも有名だが)。人類を月面に送り出した技術も計算尺に大きく依拠していた。アポロの乗員は計算尺を持っていた。
 現代ではもう、『風立ちぬ』のような計算尺は製造もされていないらしい。円盤形のはまだある。あれだと、手つきは変わるだろうなと思った。
 
 

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2014.10.25

[映画]風立ちぬ(宮崎駿)

 宮崎駿の『風立ちぬ』は前評判的な情報などを聞いて少しうんざりした感じもあり、また私も、リアリズムっぽい作品が苦手でSFやファンタジー的な作品のほうが好きだし、どっちかというと、アニメ映画は子どものためにつくるもので、大人のために作っちゃいけないつくっちゃいけないような感じもしていたので、少し避けていた。

cover
風立ちぬ
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 が、見た。完全な作品だった。そのことにまず圧倒された。もちろん、三行でまとめられる大きなストーリーがないのにどこが完璧なんだよという意見もあるかもしれない。いや、そうしたストーリーこそ完全性の対極にあるものだ。
 まったく隙というもののない完全な作品だった。こんなものが創作できるのかというのが驚きだった。隙のなさはバランスの良さということもであるのだが、映像のディテールの充実にも圧倒された。緻密に歴史考証していくと間違いやフィクションとしてやりすぎという部分もあるのかもしれないが、よくここまで詳細に風景が描き出せるのものだ。
 オオバコの一カットにさえ泣けた。タバコに火をつける紙マッチのしぐさもしびれた。言葉の美しさは陶酔的でもあった。「大心配(おおしんぱい)」の響きが聞けたときには涙ぐんだ。そして私のルーツは軽井沢だし、故郷の一つといってもいいあの町の、万平ホテルあの風景はも胸締め付けられるほどの郷愁を感じた(さりげないテニスコートのシーンは戦後の天皇制の近代性への信頼もある印象を受けた)。
 映画に描かれているあの時代の風景を生活実感の延長として想起できる世代が恐らく昭和32年生まれの私で最後なのだろう。よくこれだけの映像を残してくれたなあという感謝のような思いがある。
 物語のテーマは、近代人の夢ということでよいのだろう。もちろん、巨大な作品だし、多様な読み方はできるだろう。零戦賛美というような陳腐な理解というか誤解についても作者は想定の上だろうし、戦争との関連の自己批判はゾルゲをなぞらえた人物からも語られていた。だが率直に言えば、この映画の、言語化できる思想的な意味合いなど、どうでもいい。
 意味は、近代人の夢というもののもたらす魅惑と、必然的な悪、その双方をそのままに含めて、それが時代の狂気のなかで風が立ちあがるとき、人は生きようと試みなければならない。その生への依拠に美が現れることは避けがたい。

  Le vent se lève, il faut tenter de vivre.
  風が立ち上る、生きようと試みねばならない。

 映画の冒頭のシーンで、菜穂子が"Le vent se lève"と語りかけ、堀越二郎が"il faut tenter de vivre"と答えるシーンは軽妙なのにテーマが強く暗示されて美しかった。
 菜穂子が"Das gibt's nur einmal"でリリアン・ハーヴェイ(クリステル)に重ねられたイメージで示されたシーンも心地よく感じられた。歌詞の訳は表示されなかったが、菜穂子の死を暗示する響き("Vielleicht ist es morgen schon vorbei")があった。


Das gibt's nur einmal, das kommt nicht wieder.
Das ist zu schön, um wahr zu sein.
So wie ein Wunder fällt auf uns nieder
vom Paradies ein gold'ner Schein.

これは一度だけあることで、再び来ることはない。
それは素晴らしすぎて、本当ならありえない。
だから天国から奇跡みたいに
私たちに降ってきた黄金の輝き

Das gibt's nur einmal, das kommt nicht wieder,
das ist vielleicht nur Träumerei!
Das kann das Leben nur einmal geben,
vielleicht ist's morgen schon vorbei!
Das kann das Leben nur einmal geben,
denn jeder Frühling hat nur einen Mai.

これは一度だけあることで、再び来ることはない。
これは多分ただの夢にすぎない。
生きているのはただ一度のだけかもしれない
多分、明日はもう終わっている。
生きているのはただ一度のだけかもしれない
だって、どんな春でも五月は一度だけだから。

 ふと振り返ると、この映画には英語が出て来ないのもよい。英語や英語的な批評観点からは見えにくい「生」の感性がよく表現されているようにも思えた。
 この映画をもって宮崎駿が制作を終えるということも納得がいった。そして、そうしたごく彼の個人的な了解で私の印象を語るなら、菜穂子の性交の暗示がありながらその死の描写を避けたのは、九試開発の描写を避けたことにも重なるが、そうした堀越二郎の人物像に関連しているよりも、宮崎自身のごく個人的な青春の思い出に関連しているように受け止められた。
 
 

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