2025.03.17

銅が不足していく

 最近、お財布を持ち歩かなくなった。電子決済で足りてしまうからだ。特に、1円玉と十円玉がかさ張ってやっかいに思える。とはいえ、私は十円硬貨がけっこう好きだ。銅という金属それ自体が興味ふかい。YouTubeなどでもこれを使って、靴の匂いを取るとかいうしょうもないライフハックがあるが、銅の殺菌効果を使ったものだ。そう、銅貨である。銅は面白い。この銅が国際的に不足しはじめ、世界情勢をゆるがしかねない。
 十円硬貨を手に取ってみてほしい。この小さな青銅貨には、実は貴重な銅が含まれている。1枚の重さは4.5g、その95%が銅、残りは亜鉛(3~4%)と錫(1~2%)だ。つまり、1枚あたり約4.275gが純粋な銅である。日本銀行の「通貨流通高」(2023年度末)によると、10円硬貨の流通枚数は153億2,300万枚。これを基に計算すると、総重量は約68,949トン(153億2,300万枚 × 4.5g)、そのうち銅は約65,502トン(68,949トン × 0.95)となる。
 もしこの65,502トンを回収し、リサイクルに回せば、銅不足に悩む日本の産業を一時的に支えられるのではないか。そんな発想が浮かぶ。実際、銅価格は高騰しており、2025年3月時点でロンドン金属取引所(LME)の銅先物価格は1トン約11,000ドル(NPR記事に基づく推定値、2024年末の1ポンド4ドルから上昇)。この価格なら、65,502トンは約7億2,000万ドル(約1,000億円、1ドル140円換算)の価値を持つ。日本の製造業にとって魅力的な数字だ。
 しかし、この回収は現実的ではない。硬貨の収集、選別、溶解には膨大なコストがかかる。それに、日本の年間銅需要である約110万トン(日本鉱業協会、2022年推定)に比べると、約5.95%に相当するだけで、一年だけの対応になる。年間需要の6%弱では焼け石に水なのである。それでも、10円硬貨が国際的な銅不足問題と結びついている事実は、私たちに資源の危機を身近に感じさせるものだ。

銅不足が日本のグリーン未来を脅かす

 日本は2050年までのカーボンニュートラルを目指し、グリーン技術の推進に力を入れる。経済産業省は2035年までにガソリン車の新車販売を終了する目標を掲げ、自動車産業は電気自動車(EV)へのシフトを急ぐ。だが、ここで銅不足が大きな壁となる。現状では、EV1台にはガソリン車の4倍の銅が必要と言われている。具体的には、EVには約80kgの銅が使われ(IEA、2021年報告)、ガソリン車は約20kgだ。モーター、バッテリー、配線、充電ステーションに至るまで、銅は不可欠である。
 再生可能エネルギーでも同様だ。国際再生可能エネルギー機関(IRENA)によると、風力発電1メガワットあたり約3.5トン、太陽光発電では約4トンの銅が必要とされる。日本が2030年までに再生可能エネルギーの割合を36~38%に引き上げる計画(経済産業省、2021年)を達成するには、現在の銅消費量を大幅に超える供給が求められる。
 なのに、世界の銅鉱山生産量は2023年で約2,200万トン(USGS, 2024年推定)である。IEAは2050年までの脱炭素シナリオで、年間4,000万トン以上が必要と予測する。このギャップは埋めがたい。関連するNPRの記事を読むと(参照)、BHP(豪鉱業大手)は、「既存鉱山の生産は2035年までに2024年比15%減少する」と警告しているそうだ。「鉱石の平均品位が1991年以来40%低下している」との指摘もある。採掘コストは増大する。

 現状、日本は銅のほぼ全量を輸入に依存し、2022年の輸入量は約112万トン(財務省貿易統計)。この供給が途絶えれば、EVや再生可能エネルギー設備の生産が止まり、グリーン目標が遠のく。銅価格の高騰も深刻だ。2015年の1トン5,500ドルから2025年の11,000ドルへと倍増し(LMEデータに基づく推移)、製造コストは跳ね上がる。日本のグリーン未来は、銅の確保にかかっている。

南米の動乱の影響

 銅不足の鍵を握るのは、南米である。USGS(2023年)によると、世界の銅生産の約35%をチリ(約500万トン、22.7%)とペルー(約260万トン、11.8%)が占める。日本はこれらの国から大量の銅を輸入し、2022年のチリからの輸入は約30万トン、ペルーからは約15万トン(財務省貿易統計)。チリのGDPの10~15%(世界銀行、2022年推定)、ペルーの輸出の約25%(ペルー中央銀行、2023年)が銅に依存し、その経済的重要性は大きい。だが、この地域の政治的安定は揺らいでいる。
 先のNPR記事では、チリのチュキカマタ鉱山での労働争議やペルーの混乱を例に挙げていたが、チリでは水不足が深刻で、2023年の降水量が平年比30%減(チリ気象局)となり、鉱山と農民の水争奪戦が抗議を引き起こし、2024年には一部鉱山で操業が一時停止した(ロイター)。ペルーでは、2022年のペドロ・カスティージョ大統領弾劾後の暴動が鉱山を直撃し、ラス・バンバス鉱山が数カ月停止し、世界供給の約1%(22万トン相当)が失われた(S&P Global, 2023年)。これが日本にまで波及すれば、家電や電力網の生産が滞るかもしれない。銅建値(国内基準価格)は2025年3月時点で1トン約150万円(住友金属鉱山推定)だが、さらに上昇するだろう。スマホやエアコンの供給が南米の混乱に左右される現実が、ここにある。
 国際情勢が不安定さを増すなか、その台風の目ともいえる中国は南米での投資を拡大し、ペルーのセロ・ベルデ鉱山に資本を注入(Bloomberg, 2024年)した。米国はといえば、自国優先主義を掲げトランプ政権のもと、「カナダからの銅輸入に25%関税」(2025年2月)なり、その分、南米への圧力を間接的に高めることになる。南米の動乱が続けば、さらに深刻な事態が現前化する。

大国間の銅戦争と日本の立ち位置

 銅不足はすでに地政学的な火種と言っていい。中国は世界の銅消費の約50%を占め(CRU Group, 2023年)、年間約1,100万トンを消費する。NPR記事は、中国がコンゴ民主共和国(DRC)のCOMMUS鉱山を運営し、2023年で250万トンを生産する姿を伝えている。さらに、アフガニスタンで16年越しに銅鉱山を着工(2024年)するという。対して米国は消費の半分(約90万トン、2023年)を国外から輸入し、カナダ(48万トン)やメキシコ(73万トン)に依存(USGS)しているのに、2025年2月25日、カナダからの銅に25%関税を課す。これは中国依存を減らす戦略だが、カナダとの関係悪化がさほど考慮されているふうでもない。
 日本はこの米中の「銅戦争」の狭間に立つことになる。2022年の銅輸入総量112万トンのうち、南米が約45万トン(40%)、残りをカナダやオーストラリアが補っているが、米国の関税がカナダからの供給を圧迫すれば、日本は代替を南米や中国に求めるしかない。また中国の輸出制限リスクもある。日本には製錬所も限られ(JX金属など年間約160万トン能力)、輸入途絶となれば致命的だ。
 リサイクル銅は、解決策にはならない。米国では供給の33%(約60万トン、NPR)を占めるが、日本では約30万トン(日本鉱業協会、2022年)と需要の27%程度程度。アルミニウムは代替候補だが、電気抵抗が銅の1.6倍(電気電子学会データ)で効率が落ちる。日本の輸入依存は打開策がなく、大国間の綱引きに翻弄されるだろう。もちろん、技術革新は進む。トヨタは銅使用量を減らす配線設計を研究し、パナソニックは代替素材を模索する。だが、NPRのバーゲス氏が言う「1つ入れて2つ出す魔法の箱」は存在しない。根本的解決は遠い。
 日本としては国際協力しか道がない。チリとの二国間協定(2023年更新)やペルーへの技術支援で、安定供給を確保しなければならない。日本のJX金属はコンゴで鉱山開発を検討(2024年計画)し、産出国との関係強化を図る。あわせて、現実的に考えるなら、もはや銅不足を標準とせざるをえない。

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2025.03.16

VOAは消えてしまうのか?

 「アメリカの声(Voice of America、以下VOA)」が危機に瀕している。2025年3月、トランプ大統領の命令により、VOAの全スタッフ約1,300人が職場から締め出され、放送停止の瀬戸際に立たされているのだ。VOA側の公式アナウンスはまだなものの、ディレクターのマイケル・アブラモウィッツはフェースブックの個人声明で嘆いている。「私は深く悲しんでいる。83年ぶりに、歴史あるVOAが沈黙させられた」と。日本でも英語学習や国際ニュースの窓口として親しまれてきたVOAが、今、存亡の危機にある。私は言語学に関心を寄せるものとして、VOA英語の簡易性とその教育的価値に深い愛着を持っている。VOAは、国際政治的に見れば、報道機関というよりプロパガンダ機関と呼べるかもしれないが、その価値は英語教育、米国的価値の普及、娯楽性、そして言語学的視点からも際立つものだ。

アブラモウィッツの悲嘆

 事態は急激に進展した。2025年3月14日深夜、トランプ大統領はVOAを含む米国グローバルメディア庁(USAGM)に対し、「法的に義務付けられていない活動」をすべて削減する命令を下した。これにVOAも含まれる。翌日、VOAの全フルタイムスタッフが無期限休職処分を受け、VOAの「ラジオ・フリー・ヨーロッパ」や「ラジオ・フリー・アジア」への資金契約も打ち切られた。63言語で週4億2,000万人に届くVOAの運営はほぼ停止状態である。アブラモウィッツはこう訴える。「VOAには慎重な改革が必要だった。しかし、今日の措置でその重要な使命を果たせなくなる」。彼の言葉は、単なる業務停止を超えた危機感を伝える。
 背景には、トランプ政権の政治的意図がある。VOAは過去にCOVID-19報道で大統領の不興を買い、「税金の無駄遣い」と批判されてきた。他方、予算削減を進めるイーロン・マスクや、新指導者に指名されたカリ・レイクが主導し、VOAの政治的コントロールを強めようとしている。ロシアや中国の指導者がこの状況を歓迎するかもしれない中、VOAの「声」が標的となった理由は、トランプ個人の意にそぐわなかった可能性すらある。

VOAの本質とその価値

 VOAについて詳しくない人もいるかもしれないので、簡単に歴史を振り返っておきたい。VOAは1942年、第二次世界大戦中に枢軸国に対抗するために設立され、冷戦時代には反共産主義のメッセージを世界に精力的に届けた。戦後は自由な報道と文化発信を掲げてはいたが、米国政府の意向は色濃く反映され、報道機関というよりプロパガンダ機関としての性格が強い。連邦法で「米国の政策を明確かつ効果的に伝える」ことが使命とされ、独立性は限定的である。BBCやNHKとは本質が異なる。
 しかし、そのプロパガンダ的な性質ゆえの価値もある。第一に、米国英語教育の普及である。アフリカやアジアの開発途上国で、「VOA Learning English」は簡易英語でニュースを届け、教育機会の少ない地域に言語と知識を提供してきた。第二に、米国的価値の伝播である。民主主義、自由市場、個人主義を放送を通じて広め、ソフトパワーの中核を担った。第三に、娯楽性である。音楽番組や文化紹介は、リスナーを楽しませ、米国への親近感を育んだ。VOAは報道の枠を超え、教育と娯楽を融合させた存在だった。

VOA英語の素晴らしさ

 私がVOAを愛する最大の理由は、「VOA英語」の優秀性にある。言語学的な視点からも、その設計と効果を高く評価できる。VOA Learning Englishは、通常のニュース英語を約1500語の基本語彙と単純な文構造に置き換え、しかも、独自に訓練されたアナウンサーによってゆっくりとした発音で放送される。例えば、複雑な時制やイデオムを避け、明確で理解しやすい表現に特化している。これは「簡易英語(Simplified English)」の優れたモデルであり、英語を母語としない学習者にも最適化されている。1分間に130語程度の速度は、標準的な英語放送(約160語/分)より遅く、リスニングの負担を軽減する。さらに遅いレベルの音声も提供されている。
 この簡易英語は、英語教育効果も最大化する。開発途上国のリスナーは、VOAを通じて英語を学び、同時に世界情勢を知る。日本でも、学生や社会人がこの放送でリスニングを鍛え、実用的な英語力を身につけてきた。私自身、VOA英語の明瞭さに助けられ、英語学習をしてきた。もともとは政治的なプロパガンダの一環だったとはいえ、その言語設計は言語学的にも洗練されており、非ネイティブへの配慮が際立つ。VOA英語は、単なるツールを超え、言語教育の傑作と言える。

日本人にとってのVOA

 日本におけるVOAの歴史は、戦後復興期に遡る。米国との同盟が深まる中、VOAの英語放送はラジオを通じて届き、民主主義やアメリカ文化を知る窓口となった。インターネット時代になっても、「VOA Learning English」は英語学習の教材として親しまれている。NHKラジオと並び、その簡易英語は教養を求める日本人にとって頼れる相棒だ。まずその落ち着いたトーンと丁寧な語彙は、学習者に安心感を与える。
 情報源としての価値もある。日本は報道の自由が確保されているが、国内メディアではカバーしきれない海外の視点、特に米国の立場をVOAが補完してきた。アジア情勢や米国の政策を伝えるその声は、日本の教養人にとっても視野を広げる一助だった。
 報道機関としても優れている事例を思い出した。阪神・淡路大震災のときだ。たしか、日本での報道が制限されているとき、VOAの記者が香港から現地に入った。米軍の援助もあっただろう。その情報は日本の報道よりも早く状況を伝えていた。当時インターネットはまだWebが普及してなくて、私はGoferという仕組みでVOAのニュースを引きだした。当時の文面によるVOAニュースは全文が大文字だったことを思い出す。
 仮にVOAが消えれば、日本にどのような影響があるか。まず、英語学習への打撃が大きい。VOA英語の簡易性と教育的配慮は、他に類を見ない。YouTubeやアプリが代替手段としてあるが、その信頼性と一貫性はVOAに及ばない。英語を学び直したい社会人や受験生にとって、その不在は大きな空白となる。VOA英語の喪失は教育ツールの傑作が消えることを意味するからだ。

VOAの未来:再編成と不確実性
 VOAの未来はどうなるか。完全閉鎖となる懸念はある。トランプ政権のこうした政策が進めば、VOAは資金を絶たれ消滅する。おそらくロシアや中国が喜ぶだろうが、米国のソフトパワーは弱まる。それでも、トランプ大統領は意に返さないかもしれない。第二には、縮小存続である。最小限の機能で生き残る場合、政治的コントロールが強まり、従来の使命は失われる。その延長ともいえるが、第三に、カリ・レイクによる再編成の可能性がある。トランプの側近であるレイクは、VOAの新指導者に指名され、保守派の視点で放送局を再構築する意図があると見られる。彼女はメディアの「左派バイアス」を批判し、VOAをトランプ支持層に訴える機関に変えるかもしれない。スタッフの休職や契約打ち切りは、再編成の準備段階とも解釈できなくはない。約1,000人の新チームを率いる計画が噂されており、「新生VOA」が保守寄りのプロパガンダとして復活するシナリオは現実味を帯びている。しかし、連邦法の独立性規定や議会の反発が障害となり、成功は不透明だ。VOA英語の簡易性が維持されるかも疑問である。もちろん、現行に近い状態での復活の希望もある。政権交代や国際的圧力で、VOAが従来の形に戻る可能性もゼロではない。日本を含む同盟国の市民の支持が後押しになれば、アブラモウィッツの「使命」が再び息を吹き返すかもしれない。というわけで、このブログ記事を記す。

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