2025.01.14

バイデン政権という汚点

 バイデン政権はひどいものだったなあという印象が強いが、なかなか主要メディアは口を拭ってるものだと思っていた。が、BBCにそれなりの記事が掲載されていた(参照)まあ、そうだろう。それを参考に書いておきたい。率直にいって、老化したトランプ次期大統領もこうなりかねないのだから。
 2025年初頭、ホワイトハウスの記者会見場でのバイデン大統領の姿は、歴史に残る象徴的なものとなった。言葉に詰まり、視線を彷徨わせる瞬間が繰り返され、聴衆の中に沈黙と不安が広がった。かつてオバマ政権時代に副大統領を務め、熱意ある演説で国民を鼓舞した「巧みなコミュニケーター」としての面影は、無惨なほどそこにはなかった。
 バイデン氏の「年齢の影響」という疑念は、すでに2023年の大統領選テレビ討論会で最高潮に達していた。共和党候補として再出馬したトランプとの対決は、かつての「トランプvsバイデン」の再現として注目を集めたが、結果は老いたバイデン氏の予想内というより想定外の老化を見ることになった。バイデン氏は討論中、言葉を見失い、話題を取り違える場面が目立ち、支持者は顔を曇らせた。主要メディアはこの時点でもいい加減な報道をしていたが、現実は「この人物が再びリーダーであり得るのか」という疑念は、彼の発言を重視していた有権者を失望させた。その直後、支持率は歴史的な低水準である30%台にまで落ち込み、巻き返しのチャンスはもう訪れなかった。というか、カマラ・ハリス氏で一気に払拭しようとしたのだろうけど、端的に言って準備不足だった。
 今だから言えることかもしれないが、大統領の特別顧問による報告では「記憶力の低下」が記され、「衰えた判断力」が政権運営に深刻な影響を与えていると結論付けられていた。この報告はバイデン支持派をも動揺させ、民主党内からも「新しい世代へのバトンを渡すべきだった」という声が高まった。右派メディアはバイデンの発言のミスや不明瞭な返答を集めたクリップを繰り返し放映し、共和党の攻撃材料となった。だが、右派報道だからという文脈では済まされないバイデン政権の指導力の欠如は、大統領選の行方を決定づけることになった。バイデンは演説で「自分の年齢は秘密ではない」と述べ、「結果を出す力はある」と自信を見せたが、国民の不安は解消されなかった。それを今もバイデン氏自身はもう認識できないほどだ。

老化が招いた国際的混乱
 老化はバイデン大統領の「迅速な決断力」を蝕んでいた。特に国際問題での遅れは致命的だった。2021年のアフガニスタン撤退は、米国の威信を大きく揺るがせた瞬間として記憶されている。カブール空港が混乱と恐怖に包まれた映像は全世界を駆け巡り、混乱の中で多くの人命が失われた。この撤退自体は前政権で決定されたものだったが、軍事アドバイザーが提案した段階的な撤退プランを無視し、「無秩序な撤退」を選択したバイデンの判断は、米国の信頼を失わせた。「脆弱な撤退」として歴史に刻まれた決定は、彼の支持基盤にも打撃を与えた。
 国内政策においても、パンデミック後の経済再建策は効果を発揮する前に物価高騰を招き、中産階級を苦しめた。インフレ対策を巡る決定の遅れは「一時的」と称されながらも、食品価格の急騰、住宅ローン金利の上昇といった生活必需品への影響を及ぼした。特に2023年のホワイトハウス会見で、インフレ率が上昇しているにもかかわらず「経済は安定している」と述べた発言は、専門家から「現実認識のずれ」と批判された。これにより市場は動揺し、多くの国民が経済政策への不信感を抱いた。
 ウクライナ戦争に対する対応では、当初、迅速な支援を見せたバイデン政権だが、その後の遅延や資金支援策を巡る議論の長期化が、米国内の世論を分断した。「世界秩序のリーダー」としての役割は失われ、バイデンは国際社会における影響力を減じていった。ただ、これはそもそも無理があり、バイデン政権は引き際を読むべきだっただろうが、これにはバイデン家の問題も絡まっていた。

高齢リーダー時代
 バイデン政権の教訓は、米国の有権者に「高齢リーダーの是非」を改めて問う機会を与えた。特にバイデンは再選を目指す過程で「トランプを倒せるのは自分しかいない」と主張し続けたが、結果として再選を果たせず、共和党の逆襲を許した。この敗北は、民主党内外に大きな失望をもたらし、「次世代の指導者育成」という課題を浮き彫りにしたが、すでに手遅れの状態にある。共和党も他人事ではないのだが。
 高齢政治家のリーダーシップは米国だけの課題ではない。たとえばドイツのメルケル政権後や、中国や日本の高齢政治家問題など、他の先進国でも同様の懸念が浮上している。しかし米国の場合、特に政権運営における「象徴的なリーダー像」が求められるため、大統領の老化は対外的にも大きな影響を与える。ただ、こういうのもなんだが、それなりに刷新したはずのオバマ政権やマクロン政権も、メディアは口を挟むが失敗だったのだ。世界システムそれ自体が、もう結構前から、老朽化しているのである。

 

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2025.01.13

ロサンゼルス大火

 2025年1月7日、ロサンゼルス郡パシフィック・パリセーズ近郊で発生した山火事は、発生からわずか数時間で周辺地域に広がり、未曾有の被害をもたらした。この火災による焼失面積は約36,000エーカーに及び、リバーサイド郡やベンチュラ郡にも延焼している。18万人以上が避難を余儀なくされ、12,000棟以上の建物が損壊した。特にパリセーズ火災では1,000棟以上の住宅が焼失し、停電や経済活動の停滞といった二次的被害も発生した。
 発生原因はまだ特定されていないが、送電線の管理不備や倒木による断線など、人為的要因が関係している可能性が指摘されている。背景となる条件としては、エルニーニョ現象による豪雨が植生の繁茂をもたらし、その後の猛暑で乾燥した植物は格好の燃料となっていた。さらに、ハリケーン並みの強風を伴うサンタアナ風が、火の粉を数マイル先に飛ばし、新たな火点を生む結果となった。
 ロサンゼルスはこれまで防災先進都市として数々の対策を行ってきたが、今回の火災では、自然要因とインフラの脆弱性が重なり、被害は予想を上回る規模となった。現地の消防隊は65台の消防車、7機のヘリコプター、7台の給水車を投入し、連邦レベルの支援も加わったが、延焼速度に対応しきれなかった。被災者は当初消火設備で自宅を守ろうと奮闘したが、隣家は一瞬で炎に包まれたという。このような現場の証言は、災害対応の限界を示す一例である。

防げない自然災害
 2025年のロサンゼルス火災について、専門家たちは「完全に防ぐことはできなかった」という見解を示しているようだ。もちろん定番的に言及される背景には、長期化する気候変動の影響がある。高温・乾燥化の進行により、火災シーズンが従来よりも長期化し、頻度も増加している。今回の火災では、異常な豪雨によって成長した植生が猛暑によって乾燥し、火災の燃料となった。このような大局的な見地から見た自然現象は、人間の制御を超えたものである。
 個別の気象条件もあった。カリフォルニア特有のサンタアナ風は火災制御の難易度を飛躍的に上げる要因であった。時速100マイルに達するこの強風は、火の粉を遠方に運び、複数の火点を生む。これにより同時多発的な火災が発生し、対応が後手に回らざるを得なかったのだ。たとえ膨大な消防リソースを投入したとしても、このような状況下では鎮火はそもそも困難であったと見られる。
 事後の見解としては、この地域の建築構造も課題ではあった。ロサンゼルスの住宅の多くは、地震対策を優先した木造構造で建設されており、火災には脆弱である。現代の耐火技術や防火帯の設置が進められているとはいえ、気候変動がもたらす災害に対しては依然として不十分であった。ロサンゼルス消防局長は「1000台の消防車があったとしても、すべてを制御するのは不可能だった」と述べている。
 人的要因を減らすための送電線管理や監視システムの導入などは確かに重要な施策であるが、こうした大規模火災を完全に防ぐことは容易ではない。

適応が考慮される
 ロサンゼルス大火は「防ぐことのできない自然災害がある」という現実をまた一つ浮き彫りにしたと考えたい。科学技術の進歩によって多くの災害は抑止が可能となったが、基本的にロサンゼルスのような都市部と自然が接する地域では、火災リスクをゼロにすることは難しい。都市部の拡張や人口増加は、防火帯の設置を難しくし、火災発生時には被害を拡大する要因ともなる。さらに、地球温暖化による気温上昇と乾燥化が進行する中、山火事シーズンは長期化しており、災害発生の頻度は増え続けている。
 住民たちは避難計画や防災キットを備え、災害訓練を受けているが、大規模な災害自体を防ぐことは困難である。送電線の地下化や耐火建築の推進は進められているが、そのコストや技術的課題は無視できない。低所得層にとって、これらの防災対策を導入するハードルは高く、経済支援の整備が不可欠である。
 今回のような大規模な自然災害の完全な抑止が不可能である以上、私たちは「適応」という価値観を新しく築かざるを得ない。科学技術や政策強化による被害の最小化は必須だが、すべてを制御できると考えることは幻想である。ロサンゼルス火災は、防災の限界を突きつけた一例であり、自然の脅威に対する新たな対応策を模索する必要性を示唆している。今後被害者の数は増えるかもしれないが、これほどの大規模の災害であっても、大地震や津波がもたらすほどの人的な被害は出なかった。そのこと自体がすでに、適応の現段階にあると言える。

 

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