2019.08.24

[アニメ] 魔法使いの嫁

 アニメ版の『魔法使いの嫁』を見た。面白いか面白くないかで言うなら面白い、感動したかというと感動もしたのだが、なにより独特の情感のある作品だった。誰もが面白い、感動するという作品でもないだろう。が、この作品はある人の命を救うかもしれないとは思った。ある人、それは、10代の女の子と言ってもいいだろう。あるいは、男の子も。

 

 あえてひどい言い方をすれば、メンヘラ女子がメンヘラ男子との付き合いを通して、共依存的なメンヘラ理解を広げてなんとか生きていく、ということを、英国とそのオカルティズム風味で描いている。いや、その風味のほうがこの作品の本質なのだという楽しみ方もあるだろう。
 話はこんな感じ。15歳の日本人少女チセ(羽鳥智世)は自暴自棄にかられ、自身を闇の世界のオークションに売り出す。すると、そこで、バッファローの頭のような骨を頭部とする怪物、魔法使いエリアス・エインズワースに500万ポンドで買い取られる。理由は、自身の弟子にしそして嫁にするというのである。もう一つの理由は、チセが抱えている魔力が異常に大きいこと、そしてそれゆえに長くは生きられないこともエリアスの思いにはある。
 かくして二人の英国の田舎暮らしが緩慢に始まり、ファンタジー物語も始まるのだが、話が進むにつれ、エリアスの暗い過去やチセの暗い過去、この世界の不条理、その象徴としてのカルタフィルスなどが描かれる。
 ファンタジーそのものを楽しむ読者・視聴者が多いだろうと思うが、私は、親から生きることを否定されたことで心を病み、死を選ぶ15歳の少女の物語の比喩として見ていた。物語でも、チセは日本で死んだことになっており、むしろ英国での物語は、彼女の死後のメタファとしてもいいだろう。
 そう語ると、いかにもチセはメンヘラなのだが、物語ではそうではない。いわゆるメンヘラとしての奇矯な様子はない。ただ、心が傷つき、生きることができない心情を静かに絶望的に抱えているだけだ。魔力が異常にあるとしても、なろう系のように、彼女の意図でチートで使うわけでもない。
 もう少し言うなら、私はこの物語で、私自身が救われるだろうかという関心があった。私も生の呪いを受けて生きていた。チセもエリアスもわかるという思いは強い。それで、救われたか? そういう感触はなかった。
 原作はラノベではないようだ。コミックを比較的忠実にアニメ化しているようだが、機会があれば原作も読んでみたい。
 アニメの物語は、2クールで大きく完結している。原作ではその後、学院版もあるが、作品のテーマの連続性があるかわからない。

 

 

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2019.08.23

[書評] 60歳からを楽しむ生き方 フランス人は「老い」を愛する (賀来弓月)

 このブログを始めたとき、45歳だった。8月15日だった。それから月日が流れ、僕は62歳になった。我ながら驚いている。40歳を超えたときも、年を取ったものだと思ったが、そこから先はあっという間であった。振り返ると、25歳から45歳というのもあっという間だった。人生というのはけっこうあっという間に過ぎてしまうものだと思う。そして、人生の残りは、もうそれほどないだろう。あれもしたい、これもしたい、という思いもあり、いつかできるとも思っていたが、たぶん、そう思っていても、できはしないだろう。
 40歳のときに難病を発症して人生絶望した。子供を4人も作ったはいいが、育て切れもせず、彼らが成人する姿も見ることもないと悲嘆したが、そうでもなく、とりあえず生きているのだから、自分も十分幸せの部類である。それでも、さすがに老いた。難病の寛解が長く続くといいのだが、そればかりは運だ。私の父親は現在の僕の年齢で人生を終えた。
 まあ、あとどれだけ生きるものか。意外と生きちゃう可能性もないではない。健康とも言えないが、統計的に見れば、大半の人が健康寿命を終えても寿命までだらだらと生きられたりする。それも、怖いなあと思う。
 というので、備えあれば憂いなしというわけでもないし、実際的にはなんの備えもしてないのだが、老いについて学ぼうと思う気持ちにはなっている。この本もそうした思いで読んだ。タイトルと著者に惹かれたからであった。

 

 で、この本、どうだったか? 変な言い方だが、普通に良い本ではあった。読みにくくはないし、十分にいろいろ書かれている。フランス語の章句も散りばめられているが、僕程度のフランス語学者でも理解できる。ただ、書名から受ける印象の啓発書的な書籍とは異なり、落ち着いたどっしりとした内容であり、読む人を選ぶかとは思った。なので、この本は特に勧めるというものでもない。そういえば、B.F.スキーの『初めて老人になるあなたへ ハーバード流知的な老い方入門』も似たような印象であった。もちろん、似たタイプの本ではなく、スキナーらしいプラクティカリティの本だが、やはり読む人を選ぶ感じはした。

 

 それはさておき、本書に戻る。
 賀来弓月氏の生き方に憧れる思いは当然あった。外交官として各国で活躍され、65歳以降だろう、退職後はフランスのカトリックの修道会が運営する老人ホームで介護のボランティアをされていた。老老介護という印象もあるし、まさにそうした様子は本書にも描かれている。それは、なんだろう、ある種、美しい世界であった。 

 自分が奉仕活動をしているというようなことは、もともと他人に吹聴すべきことではないと考えていましたし、日本においてはフランスの高齢者を取り巻く環境やカトリック女子修道会の活躍などは余り大きな興味の対象にならないかもしれない。そんな気持ちもあったせいか、私は自分のしていることを他人に口外することはありませんでした。
 しかし、私にも思いがけない出来事が起こります。76歳のとき、医師からがんと診断されたのです。病気治療のために、もうフランスには行けなくなりました。
(中略)
 そんな時に私の心の中に生まれたのは、「死ぬ前にフランスでの経験を書き遺しておきたい」という思いでした。

 著者の秘めたるカトリック信仰は本書から感じられるが、信仰そのものは本書に描かれていない。フランス人が老いの時期を大切にするという側面があるが、全体として見れば、一面だとも言える。むしろ、映画『アメリ』のようなものから伺えるものがわかりやすいかもしれない。
 ただ、この本を読みながら痛切に思ったことはある。僕も老いて孤立していくのはいけないなあということだ。当たり前すぎてばかみたいだが、大きな課題に思えた。という話を人にしたら「ネットとかを通して何かしたら?」とも言われたが、そこにためらいはある。まあ、この二年間ほど語学学校や語学講習、大学図書館に出かけていたが、秋からは大学生でもやるかなと思っている。

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