2025.03.19

イズベスチから見るトランプのウクライナ政策

 3月18日のイズベスチヤがトランプ米政権のウクライナ政策を総括していた。ロシアから問題はどう見ているのだろうか(参照)。まず、ドナルド・トランプ米大統領は2期目のスタートから、ウクライナに対して一貫しない態度を見せているとしている。西側諸国を前に、彼は明確な立場を避け、曖昧さを保ってきた。例えば、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領に鉱物資源の開発協定を突きつけ、その場にいないゼレンスキー氏を批判した。さらに両者は直接対決し、トランプ氏は軍事援助をストップさせた。それでも、彼は「平和的解決が最優先」と口では主張している。この矛盾した姿勢はどこから来るのか。記事は2019年に遡るエピソードを背景として挙げている。当時、トランプ氏は初任期中、ウクライナにジョー・バイデン氏の息子ハンターの汚職疑惑調査を要求したものだった。両首脳の電話会談で話題に上ったこの件は、支援との交換条件と報じられたが、結局、米国は資金を出し続けたものの調査も実現しなかった。この騒動は民主党の弾劾攻勢にまで発展し、トランプ氏に苦い記憶を残した。今のウクライナへの態度は、その過去の影を引きずっているようだ。

ゼレンスキーとの衝突

 トランプ氏とゼレンスキー氏の関係がこじれたきっかけを、3月18日のイズベスチヤはこう振り返っている。2024年の米大統領選挙中、ゼレンスキー氏は激戦州ペンシルベニアの砲兵工場を訪問したが、そのおり、民主党のジョシュ・シャピロ知事とボブ・ケイシー上院議員を伴い、トランプ氏の紛争解決能力に疑問を投げかけていた。さらに、副大統領候補J・D・ヴァンス氏を「過激」と切り捨てる発言まで飛び出した。共和党側はこれを選挙への介入と受け止め、トランプ氏自身は個人的な遺恨をゼレンスキー氏に抱いた。再選を果たした後、彼はゼレンスキー氏と会談し、中立を装いつつ和平への意欲を示したが、具体策は一切明かされなかった。強硬派として知られるキース・ケロッグ氏を特使に任命し、モスクワとの交渉を進めたが、ウクライナ側へは冷ややかだった。その後、トランプ氏はウクライナ軍の維持費の高さを理由に、再び鉱物採掘協定を押し出した。しかし、ワシントンでの調印式は口論で決裂した。トランプ氏は「米国を軽視している」とゼレンスキー氏を非難し、謝罪を要求した。この衝突が引き金となり、ウクライナへの軍事援助は完全に停止し、停戦協議に応じるまで支援も情報も渡さないと突き放した。トランプ氏がウクライナから一歩引いたのは、この一連の経緯が大きいだろう。

ロシアとの対話

 イズベスチヤはトランプ氏がロシアのプーチン大統領との電話会談を興味深く注視している。ウクライナ側はこれに強く反発したが、トランプ氏は動じなかった。彼はウクライナ支援の負担を欧州に丸投げするつもりだと、批判に答える形で示唆した。
 イズベスチヤ記事は、トランプ氏の頭の中にある地政学的ビジョンをこう読み解く。ロシア、米国、中国の三大国が世界のバランスを握るべきで、ウクライナはその構図に不要だというのだ。この考えは、ウクライナを支えるグローバリスト勢力と真っ向から対立する。トランプ氏は彼らの価値観を共有せず、米国の利益だけを守る多極体制を模索している。注目すべきは、軍事援助停止は公式に発表せず、匿名ホワイトハウス関係者を通じて漏らした点だ。これは、方針をいつでも変えられる余地を残している証拠だろう。記事はさらに、トランプ氏がウクライナの敗北を気にせず、むしろ欧州グローバリストの崩壊を待っていると分析している。ハンガリーのオルバーン首相を盟友と見なし、ウクライナ支援に懐疑的な右翼が欧州で台頭すれば、ウクライナへの関心はゼロになるかもしれない。中国への対抗を最優先とするトランプ氏にとって、ウクライナは単なる「邪魔者」に映っている。

トランプが導くウクライナの未来

 トランプ氏のウクライナ政策にはその個性が色濃く反映されていると、3月18日のイズベスチヤは指摘する。彼は派手な振る舞いで注目を浴びるのが好きで、リスクを冒す冒険心も持ち合わせている。選挙戦で規範を破りまくった姿勢は、ビジネスの世界での成功を政治に持ち込んだものだ。ゼレンスキー氏との口論では、感情的な不安定さが炸裂した。相手を辱めることに躊躇せず、負けることを我慢できない性格が露わになった。ただ、冷静な相手には弱い一面もあるという。ウクライナへの軍事援助全面停止が検討される中、トランプ氏は欧州や民主党からウクライナを「買収」しようとしたが、ゼレンスキー氏の抵抗で失敗に終わった。西側諸国は両者の連携を望まず、関係修復は遠のいている。2年後の議会選挙を控え、トランプ氏は中国問題に全力を注ぐつもりなので、ウクライナはもやは苛立ちの種でしかない。
 イズベスチヤ記事は、今回の分析は、政治学者ウラジミール・モジェゴフ氏と心理学者イリーナ・スモリャルチュク氏の見解を交え、トランプ氏の行動が予測可能なパターンに従っていると締めくくっている。



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2025.03.18

石破茂首相の商品券配布「問題」

 日本の石破茂首相が、自民党総裁として新人議員に10万円相当の商品券を配ったことが波紋を広げている。野党は政治資金規正法への抵触から「説明責任」を追及し、マスコミは「政治とカネ」の定番ネタとして取り上げている。総額150万円程度という金額は、国家運営の観点からは些細なものだが、この問題の本質は金額ではない。石破首相の責任感の構造的な欠如と、自己を度外視した他人への責任転嫁的姿勢だ。少し整理してみたい。

商品券配布の発覚と石破首相の初動対応

 問題が表面化したのは2025年3月13日夜である。朝日新聞などの報道によれば、石破首相は3月3日に首相公邸で自民党の当選1回の衆院議員15人と会食を行い、その前に各議員の事務所に10万円分の商品券を届けさせていた。報道直後、石破首相は記者団に対し、「私自身の私費、ポケットマネーで用意したものだ。政治活動に関する寄付ではなく、政治資金規正法にも公職選挙法にも抵触しない」と即座に釈明し、翌14日の参院予算委員会では、「法的に問題はない」と強調しつつ、「多くの皆様に不信や怒りを買っていることは深くおわびする」と付け加えた。それだけ見れば、この過程も大した問題でもないようにも思える。
 ただ「ポケットマネー」という言葉は引っかかる。石破首相は「私費だ」と繰り返すが、その資金の出どころに曖昧な部分は残る。一部では内閣官房機密費が使われたのではないかとの憶測が飛び交った。首相は「亡くなった親の遺産もあるし、議員を40年近くやっているとそれなりに自由に使えるお金はある」と述べて否定したが、具体的な証拠や収支の透明性が示されない以上、納得しづらい。150万円をポケットマネーで賄えるほどの余裕があるという主張をさらっと言ってのけるのにも呆れるが、それ以前に今回の件の責任者としての自覚のなさに呆れる。

自民党の慣例と責任感の不在

 この商品券配布が自民党内で慣例化していた可能性もある。毎日新聞の報道によれば、過去の自民政権下でも同様の行為が複数回行われていたと関係者が証言していた。が、自民党党内での証言者の発言撤回などもあり、実態はわからない。とはいえ、石破首相自身も、「これまでに他の会合で商品券を配ったことはある。回数は両手で数えられるくらいだ」と認めている。基本的に、商品券配布ということは長年続いてきた行為でありながら、それが問題であるという認識が自民党に欠如していた。だが、だからといって自民党総裁である石破首相にこの認識が欠如していてよいというわけもない。
 この件について、石破首相は謙虚なのか尊大なのか、よくわからない印象がある。事態の発覚当初、石破首相は疑念を問いかけた記者に「一体どこの法律に引っかかるんだ」と逆質問したが、詰問の口調であった。政治資金規正法第21条の2では、政治家の政治活動に関する寄付を禁じ、違反すれば罰則が科されるが、首相は「これは政治活動ではない。議員やその家族へのねぎらいだ」と主張した。法的にはそうだろう。だが、首相公邸で自民党総裁として新人議員を集め、官房長官や副長官が同席する会合を「政治活動でない」と公に強弁するのは政治家として重要なネジが外れている。日本維新の会・柳ケ瀬裕文議員が参院予算委員会で「明らかな詭弁だ」と批判したが、それも失当感あるものの、石破首相には野党側の声を受け止めている感覚はないのだろう。薄っぺらい粘ついた敬語の口調があるだけだ。

国民感情への責任転嫁と精神性の欠如

 石破首相の一連の対応で最も呆れるのは、結局のところこの問題を「国民感情」にすり替えた点である。14日の参院予算委員会で、「世の中の人がおかしいと思うことは大変申し訳ない」「国民の皆様にご理解いただくために謝る」と発言した。つまり、「私は法的に正しいが、国民が怒っているから謝る」という論理だ。これはあまりにもおかしい。政治資金のグレーな運用への不信感や怒りは、単なる感情ではなく、透明性と説明責任の欠如に対する正当な疑問から生じたものだ。にもかかわらず、石破首相は自身の責任を棚に上げ、国民の感情が問題だと、つまり他人に責任を回しているのである。
 石破首相はかねてより「精神性努力」を政治信条として掲げてきたが、この件での対応を見ると、その精神性は空虚である。商品券を配る際も、自身の監督責任を顧みず、自分からではなく自民党の慣例かのように振る舞い、そして問題が発覚すれば記者をやり込めて「法的に問題ない」と言い放つ。そもそも法的な問題がないことは最初から分かっているはずなので、悠然と記者をやり込める。これがなぜ問題なのかという所在を考える努力は最初から放棄されている。挙句の果てに「国民感情が悪い」と責任を転嫁する。石破首相はマックス・ウェーバーを借りて政治家に問われるのは結果責任だと言うが、この一連の行動から伺えるのは、すべて「お前たちが騒いだ結果」の責任を私が負ってやるのだという、なんとも薄気味悪い自己尊大感である。他者が問題を指摘するなら、「謙虚な私なのだから、その対処を誠心誠意済ませよう」という姿勢が透けて見える。

なぜこのタイミングなのかの説明の欠如

 そもそもなぜこのタイミングで商品券を配ったのか、その理由が石破首相自身の声で語られていない。彼は「新人議員の苦労への慰労」と説明するが、2023年の自民党派閥の裏金問題が未だに尾を引く中で、10万円もの商品券を配る判断が「純粋なねぎらい」だというのはまともな神経ではない。なぜなら、受け取った議員側が「社会通念上の範囲を超えている」と感じて全員返却しているのである。普通におかしいだろう。この事実からも、石破首相の感覚のズレは明らかである。
 この一件は石破政権の求心力を確実に低下させるかもしれない。自民党内からも「資質が問われる」(日本経済新聞)、「退陣を検討すべき」(毎日新聞)との声は上がっている。日本の野党は政策立案能力に乏しいので、大衆の一時の空気に乗って、予算審議や内閣不信任案で追及を強めるだろうし、夏の参院選を控えた与党にとっては最悪のタイミングだろう。立憲民主党の野田佳彦代表は「政治活動に関する寄付に当たる可能性が高い」と指摘し、国民民主党の玉木雄一郎代表も「疑惑が払拭できなければ首相を続けるのは困難」と述べている。政治の論理としては、それもマトが外れているが、頷きたい心情はある。
 個人的には、自民党に特別な愛着も嫌悪もない。だが、こんな人物をトップに据える政党はやだな。私自身、碌でもない人間でもあり、普通の世間で考えるなら、「世の中にはおかしい人もいる」と許容して生きていくしかないが、これが日本の首相となると話は別だろう。次の選挙で、国民がどう意思表示するのか見ておきたい。



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