2025.03.25

多くの男児が電車を好きになるのはなぜ?

  子どもを見ていると、不思議なことがたくさんある。特に男の子が、誰も教えていないのに電車や車に夢中になる姿は、素朴な疑問を呼び起こす。今日、𝕏(Twitter)でこういうポストを見かけた。「多くの男児が教えてもいないのに電車や車を好きになるのはなぜだろうか? 電車も車も男児のために発明されたわけではないのに」。確かに、保育園や公園で、男の子がミニカーを手に持って「ブーン」とか言って走らせたり、自動車や電車のおもちゃをじっと見つめたりする姿はよく見かける。そもそも私自身そういう子どもだった(私の子どもはそれほどでもなかったが)。他方、女の子が人形遊びをする姿も多いといいだろう。これって生まれつきのものなのだろうか。それとも、ある種文化的な学習の結果なのだろうか。
 この疑問は、子育て中の親と限らず誰もが一度は感じたことがあるだろう。電車や車は実用的な乗り物であって、男児向けのおもちゃとして作られたわけではない。それなのに、なぜか男の子のほうがより惹かれるようだ。そこには何か理由があるのだろう。そんな素朴な問いを頭に浮かべ調べてみると、それに部分的に答えてくれる研究を見つけた。今回はその研究を紹介しつつ、この不思議な現象について考えてみたい。

乳児の好みを科学的に探った研究

 その研究は、少し古くなるが、2010年に『Archives of Sexual Behavior』という学術誌に掲載された「Infants' Preferences for Toys, Colors, and Shapes: Sex Differences and Similarities(乳児のおもちゃ、色、形に対する好み:性差と類似性)」である。イギリスのケンブリッジ大学の研究者、Vasanti Jadva、Melissa Hines、Susan Golombokが中心となって行ったもので、12か月、18か月、24か月の乳児120人を対象にしている。具体的には、各年齢層で男の子20人、女の子20人、合計60人の男児と60人の女児が参加した。
 この研究の目的は、乳児が性別によっておもちゃ、色、形に異なる好みを示すのかを調べることだ。特に、「男の子は車を、女の子は人形を好むのか」「男の子は青を、女の子はピンクを好むのか」「男の子は角張った形を、女の子は丸い形を好むのか」といった仮説を検証した。さらに、これらの好みがいつから現れるのか、色や形がどれくらい影響するのかも探っている。
 方法は「優先注視課題」というもので、乳児に2つの画像を同時に見せ、どちらを長く見るかをビデオで記録する。乳児はまだ言葉で好みを伝えられないため、視線の動きで「何が好きか」を判断するのだ。実験はロンドンのシティ大学で行われ、親が乳児を抱っこして暗い部屋でスクリーンを見る形で行われた。見せたものは以下の通りだ。

  • おもちゃ:人形(女の子向けとされる)と車(男の子向けとされる)を用意。色はピンク、青、赤、薄い青の4種類で、たとえば「ピンクの人形と青い車」「青い人形とピンクの車」など、さまざまな組み合わせで提示した。色の明るさも調整し、影響を詳しく調べた。
  • :ピンクと青、赤と薄い青など、単独で色の好みもテスト。たとえば、「ピンク vs 青」や「赤 vs 薄い青」といった対比だ。
  • :丸い形(円や丸い三角)と角張った形(四角や三角)を白黒で表示し、どちらに注目するかを確認した。

データはビデオをフレーム単位で分析し、乳児が各画像を何秒見たかを計算。たとえば、5秒間見せた場合、片方を3秒見れば60%となり、その方が好まれると解釈する。この方法で、性別や年齢ごとの好みの違いを統計的に分析した。
 もちろん、研究の背景には、性差の起源を理解したいという意図がある。好みが「生まれつき(生物学的要因)」なのか「社会化(育てられ方)」によるものなのかを見極める手がかりを得るためだ。たとえば、胎児期の男性ホルモン(テストステロン)が影響するのか、それとも親が与えるおもちゃや環境が影響するのか。この研究は、そんな大きな問いにもつながっている。

 では、この研究で何がわかったのか。具体的な結果と限界を整理しておきたい。

おもちゃの好み:性差と年齢の変化

 まず、おもちゃの好みには明確な性差が見られた。女の子は人形を、男の子は車を長く見る傾向があった。特に色の明るさを調整した組み合わせ(例:赤い人形 vs 青い車)でこの違いが顕著だった。注目すべきは、この性差が12~24か月の乳児で既に現れている点だ。つまり、言葉で性別役割を教えられる前の段階で、男の子が車に惹かれる傾向がある。ただし、年齢による変化も興味深い。12か月の男の子と女の子の両方が、人形を車より好んだ。しかし、18か月、24か月と成長するにつれて、女の子は人形への好みを維持し、男の子は車にシフトしていった。たとえば、12か月の男の子は人形を57.2%の割合で見ていたが、24か月では47.9%に減り、車が52.1%に増えた(表3参照)。この変化は、男の子の「人形を避ける」傾向が後から出てくることを示している。

色と形:性差なし、共通の好み

 色と形の好みには性差がなかった。男の子が青を、女の子がピンクを好むという予想に反し、両者とも赤っぽい色(ピンクや赤)を青っぽい色(青や薄い青)より長く見た。たとえば、赤 vs 薄い青では、全体で60.15%が赤に注目し、統計的にも有意な差があった(表5)。形も同様で、丸い形(円や丸い三角)が角張った形(四角や三角)より好まれた。丸い形への注目度は57.44%で、角張った形の42.57%を上回った。これは、乳児期には「ピンク=女の子」「青=男の子」というイメージがないことを意味する。色の好みが性別に関係なく赤に偏るのは、赤が目立つ色だからかもしれない。また、丸い形が好まれるのは、安心感や温かさを感じるからという仮説も立てられている。

なぜ男の子は車を好きになるのか?

 さて、本題ともいえる問題に迫ろう。この結果から、男の子が車を好む理由に迫れるだろうか。研究者は、胎児期のテストステロンが脳に影響を与え、動きのあるもの(車や電車)に興味を持つ傾向を生み出す可能性を指摘してはいる。実際、先天性副腎過形成症(CAH)という病気でテストステロンに多くさらされた女児が、男の子らしいおもちゃを好むという研究とも一致する。また、サルの実験でも、オスが車のようなおもちゃに興味を示した。つまり、男の子の「車好き」は、生物学的な性差が関与している可能性は高そうだ。
 しかし、研究で示された、12か月の男の子が人形を好むという点は注意したい。成長とともに自動車への好みが変わるのは、親が「男の子には車を」と与えたり、社会が「男らしいおもちゃ」を押し付けたりする影響かもしれない。たとえば、研究では、1歳の父親が男児に人形を渡すことが少ないと報告されている。このように、生物学的な傾向がベースにあっても、社会化がそれを強化するのだろう。

どこまで答えられたか?

 この研究はそれなりに多くのことを明らかにしたが、限界もある。第一に、視線で好みを測る方法は、実際におもちゃで遊ぶ場面とは異なる。見る時間が長い=好きとは限らないかもしれない。第二に、サンプルはロンドンの乳児120人で、文化や環境が異なる地域では結果が変わる可能性がある。たとえば、車や電車が身近でない文化では、別の好みが出るかもしれない。第三に、個人差が考慮されていない。すべての男の子が車を好きなわけではなく、女の子でも車に夢中な子はいる。この研究は「平均的な傾向」を示すにすぎない。最後に、12~24か月の範囲を超えた変化は追っていない。色や形の性差がいつから現れるのか、さらなる追跡が必要だ。
 さて、この研究をどう受け止めたらいいのだろうか。男児が電車や車を好きになる理由について考えてみたい。まず、生物学的な要因がありそうだ。誰も教えていないのに、男の子がミニカーを手に持って走らせる姿は、本能的な何かを感じさせる。研究が示すように、テストステロンが動きや機械に反応する脳を作っているなら、「車好き」は人間の進化に関係するのかもしれない。たとえば、狩猟時代に動く獲物を追う役割が男性に多かったことを考えると、動きに惹かれる傾向が残っている可能性もある。
 社会化の影響も無視できない。12か月の男の子が人形を好んでいたのに、24か月で車に変わるのは、周囲の期待が働いている可能性を伺わせる。親が無意識に「男の子には車を」と与えたり、テレビや絵本で「男の子=乗り物」というイメージを見せたりするうちに、好みが形作られていくことはありうる。
 さて、こうした好みに生まれつきの傾向があるとしても、当然ながら、それがすべてではない。女の子が車を好きでも、男の子が人形を好きでも、何の問題もない。研究が示すように、乳児期には色や形に性差がないのだから、子どもが自由に好きなものを選べる環境を作るのが理想かもしれない。性別に縛られないおもちゃの選択肢が増えれば、子どもたちの個性がもっと伸びるかもしれない。

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2025.03.24

60代からの園芸ライフ

 ブログも長くやっている。25年もやっていると自分も老人になった。そんな話でも。
 62歳を過ぎたあたりから、自然に園芸を趣味に加えた。気がつくと趣味の一つになっていたというか。60歳をすぎると年月の流れはさらに早くなるので、かれこれ数年になるが、振り返ってみると、あっという間であった。園芸と言っても大したことをしているわけではない。単に園芸店に行ってその季節に綺麗な花を買ってくる程度のことから始めた。最初は、テーブルや棚に切り花を飾ろうと考えていたのだが、それはそれで良いものの、どうせなら根がついてもいいかと思い、花瓶の代わりに鉢花を買った。ところが、土のあるものは室内に飾るのには向かず、屋外に置いていたのだが、置き場が広くなったぶん、鉢が増えることになった。
 園芸店に行くことも増えた。行くと、すでに咲いた綺麗な花がたくさん売られているのを見る。色とりどりの花々が並ぶ光景は、それだけでも心が和む。おすすめは、大型店である。
 当初私は、園芸店で咲いている花を買って帰ればいいという感覚であったが、やっていくうちに、鉢花というのは花が咲いていることだけが重要なのではなく、花が咲くまでのプロセスがとても楽しいことに気づく。園芸をやっているとそうなものであるようだ。芽が出て、少しずつ大きくなり、つぼみをつけ、やがて花開く瞬間を待つ。その過程全体が園芸の醍醐味なのだと実感するようになったわけである。このあたりは、老人にぐっとくるところである。

朝顔もいろいろ
 園芸を趣味にして、園芸店をよく見て回るようになると、公園とか庭先で綺麗に咲いている花でも、意外と園芸店で売っていない花もあるものだなと気づく。全く売っていないわけではないのだが、例えば朝顔がその典型である。咲いている時間が午前だけということもあってか、園芸店ではほとんど花を見かけない。代わりに園芸店では朝顔の種をいろいろと売っている。小学校の頃にほとんどの人が経験したであろう種から育てるタイプのものである。私も子供の頃にやったことがある。そういえば、朝顔の種に穴を開けておくと発芽した双葉に穴がつく。今の子どもたちはそんなことはしないのであろうが。
 朝顔がまったく売ってないわけではない。朝顔市とかでは「行灯仕立て」で売っている。行灯仕立ては、竹や木の棒を円錐形に組んで、そこに朝顔のつるを絡ませて育てる伝統的な方法である。花が全体に咲くと、まるで行灯(あんどん)のような形になることからその名がついている。園芸店では見かけたことがない。一般的な朝顔は種から育てればよいので行灯仕立てもやってみるといいであろう。やり方とかは探すとわかるものである。そして実際にやってみると、面白いものである。
 朝顔というと私も当初小学生的なイメージのままであったが、いろいろ種類がある。「つばめ朝顔」という小さな花で、しだれかかるようなのも私のお気に入りである。つばめ朝顔は、花びらの端が深く切れ込んでいるので、名前の由来は、ツバメの尾のように見えるからであろうか。花の直径は3〜4cm程度と小振りである。これがいいのである。一株から多くの花を咲かせ、下向きに花を咲かせるため、吊り鉢などに植えると枝垂れるように花が咲く。風情がある。朝の柔らかな日差しの中で揺れる姿は、まるで小さなツバメが舞っているかのようである。ただ、満開になるのは、秋かな。
 フランス産の朝顔などは、種ではなくて、苗で売っている。おそらくライセンスの問題かもしれない。はっきりとはわからない。特に「桔梗咲き」という種類はとても美しいのだが入手は難しい。桔梗咲きの朝顔は、一重咲きの朝顔と違って、花びらが星の形をして、まるで桔梗の花のように華やかな印象を与える。他に江戸風情の朝顔もある。江戸時代は朝顔の時代ともいえるので、探すといろいろな園芸種があるにはある。江戸の朝顔を知るというのもけっこう楽しい。
 季節が戻るが、春の季節の鉢花はビオラである。園芸的には秋から冬に始まる。ビオラは地植えなどもでき様々な楽しみ方がある。パンジーの仲間だが、パンジーよりも花が小さく、花付きが良いのが特徴である。寒さに強く、秋から春にかけて長く楽しめる。ビオラとパンジーの違いは、主に花の大きさとデザインで、植物的な違いはないというが、育てているとけっこう違う。パンジーは切り戻しして戻りがやや遅い。ビオラは直径が2.5〜5cm程度と小さめで、パンジーは5〜10cm程度と大きい。ビオラは「コーデリアル」「ソルベ」「アンティーク」など様々な系統があり、それぞれ花の形や色合いが異なる。特に近年は、花びらの縁がフリルのように波打つ「フリンジ」タイプや、花の色が季節や気温によって変化する「カラーチェンジ」タイプなど、個性的な品種が増えている。「ドラキュラ」も人気である。
 花を育てるのが楽しいという点では、球根植物も魅力的である。秋に植えておくと春になって花が咲く。この春を待つという感じがとても嬉しくなる。寒い時期にムクムクと芽が出てきて「これから咲くのだな」という期待感はとても楽しいものである。チューリップは最も親しまれている球根植物の一つで、その種類は実に豊富である。シンプルな一重咲きの「シングル」タイプから、花びらが波打つ「パロット」タイプ(オウムの羽根みたい)、牡丹のように花びらが重なる「ダブル」タイプまで、形も様々である。色も赤や黄色、ピンクといった単色だけでなく、縁取りやストライプ、グラデーションなど多彩なものがある。
 ムスカリは名前のとおり、ムスク(麝香)のような芳香がある。屈んで嗅いでみるといい。変わった別名で「葡萄風信子(ブドウヒヤシンス)」とも呼ばれ、小さな鈴なりの青い花が特徴的である。一般的な青紫色の他にも、白や淡いピンク、濃い紫など様々な色がある。小さな花だが、群植すると一面のブルーの絨毯のようになり、チューリップと一緒に植えると色のコントラストが美しく映える。他にも早春を告げるクロッカスや、ユリのような華やかな花を咲かせるフリチラリア、香り高いヒヤシンスなど、球根植物は種類が豊富で、植える時期や咲く季節を考えながら組み合わせると、長い期間花を楽しむことができる。

キケロの知恵
 趣味で園芸をやっていると、一般的な花の季節より1〜2ヶ月早く植え始めることになる。例えば、3月末になると園芸店ではビオラの季節は終わりに近づいてくる。ではこの季節、園芸店では次に何が旬かと言うと、ペチュニアであった。ペチュニアはナス科の植物で、南米原産の一年草である。trumpet(トランペット)を意味するポルトガル語の「petun」に由来する名前を持ち、その名の通り、トランペットのような形をした花を咲かせる。花の大きさは品種によって異なるが、一般的に5〜8cm程度の大きさである。色は白、ピンク、赤、紫、青、黄色など豊富で、単色だけでなく、絞りや縁取りのある品種も人気がある。ペチュニアの特徴は、一度花が咲くと次々と新しい花を咲かせ続け、初夏から秋まで長く楽しめることである。また、枝垂れるように成長するので、ハンギングバスケットや寄せ植えにも適している。余談だが、ハリーポッターの主人公の叔母の名前がペチュニアであった。主人公ハリーの母親リリーの姉で、魔法の才能がなく、魔法使いのハリーに対して冷たい態度を取るキャラクターとして描かれている。リリー(百合)もペチュニアも花の名前なので、作者のJ.K.ローリングは意図的に花にちなんだ名前を選んだのかもしれない。
 先日園芸店に行くと、今はペチュニアの苗がたくさんできていた。園芸店によって品揃えは異なるが、「PW」というブランドのペチュニアがたくさん置かれていた。園芸を続けていくと、花のブランドについても詳しくなる。サントリーも園芸ブランドを展開していて、なかなか凄い。ブランドの花は一般的な花と違い、シンプルでありながらも凝った品種が多く、「今年の花」などといった新品種も出てくる。ちなみに「PW」とは「Proven Winners(プルーヴン・ウィナーズ)」の略で、アメリカの園芸ブランドである。このブランドの特徴は、世界中から厳選された品種を、長期間にわたる試験栽培を経て商品化している点である。PWのペチュニアは、花つきが良く、雨に強い、病気に強いなどの特性を持っているとのこと。特に「スーパーチュニア」シリーズは、従来のペチュニアよりも成長が旺盛で、剪定の必要がほとんどなく、雨でダメージを受けにくいという利点がある。また、サントリーが園芸事業に参入しているのは意外に思えるかもしれないが、実はサントリーフラワーズという会社を設立し、1989年から花の品種改良と販売を行っている。サントリーブルーローズ「アプローズ」や、マーガレットの「サンリップス」シリーズなど、独自性の高い品種を多数開発している。特に青いカーネーション「ムーンダスト」は、遺伝子組み換え技術を使わずに、花弁に青い色素を吸収させる技術で作られた画期的な品種として知られている。飲料メーカーがなぜ花の事業に進出したのか不思議に思うが、これは「水と太陽と自然の恵み」を企業理念としているサントリーの多角化戦略の一環なのだろうか。
 ペチュニアは私も以前育てたことがあり、それほど難しくないのだが、仕立ては難しい。そこが面白いところともいえるがビオラも同様で、手のひらサイズの小さな苗を購入すると、やがてバスケットボールほどの大きさに成長し、吊るして置くと花で覆われた美しい球体のようになる。
 園芸が趣味になってくると、少なくとも2か月おきに園芸店に足を運ぶようになる。今何が咲いているか、何を植えたらいいか、などを確認するためである。季節ごとに次の花を探す楽しみが生まれるのである。かくして園芸を趣味にするようになって、自分も歳をとったなと感じる。そういえば、古代ローマの政治家・哲学者キケロが著した『老年について』(De Senectute)という著作の中で、老年の楽しみとして「農業」が挙げられていた。これを「園芸」と読み替えることもできる。キケロは紀元前106年に生まれ、紀元前43年に亡くなった共和政ローマ末期の重要な政治家、哲学者、弁論家であった。彼は63歳の時に『老年について』を執筆した。この作品は対話形式で書かれており、当時84歳の老賢人カトー(カトー・マヨール)が若者たちに老年の価値について語る内容となっている。キケロ自身も晩年には政治的な苦難を経験した。彼はシーザーとの政治的対立があり、シーザー暗殺後の混乱期には、マルクス・アントニウスとの対立から最終的に命を落とすことになる。
 そのような困難な時期に『老年について』を著したキケロは、おそらく自らの老いと向き合いながら、精神的な充実を得る方法を模索していたのであろう。『老年について』の中でキケロは、カトーの口を借りて「土を耕すことほど老人に相応しいものはない」と述べている。彼は農業(農耕)に対して特別な愛着を持っていた。それは単なる食料生産の手段としてだけでなく、自然の秩序に参加する喜び、種をまき成長を見守る過程の楽しみ、そして収穫の満足感といった、精神的な充足をもたらすものとして描かれている。キケロはこうも書いている。「土地は、耕作者の努力に対して決して恩知らずではなく、利子をつけて元金を返してくれる。時には倍以上のものを返してくれることもある。そして果実だけではなく、その自然の力、その大地の懐の豊かさによっても私を喜ばせてくれる。」
 キケロは農耕が老年の喜びである理由として、その活動が肉体的にも精神的にも適度な刺激を与えること、自然のサイクルを実感できること、そして若い世代のために種をまくという未来への貢献の感覚があることを挙げているが、彼自身も政治から引退した時期にはトゥスクルムの自分の別荘で園芸を楽しんでいたと言われている。彼の手紙には、果樹や花について述べた箇所があり、それらを育てることに喜びを見出していたことがうかがえる。
 キケロのように老人期の農業も楽しい、といっても、本格的な農業ではなく、いわゆる家庭菜園や、市や村から借りた農園で野菜を育てる程度のものだが、トマトなどをよく作る人も多い。私も以前作ったことがある。自分の手で種をまき、苗を植え、水をやり、成長を見守り、そして収穫する—このサイクルの中には、生命の神秘と共に、人間本来の営みに立ち返るような感覚がある。

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