2014.07.19

米国への子供の単身不法入国問題

 18日付けのニューヨークタイムズ「移民について中央アメリカ指導者がオバマに会見する」(参照)を読みながらしばし物思いにふけった。
 表題の印象だと中央アメリカの要人が米国に表敬訪問でもしたかのような印象がないわけではないが、冒頭読むとわかるように、実際には、オバマ米大統領が呼びつけたと言っていい。問題は、中央アメリカの国から米国への子供の単身の越境・不法移民が急増している問題について、送り出し側の国を、援助を含めてではあるが問いただすといった会合になる。
 この問題はあまり日本では見かけないないなとなんとなく思っていたが、少し調べるとそうでもなかった。最新記事では今日付けの共同報があった。「中米首脳と会談へ 子供移民でオバマ氏」(参照)より。


2014.7.19 11:17
 米政府は18日、保護者に付き添われずに中米から不法入国する子供が急増している問題を話し合うため、オバマ大統領が中米3カ国の首脳と25日にホワイトハウスで会談すると発表した。
 会談する中米首脳は、グアテマラのペレスモリナ、ホンジュラスのエルナンデス、エルサルバドルのサンチェスセレンの各大統領。米国は不法移民の出国の取り締まり強化を含め、協調して対応していく方針を確認したい考え。
 3カ国を中心に子供だけで米国に不法入国した数は昨年10月から今年6月までで、前年同期比のほぼ倍の約5万2千人。ただロイター通信によると、7月に入ってからは1週間当たりの数は千人を割り、6月に比べて半減したという。(共同)

 会合については簡素にまとまっている。中央アメリカの国と指導者は「グアテマラのペレスモリナ、ホンジュラスのエルナンデス、エルサルバドルのサンチェスセレン」である。
 また、この三国からの子供の不法入国の急増は「昨年10月から今年6月までで、前年同期比のほぼ倍の約5万2千人」だが、この問題が注視されてからは激減している。冒頭のニューヨークタイムズの記事では、「6月半ばの1日あたり283人から、今週初の1日あたり約120人まで減少」している。
 VOXにグラフで示したものがあったが、急増の様子がわかるだろう(参照)。

 ニューヨークタイムズ記事にはこの件で、オバマ大統領支持の民主党側から子供権利への配慮が問われていることへの言及が少しあるが、共和党との間で意見の相違がある。この点については9日の日経「米大統領、子供の不法入国急増対策で予算3800億円要求」(参照)にも言及があった。


 共和党は、オバマ政権による若年層を中心とする移民規制の緩和がこうした事態を招いたと非難している。テキサス州の国境地域に州兵を派遣すべきだと主張しており、予算が政権の要求通り成立するかは不透明だ。一方で子供の強制送還に反対するリベラル派からの風当たりも強まりそうだ。

 参考資料をまとめるのがたるくなったのでごく簡単に私の観点からまとめる。
 この問題の一番の要因は、送り出しの三国の人権状況が極悪な状況になっていることだ。殺人や暴力がはんぱない。子供の人生を考えたらこれらの国を逃げ出す以外ないほどひどい。
 もう一点の要因は、子供が単身でこれだけの長距離を移動できるわけがないことからも明らかなように、ブローカーが存在する。そしてこれらの組織が麻薬密輸入にも関連しているらしい。当然だが、それに誰が支払いしているかというと、先に不法移民した親である。国の親族に残した子供を呼び寄せているわけである。
 今回のオバマ大統領の対応はその最大要因に関わるわけだが、単純な話、子供の不法移民を減らすなら共和党の言うように警備を厳粛にすればよいとは言えるだろう。
 また、この問題は確かに最近になって問題化した面はあるにせよ、オバマ政権がレイムダック化していくなかで、お得意の人権問題で盛り立てて、最後のあがきをしたいという色合いもある。実際オバマ大統領は、特別チームの作成などはしているが、自身が現場の状況を視察するなどの行動は取っていない。共和党としても、そうした点を見透かしていて、この問題は比較的まったり見ている。議会が率先して動ける気配はない。今回の会談もオバマ政権の行政側の演出ぽくも見える。
 しかし、問題の根幹は民主党からも出ているようにまさに子供の人権問題でもあることだ。
 移民全体の記事ではあるがIPS記事「墓標のない墓:米国国境を越えた不法移民をとりまく苛酷な状況」(参照)には過酷な状況の描写がある。
 さて、ブログ的な締めとしては、日本の移民受け容れの状況についても言及するというのもあるが、日本はこの点で国際的に特異な国すぎて話にならない。
 個人的には、10歳くらいの子供が命をかけて米国に渡るとき、そこに生きる希望をたくさん抱えているのだろうなと想像するし、米国民もなんとかそれに応えようとしているようすも思う。泣けるものがある。可視にされた戦場で殺害されていく子供も悲惨だが、希望を抱えながら見えない砂漠で一人死んでいく子供の累積も悲惨である。
 
 

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2014.07.17

スレブレニツァ虐殺での300人分の虐殺の責任をオランダ民事裁判所が認めた

 スレブレニツァ虐殺での300人分の虐殺の責任をオランダ民事裁判所が認めた。ZDFのニュースで見かけた話題である。これは、日本にとっても大きな意味をもつなあという印象を持った。だが同時に、日本国内では、案外話題になっていないかもしれないと思い、ざっと調べたら、NHKとAFPが扱っていた。
 NHK「蘭裁判所 ボスニア虐殺の責任認める」(参照)から引用しておく。


 ボスニア・ヘルツェゴビナの内戦中の1995年に、8000人以上の住民が殺害された大量虐殺を巡り、オランダの裁判所は「当時国連の平和維持部隊として駐留していたオランダ軍が一部の住民を保護していれば生き残ったと考えられる」として、オランダ政府の責任を認める判決を言い渡しました。
 これは、内戦が続いていた1995年にボスニア・ヘルツェゴビナ東部のスレブレニツァで、イスラム系の住民ら8000人以上がセルビア人勢力に虐殺されたことについて遺族らがオランダ政府を相手取って、国連の平和維持部隊として駐留していたオランダ軍の責任を認めるよう訴えを起こしていたものです。
 オランダのハーグにある地方裁判所は16日、虐殺された8000人以上のうち300人が現地のオランダ軍の施設を出たあとに虐殺されているとしたうえで、「オランダ軍がこれらの住民を保護していれば生き残ったと考えられる」と指摘し、オランダ政府の責任を認める判決を言い渡しました。
 一方、300人以外の犠牲者については、「援軍がなかったことを考慮すれば責任があるとまではいえない」として訴えを退けました。

 複雑な事態でもあるのでNHKとしても簡素にまとめるが難しかっただろうとは同情する。
 加えて背景となる「スレブレニツァ虐殺」の知識が必要になる。
 このあたりの説明はどうなっているかネットを見るとウィキペディアが意外に充実していた(参照)。英語版の記事がもともと充実しているせいもあるが。
 また知恵蔵の解説も簡素にまとまっていた(参照)。簡素なので、こちらの一部を概要説明の代わりに借りる。

ボスニア東部の町スレブレニツァで、1995年7月にムスリムの男子住民約8000人が殺害・行方不明となった事件。当時、ムスリム住民が多数を占めるこの町はセルビア人勢力支配下の飛び地になっていたため、国連保護軍の安全地域に指定され、オランダ部隊が駐屯していた。しかし、ムラジッチ司令官率いるセルビア人勢力の侵攻にあい、この事件が生じた。真相究明は困難をきわめているが、旧ユーゴ国際戦犯法廷の努力が実を結び、事実が解明されつつある。

 基礎的な点については以上として、今回のハーグ民事裁判所の判決が注目されるのは、ざっと2点あるだろう。
 1点目は、スレブレニツァ虐殺の裁判としての意味合いである。この点については、先日11日の追悼式についてのNHKニュース「ボスニア内戦末期に虐殺の犠牲者追悼」(参照)が簡素にこう言及していた。

ボスニアでは内戦終結後も民族ごとに学校が分かれているなど、民族間の溝は埋まっていないほか、虐殺の責任を問う裁判も進んでおらず、内戦の傷痕をどのように乗り越えるかが大きな課題となっています。

 今回の判決は「虐殺の責任を問う裁判も進んでおらず」に部分的に対応している。
 2点目はこの裁判の意味合いで、ここが難しい。問題意識としては、「なぜ平和維持部隊として駐留していたオランダ軍に虐殺の責任が今回問われるのか」という点である。
 この視点からNHK報道見ると、ぼんやりしか書かれていないことに気がつく。このニュースからすると、オランダ軍の責任は「300人が現地のオランダ軍の施設を出たあとに虐殺」「オランダ軍がこれらの住民を保護していれば生き残った」というふたつの点が浮き上がり、受動的かつ未必の故意のように読める。
 この点に注目して、もう一つの日本語報道AFP「スレブレニツァの犠牲者300人は「国の責任」、オランダ裁判所」(参照)を注視するとこうある。

 スレブレニツァ近郊ポトチャリ(Potocari)の国連施設には、周辺に住む何千人ものイスラム教徒たちが避難していたが、セルビア人勢力はこの「避難所」を守る軽装備のオランダ部隊を無視し、男性らを施設から追放。その後の数日間で、イスラム教との男性や少年8000人近くが殺害された。
 オランダの裁判所は今回の判決で、この時オランダ部隊が男性らの追放を防いでいれば、これら男性は虐殺をまぬがれただろうと指摘。追放された男性たちの死の責任は、オランダ国家にあるとの判断を下した。
 一方の遺族らの中からは、この判決でオランダ政府に責任があるのは国連施設から追い出された人たちの虐殺のみとされ、その他の人々については責任認定がされなかったことに反発する声も上がっている。

 やはりぼんやりとしている。
 常識的にも疑問が浮かぶだろう。「軽装備のオランダ部隊を無視し、男性らを施設から追放」の状況がわからない。ここに責務の基本があるのにもかかわらずである。
 別の言い方をすれば、「この時オランダ部隊が男性らの追放を防いでいれば、これら男性は虐殺をまぬがれただろう」とするだけの能力を軽装備のオランダ部隊がもっていたのか、ということでもある。
 この報道に私が関心をもったのも、この点である。
 NHKやAFPはこのニュースを取り上げただけましの部類とも言えるのだが、このあたりの言及が曇ったようになっているのはなぜなのだろうかと疑問に思った。
 この虐殺事件についてはなかなか真相がわからないが、昨年の追悼についてイラン放送が日本語でまとめた「スレブレニツァの虐殺から18年」(参照)は参考になる。

 スレブレニツァは国連により、「安全地帯」と宣言され、そこには600人のオランダ軍が国連平和維持活動隊として駐留し、治安維持に当たっていました。スレブレニツァの住民の数は、当時1万2千人でした。しかし、この町には国連の安全地帯宣言により、ボスニアの他の地域からの難民が避難してきたため、人口は4万人に達していました。イスラム教徒の難民は国連平和軍がセルビア人の攻撃から彼らを守ってくれるものと考えていました。しかし彼らの期待とは逆に、オランダ軍はセルビア人の攻撃に抵抗しなかったばかりか、多くのイスラム教徒を拘束し、セルビア人勢力のムラジッチ司令官に引き渡したのです。セルビア人勢力はスレブレニツァを完全に占領した後、12歳から72歳までの8400人のイスラム教徒を分け、48時間のうちに殺害して集団埋葬しました。この集団で埋葬された遺体の捜索と調査は、現在も継続されています。

 オランダ部隊の数が600人だったかについては異論もあるだろうが、この説明で重要なのは、「オランダ軍はセルビア人の攻撃に抵抗しなかったばかりか、多くのイスラム教徒を拘束し、セルビア人勢力のムラジッチ司令官に引き渡した」という点である。
 イランの報道は当然ながら虐殺されたイスラム教徒の側の視点からなされているということを念頭に置いて、この先も引用したい。

 ボスニアの戦争が終結した後、オランダやフランスではスレブレニツァの虐殺を防がず、その役割を果たしたとして西側諸国の政府に対し、多くの抗議が起こりました。この虐殺に関する調査委員会も結成され、この調査委員会は最終報告で、西側諸国の政府と国連がこの虐殺を阻止するための措置を全く講じなかったことを認めています。オランダ内閣は、この報告の発表を受けて総辞職しました。当時のアナン国連事務総長はこれに関する国連の怠慢を認め、遺憾の意を表明しました。この虐殺にかかわった司令官たちは現在、オランダのハーグにある旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷で訴追されていますが、いまだ彼らの刑は確定していません。しかし、ボスニアのイスラム教徒の正当性は国際社会にとって明らかとなり、最終的に、ボスニアのイスラム教徒をバルカン半島から抹殺しようとした人々は、その目的を達成できなかったのです。
 スレブレニツァの虐殺により、人権擁護を主張するヨーロッパの経歴に汚点が残ることになりました。こうした中で、イスラム教徒の忍耐強い抵抗は、彼らを抹殺しようとするセルビア人勢力や、それを支援する西側諸国の敗北を示したのです。

 虐殺者への糾弾から記述が混乱しているが、二者はわけたほうがよい。一つは虐殺に関わった司令官の罪状、もう一つはここまで述べてきたきたオランダ軍と国連の罪状である。ここで注目しているのは、この後者である。
 国連側オランダ軍は実際にはどうしたか。
 ZDFの報道などの印象では、上述の昨年のイラン報道のように、セルビア人勢力のムラジッチ司令官に引き渡したようだ。
 つまり、今回の裁判ではそこが裁かれ、その限定で300人分の虐殺の責任がオランダ軍、つまり、オランダ政府にあるということになったと見てよい。
 報道からはわかりづらいが、今回の裁判はこの虐殺についての裁判の嚆矢であって全貌ではなく、ZDFなどでは原告はさらに追求していくことを報道していた。加えて、今回の裁判が上級審でどうなるかも現状では未定である。
 以上、多少不確かな情報で書いている部分があるが、国連軍としてオランダ軍の虐殺責任についてはとりあえず描かれたとして、当然、では国連はどうなのか? 国連の責任はどうなのかという問題が残る。
 もともと、オランダ軍地域を保護地域として指定したのは国連であって、その指令の責任は当然問われなければならない。ごく、簡単にいえば、国連の戦争犯罪をどう裁いていくかという問題である。
 ここにもう一つ厄介な問題が介在すると同時に、この問題が実は日本にとって他人事、他国のことではない意味合いが存在する。また、戦争犯罪というものについて、当事者になった国連はどのような模範を示すのかということでもある。
 この点についてごく簡単な関連を述べると、この平和活動としてのオランダ軍がなぜこの地域に配備されたかということがある。
 オランダとしては、当時進行する戦争犯罪を見逃さず、国際平和維持のために国際紛争に積極的に関わりたいという思いがあったが、反面、状況を見極めていない手薄な軍事力の行使だった。矛盾した面があったのである。
 この矛盾はオランダばかりを責めるわけにもいかない。実際のところ、米国を筆頭に国連他国はこの問題に関わることを避けていて、全体構図からすれば、それが大量虐殺を招いたとも言える。
 こうした問題から、現在の日本がどのように学ぶことができるだろうか?
 本来なら、「積極的平和主義」に変わる日本は、この点から議論されなければならないはずである。
 そして、こんな辺境なブログが取り上げる話題でもないだろう。
 日本でも、報道機関や識者がきちんとこうした問題を具体的に取り上げるようになったら、「積極的平和主義」について議論が始まるのではないだろうか。
 
 

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