2016.04.21

「中国に強制連行される台湾人」問題、なのか?

4月11日、振り込め詐欺に関わったとされる台湾人がケニアで拘束され、中国に「送致」されたという「事件」があった。つまり、台湾人の犯罪者が「中国」に強制連行させられた。海外にいた韓国人が北朝鮮に送られたみたいな話である。

いやいや、そうでもないのかもしれない。なぜ台湾人の犯罪者が中国の法に従うのかというと、台湾人はつまり中国人だからだ、という理由らしい。これを拡張すると、とんでもないことになるなあと多くの人が思ったことだろう。

朝日新聞の13日の報道「台湾人45人を中国に送致 ケニアの対応に台湾が反発」(参照)が一見するとわかりやすい。

 ケニアが振り込め詐欺にかかわったと見られる台湾人45人を中国に送致し、台湾で猛反発が起きて いる。中国が台湾を自国の一部とする「一つの中国」原則を押しつけたとの受け止めが出ているためだ。 一方、中国人が詐欺の標的になったことから、中国側は司法管轄権を主張している。

 台湾側によると、ケニア警察は2014年11月、ナイロビ近郊を拠点に、電話などで中国人相手に 振り込め詐欺を働いていたと見られる台湾人や中国人のグループ77人を逮捕。このうち台湾人23人と、 別の詐欺事件で逮捕された台湾人22人が今月、中国へ送られた。台湾当局は中国に送致しないよう求め たが、ケニア警察は無視したという。

台湾側は困惑している。

中国外務省は「ケニアが『一つの中国』原則を長期にわたって堅持していることを高く評価する」としたが、台湾当局は台湾人容疑者に対する管轄権は台湾にあると主張。対中政策を担う大陸委員会の夏立言(シアリーイエン)主任委員は12日、中国の張志軍(チャンチーチュン)台湾事務弁公室主任に電話で「積み上げてきた相互信頼を傷つけるものだ」と抗議し、45人を迅速に台湾に送還するよう申し入れた。

いろいろ考えさせられる問題である。まず、「一つの中国」というのをこういうふうに解釈されると、台湾としてはほとんど自立した市民権が維持できないことになる。ただ、台湾側としても「一つの中国」を建前としているので、そうした自立した市民権の主張がしづらい。このため台湾側としては慣例的な台湾人容疑者に対する管轄権を主張することになる。またその文脈では中国も司法管轄権の問題と認識している。

過去の事例からすると、20011年2月にフィリピン拠点の電話詐欺事件で台湾人14人が中国に移送されたことがある。この時は、台湾側からの交渉で同年7月に台湾に容疑者が移された。今回もそのあたりが落とし所という線があるにはある。

ただ全体としては、南シナ海の領有権の問題でもそうだが、中国は基本的に慣例に従う国家だが、ある日ちょこっと慣例を変えて、それが大きな問題にならなければ、じわじわと慣例を変更していく。今回もああ、またこれねという印象はある。

国際情勢として見ると、朝日新聞の記事もこの段落以降で指摘してるが「中国の対応の変化は5月に発足する民進党の蔡英文(ツァイインウェン)政権への圧力との見方」は否定しがたい。いじわるというか、脅しというか、武力衝突にならない程度には不快な威圧をかけてくるのも中華風味といういつもの趣向である。李登輝「大統領選挙」時のように、中国がミサイルを台湾近海に打ち込むよりはましなのかもしれない。余談だがあれは日本近海でもあった。

今回のこの「送致」事件、中国側に同情的な面もある。同記事にも指摘があるが、今回の台湾人の詐欺事件の被害者は中国本土であるらしく、犯罪マネーは中国から台湾に流れているらしい。このケースの場合、台湾の法では軽微な犯罪と見なされることもあり、被害の側の中国としては厳罰にしたい。

この問題にはもう一面、ケニアの問題がある。こちらは翌日の「台湾人45人を中国に送致 ケニアの対応に台湾が反発」(参照)で言及されている。

 台湾側によると、ケニア警察は2014年11月、ナイロビ近郊を拠点に、電話などで中国人相手に 振り込め詐欺を働いていたと見られる台湾人や中国人のグループ77人を逮捕。このうち台湾人23人と、 別の詐欺事件で逮捕された台湾人22人が今月、中国へ送られた。台湾当局は中国に送致しないよう求め たが、ケニア警察は無視したという。

この際のケニアの対応が興味深い。CNN「台湾籍の45人、ケニアから中国に「強制連行」」(参照)に言及がある。

台湾当局の発表によると、台湾籍の23人を含む被告37人が裁判で無罪を言い渡され、パスポートを受け取るため5日にナイロビ市内の警察署に行ったところ、理由もなく拘束された。

台湾領事館からの反対や裁判所の国外退去差し止めの命令にもかかわらず、中国の要請で23人のうち8人が8日に中国南方航空の旅客機に強制的に乗せられ、中国本土に移送されたという。

台湾外交部幹部によれば、残る15人を含む台湾籍の37人も12日に中国本土に送られた。ケニア当局が催涙弾などを使って強制的に退去させたとも非難している。最初に移送された8人は、北京市内で拘束されていることが分かったという。

台湾側の言い分ではあるが、具体的な事態はややわかりにくい。基本線で言えば、ケニアは台湾(中華民国)を承認していないことがある。第二次世界大戦で連合国に含まれていた中国は「中華民国」だったが、1971年10月、国連総会で中華民国政府(台湾)が追放され、空いた中国の座に中華人民共和国がおさまった。余談だが、香港の借用はイギリスと中華民国とで結ばれたので、契約の原文は台湾に存在する。

現在の台湾としては、ケニアについては南アフリカにある駐南アフリカ代表処で外交を扱うため、そこを拠点にケニアとの交渉を行っていた(参照)。

この事件について、すでに触れたように一応落とし所はあり、基本構図は、中台問題のように見える。ところが、どうもそうでもなくなりつつある。20日共同「強制送還巡り中台協議へ、ケニアに加えマレーシアも」(参照)。

一方、マレーシアでも中国での詐欺事件への関与が疑われる台湾人約30人がこのほど強制送還処分を受けたことが判明。中台それぞれが引き渡しを求めており、この件でも台湾側は今回、中国側と協議する予定だ。

この共同記事にどう関連するかわからないが、16日の中国側の報道では、マレーシアから台湾に強制送還された容疑者を台湾が釈放したことを伝えている(参照)。

拡張されていくこの事態をどう見るかだが、政治的な問題を切り離し、基本的に国際詐欺事件ではあるので、関連国や国際機関との連携で取り決めを作ればよい。

ただ、そうした場合、中国の刑法の全体が、そうした国際協調に馴染むものなのかという問題が残ってくる。



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2016.04.20

コンテンツとグローバリズムの関連で

先日、米ドラマ『エンパイア 成功の代償』の話を書いた。自分には現代の黒人音楽と黒人社会のドラマティックな情景がとても面白かった。なるほど米国でこれが大ヒットしたのはよくわかる。で、日本だとどうだろうか? 

日本でもこの作品、DVD/BDでも販売されているし、いろいろオンデマンドやペイチャネルで放映されているから、それなりに人気があるのだろう。が、ざっと自分の周りを見回した印象だと、興味を持っている人は少ない。

もともと、基本的に米ドラマに関心を持つ日本人は特定のセクターになっていて、そのセクター内でのローカルな話題になるのかもしれないなとも思っていた。それでも、この作品ならそれらを超える部分はありそうなものだが、と心に引っかかっていた。

『エンパイア 成功の代償』と限らず、米ドラマがどのくらい日本で視聴率があるのだろうか?  かつての、と言ってももうけっこう古いが、韓流『冬のソナタ』や『アリ−・my・ラブ』みたいな社会現象はあるだろうか。

ものによってはあるにはあるんだろう。が、けっこうすごい作品だなと思える『ブレーキング・バッド』でも日本で大きな話題ということもないみたいだし、同じくすげーと思った『アフェア 情事の行方』もあまり日本では話題を聞かない。これら、けっこうすごい作品だと思ったが。

それが視聴者が細分化されたコンテンツ、ということだろうとは思う。単純な話、各人にとって、自分が面白ければそれでいいだけのことだ。自分としては、自分が面白いものは、他の人にもこれ面白かったよと伝えれば、それ以上の話でもないはずだが。

それでも基本的に、良質なコンテンツは、広告モデルのテレビから、ペイチャネルに移行していくというトレンドは米国から始まり、日本でも追いかけていくのではないかと思っている。

で、もとの疑問の端っこに戻るのだが、米国ドラマと日本の聴衆という二極の枠組みではなく、米国コンテンツとグローバルな枠組みとしてはどうなんだろうか。英語コンテンツとして見ると、そもそも英語国民の国は多い。外国語統制をしているフランスなんかでも、英語コンテンツの人気は高いはずだ。フランスのアマゾンとか見ると大工道具と米国コンテンツしか売ってないんじゃないのという印象すらある(言い過ぎ)。

そんなおり、ビルボード誌の「'Empire' Flops Overseas as Foreign Viewers Resist Hollywood's Diversity Push」(参照)に関連記事があることを知った。いわく、「エンパイア」は海外でこけた。米国外の視聴者はハリウッドが押し付ける多様性を拒絶した。というものだ。

記事の背景としては、前回のアカデミー賞に黒人が含まれていなかったという話題があるのだろう。つまり、『エンパイア 成功の代償』のほうは逆に黒人を中心に取り上げることで、ハリウッドの多様性を強調して、それが米国でも支持された。なのに、国際世界のコンテンツ市場ではウケない、という視点である。

率直なところ、その視点で関心を持ちたくはないなと思ってはいるものの、提示されている事実にはちょっと驚いた。『エンパイア 成功の代償』はイギリスやオーストラリアなど英語国民の国でもそれほどウケていない。ドイツやフランスでウケないというのはまだわからないでもないし、まして日本でも、というのはあるが。いずれにせよ、米国以外ではウケていない。多様性を配慮したコンテンツはグローバル・マーケットではウケない。

簡単に言えば、そうものさ、ということだが、じゃあ、それはなんだというと、この記事のように「多様性」ということでフォーカスすべき問題なのかは、微妙に違うようにも思う。むしろ、なんであれ、この作品の米国的な性格が、各国の国民性というのにはあまり適合していないというのはあるだろう。多様性があればグローバリズムであるという単純な話でもないだろう。

実際のところ、日本人である私など、『エンパイア 成功の代償』は、面白いなあと惹かれる反面、一話一話、ぐったり疲れる部分はあった。人間関係の愛憎が濃すぎる。情景の情感などもあまりなく、映像的にも重たい印象はあった。『わたしを離さないで』のような、日本版のリメークはちょっと想像もつかない感じはした。

皮肉な話、だったら日本や欧州などでもウケる話をマーケティングしてハリウッドに作ってもらいたいか、というと、そこまでしなくてもいいよという感じはする。もっというと、グローバリズムなんか配慮してコンテンツなんか作らなくてもいいんじゃねと思う。

結局のところ、コンテンツとグローバリズムがどうなっているかだが、マスの単位で見る限りでは国民性による好みのような限界はあるだろうが、こうしたコンテンツのグローバリズムというのは、グローバルにはまだらなセクターとして生じるのではないかと思う。コアな趣味は各国の視聴者にまだらに存在しつづける。マイクロトレンド的なものというか。そしてまだら状態が拡散していくのではないか。

そもそも、コンテンツというのがそういう方向に向かっているのではないだろうか。ニッチなロングテールでグローバルを考えればいいのではないか。ニューヨークMETなんかもそういう方向性を感じる。

別の言い方すれば、日本のテレビ番組や映画はつまらない、と言うより、他国のコンテンツで他に面白いものがあるなら、とりわけ「日本」を焦点化せずに、やすやすと享受すれば、それだけでよいのではないだろうか。


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