2017.05.24

[書評] 安達峰一郎 日本の外交官から世界の裁判官へ(柳原正治、篠原初枝ほか)

 現在、国際法について放送大学の講義を楽しく聴講している。講師の柳原正治教授の説明が明快で示唆深い。もう少し国際法を学びたいなと思わせる講義だし、テキストには参考書やまた講義中にも推薦書の話が出てくる。とはいえ、それはそれとして、柳原正治先生の近著はなんだろうかと調べたら、この書籍、『安達峰一郎 日本の外交官から世界の裁判官へ』があった。

 恥ずかしいことに、安達峰一郎って誰?とその時思った。もちろん、そういうとき現代人ならググればいいと思いがちだし、たしかにググってみるといろいろ情報もあることがわかる。そしてそれらの情報もよく整備されている。
 また私は無知だったが、近年テレビ番組や雑誌などでも、知られざる国際著名人のような話題にもなっていたらしい(そのわりに新書などの一般書はなさそう)。ただ、私としての、その「誰?」感を元に本書を紐解くと巻頭というか「はしがき」に、柳原氏の説明がこうあり、そこでなにか、情報というのではなく、一冊の書籍というものに出会えたような安堵感があった。

 安逹峰一郎は、その国際社会での活躍に比して、これまであまり知られてこなかった。しかし、安逹の生涯やその業績を振り返ることで、我々は多くのことを学ぶことができる。それは安逹が、日本の外交官として当時優れた功績を残したからである。安逹が外務省に入省した一八九二年からオランダ、アムステルダムで客死する一九三四年までの期間は、日本にとっても世界にとっても変化の著しい重要な時代であった。日本は日露戦争や第一次世界大戦を経て、世界の「一等国」となった一方で、国際社会は人類最初の総力戦である第一次世界大戦を経験し、ヨーロッパは未曽有の戦禍に見舞われた。安逹はそのような起伏の激しい時代を駆け抜けたのである。
 また、「あとがき」にはこうある。
 わたくし個人が安逹峰一郎博士に学問的な関心を持ったのはそれほど古いことではない。記録を確認したかぎでは、二〇一〇年七月三日に韓国・ソウルで開催された韓中日国際法学会合同シンポジウムで「一九四五年以降の国際裁判と日本――裁判嫌いの神話」という報告を行ったが、そのなかで安逹博士のことを取り上げたのが、対外的に研究成果を発表した最初である。
 その後、柳原先生は安逹の故郷である山形の山形大学との関連ができた。そこでちょっと興味深い話もある。
国際司法裁判所所長を務められた小和田恒氏が二〇一二年四月に山形大学の入学式において「これからの世界を担う若い人たちへ」という特別講演をされ、そのおりに山形大学安逹峰一郎研究プロジェクトの成功を目指す県民の集いも同時に開催された。小和田氏のご助言も得て、結城章夫学長(当時)が本プロジェクトの立ち上げを決断されたと伺っている。
 本書はこのプロジェクトの結実の面が強い。以上は安逹に対する山形県民の思いだが、もう一面がある。
資料収集にあたっては、安逹博士の奥様の鏡子さんが全財産を擲って一九六〇年に設立された(公財)安逹峰一郎記念財団(東京新宿区)の大岩直子さんと戸谷好子さんにもずいぶんとお世話になった。

 私事だが、昨日、ドイツ連銀理事を招いて東大で開催されたコンファレンス『ヨーロッパにおける選挙期:経済回復への試み』の前に時間があったのと、館開いている火曜日であったので財団の記念館に寄ってみた。が実際には閉じていたようだった。また機会があったら試したい。
 安達峰一郎についてだが、彼は1869(明治2)年6月、山形市山辺町に生れ、15歳で上京。1892(明治25)年7月に東京帝国大学法学部仏法科を卒業し、外務省に入省。初任地はイタリア。その後フランスに移り、欧州で10年を過ごす。新渡戸稲造が「安逹の舌は国宝だ」と評したそのフランス語能力を買われ、日露講和のポーツマス会議では小村寿太郎全権の随員となった。その後、駐メキシコ公使を経て駐ベルギー公使となり、第一次世界大戦後のヴェルサイユ講和条約や国際連盟で活躍。こうした国際的な活躍から、駐フランス大使時代の1931(昭和6)年、常設国際司法裁判所裁判官に最高点で当選した。が同年、満州事変が勃発。彼は国際司法裁判所の機構で事変を解決するよう日本に訴えたが、果たされず、1933(昭和7)年には日本は国際連盟脱退もあり、安逹の苦労は募り不眠症となる。翌、1934(昭和9)年には心臓発作を起こし、休養したもののその年末に亡くなった。日本の軍国化が進むなか、それでも世界の人々は安逹の死を悼み、オランダ国葬の礼と司法裁判所の合葬となった。
 こうした経歴を見ても、安逹の業績やその思いには関心が自然に向く。
 本書だが、論集の形になっているものの、安逹峰一郎の全体像がつかみやすい構成になっていて、いわゆる学術書とは異なり、一般読者にも読みやすい。なかでも第一部は安逹峰一郎の生涯が簡素にまとまっている。また、本書は、実務家として見られやすい安逹の具体的な国際法での業績への言及が多い。簡単に言えば、安逹は、日本の偉人というより、当時の国際社会秩序に尽くした国際人であった。日本人がどのように国際人になるのかというロール・モデルでもある。

第I部 安達峰一郎とその時代
 第1章 安達峰一郎の生涯(柳原正治)
 第2章 安達峰一郎と国際協調外交の確立(井上寿一)
 第3章 安達峰一郎と日本の国際法学(明石欽司)
第II部 安達峰一郎と欧米の国際秩序
 第4章 安達峰一郎と戦間期ヨーロッパの協調(牧野雅彦)
 第5章 安達峰一郎とフランス――駐仏大使時代(1927-1930)に焦点をあてて(黒田俊郎)
 第6章 安達峰一郎とアメリカ――日米協調のもう一つのシナリオ(三牧聖子)
第III部 安達峰一郎と国際連盟
 第7章 戦間期日本と普遍的国際組織(植木俊哉)
 第8章 国際連盟理事会における安達峰一郎――「報告者」の役割(篠原初枝)
 第9章 安達峰一郎と国際連盟の判事選挙――国際社会における地位(後藤春美)
第IV部 安達峰一郎と国際裁判
 第10章 安達峰一郎と国際裁判制度(李禎之)
 第11章 安達峰一郎と国家間紛争の解決方式(柳原正治)
あとがき
関連略年表
安達峰一郎関連の一次史料(柳原正治)

 本書で興味深かったのは、安逹峰一郎自身やその業績もだが、国際紛争におけ国際司法や国際司法裁判所のありかたの原則が史的・生成的に示される点もある(なかでも裁判所機能が安全保障の分離から制約されること)。
 また、個人的な関心に属するが、安逹の妻鏡子(かねこ)の生涯に小説的な関心をもった。彼女は、夫の死後、彼らの生活を記す歌集を編んだがその時代、安逹の苦悩についての歌は当時の出版界では受け入れられず、削除となった。彼女は、第二次世界大戦中も日本に帰国せず、ベルギーにとどまり、ようやく帰国したのは、1958(昭和32)年、87歳だった。亡くなったのは、1962年。1960年に鏡子の歌集は出版されているようだが、削除された歌はいまだ発見されていない。


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2017.05.17

[書評] ミクロの窓から宇宙をさぐる (藤田貢崇)

 米国のハイスクールドラマやSFドラマが好きなのでよく見るが、どうも米国の高校ではアインシュタインの特殊相対性理論のE=mc2について、それがなんであるのかというレベルでは教えているように感じられる。もちろん、米国の初等教育というのは多様だし、理数系の初等教育全体としては日本のそれよりは低いだろうから、教えてないところもあるだろうし、ましてなぜE=mc2になるのかについてまでは教えてはいないだろう。まあそれでも、アインシュタインの特殊相対性理論と関連で、E=mc2かあ、くらいの知識は米人の高校生は少なくはないのではないか。
 対して、日本の初等教育ではどうなんだろう。義務教育で特殊相対性理論について、せめてそれがなんであるか、また、E=mc2というのは、雑駁に言えばどういう意味があるのか、ということについて、教えているのだろうか? どうも教えていないように思える。
 どう教えるかという問題はあるにせよ、それでも10代の内にきちんとE=mc2という公式に出会って、その基本的な意味を知っておくことはとても大切なことだし、これこそが20世紀以降に生きた人間にとって基本的な自然観というか宇宙観の基礎になるはずだ。ずっとそう思ってきた。
 空を見上げる。太陽が輝いている。古代人は太陽が燃えていると考えたし、現代でも比喩的に燃えていると言う。でも、燃焼しているわけではない。核融合反応をしている。そしてその核融合反応でなぜエネルギーが出るのかというと、E=mc2が基礎になっていて、つまり、質量がエネルギーに変換されているからである。まあ、それでいうなら、原発のエネルギーでも同じではあるし、そもそもエネルギー全体にも言えるだろう。それでも、太陽を見上げるとき、僕はよくE=mc2かあと思う。そして、そういう20世紀の人間の感覚をわかりやすく、初等教育レベルで語りかける教育というのはないものなのだろうかと思ってきた。たぶん、そういう本や講義はいろいろあると思うが、そうした書籍にありがちな上から目線というか、そういう臭みはできるだけないほうがいいなとも思っていた。
 例えば、「水から伝言」なんて非科学だという批判もあるが、こんなのは、オカルトとか、千の風になって大気を彷徨っていますとかの歌と似たようなもので、そもそも科学的に考える対象ですらないものに、上から目線的な批判に科学性を感じるすれば少し奇妙に思える。むしろ、科学的な感性で言うなら、現在の地球上に存在するすべての水が、どうやら地球ができた後になって宇宙からもたらされた可能性がある、といった現代科学の知見の驚きのほうが、現代人の自然観にとってとても重要だろう。そういうことをやさしく語る本はないんだろうか。

 あった。たまたまた偶然、NHKカルチャーラジオ「科学と人間 ミクロの窓から宇宙をさぐる」の「第4回 宇宙の「見えない物質」をさぐる」を聞いていたのだが、これがめっぽう面白い。この回はダークマターの説明なのだが、なぜそれが想定されるのかについて、30分という短い枠でとてもわかりやすく解説されていた。これはすごいなと思って、その次回の「第5回 正体不明のダークエネルギー」も聞いた。これも面白い。こりゃ面白いや。ということで、NHKのサイトを探ったら、ストリーミングでこれまでの放送分が全部聞けることになっているので、最初の三回分聞いてみた。ついでに、ガイドブックもあるというので、この分野の知識の手頃なまとめとして買った。まだ放送されていない分がどういうふうになっているのかという興味もあった。
 それにしても面白い。先の太陽の話で言えばこうある。

 水素の原子核4個の質量とヘリウムの原子核1個の質量を比べると、反応後のヘリウム原子核のほうが0.7パーセントだけ軽くなる。この軽くなった分がエネルギーとして解放され、星の中心部から放たれる光や熱のエネルギーとなる。アインシュタインの述べた「質量とエネルギーは等価である」という実例が、恒星で起こっていたわけだ。アインシュタインがこのことを述べたのは20世紀初めのことだったが、実はそれまでの間、恒星がなぜエネルギーを放出できるのかは謎だった。ギリシア時代には、太陽は石炭で燃えるのだと考えられていた。その後、重力の理論が明らかになってくると、太陽が重力によって縮小するときに重力エネルギーから熱・光エネルギーへ変換されると考えるようになった。しかし、この説明では大要が輝き続ける年数は1600万年となり、すでに化石として発見されていた恐竜の年代や、そのほかの地質学的な考察から太陽よりも地球のほうが古くなってしまう。

 当たり前と言えば当たり前だが、太陽を見上げて、ああ、あれは核融合反応だ、E=mc2なのだと感じるのは、20世紀以降の人間の自然な自然観・宇宙観であるし、そうした感覚は、もしかすると、ただ自然や宇宙に対して感じるだけではなく、そもそも人間総体の感覚も変え、さらに市民社会や対人関係などにも影響はあるかもしれない。
 もちろん、初等教育を超えて、ある程度現代科学の知識のある人には本書はあまり発見というのはないかもしれない。それでもよくこんなに手短によくまとまっているなあと感心した。
 例えば、私たち日本の科学教育では、メンデレーエフの周期表とかよく教えられる。また、日本の名前を冠した新元素がさもお茶の間の話題とされる。しかし、こうした元素はあると言えば当然あるのだが、それがなぜ地球にあるのかというのは、そんなに簡単なことではない。
 太陽のような恒星が水素からヘリウムの核融合を続け、最後の時を迎える。これは恒星のサイズによって異なる結果になる。太陽のようなサイズでは、炭素や酸素までの核融合が進むが、それ以上の重たい元素までは進まない。太陽の8倍だと、最終で鉄までができる。問題は鉄より重い元素がどのようにしてできたが、これまでの恒星の終焉とは異なり、「超新星爆発」でできる。超新星元素合成である。ガイドブックではここまでは書かれているが、地球の組成となるこうした重たい元素の由来については、明確には書かれていない。ラジオでは「超新星爆発」として説明し、私たちの身体に含まれるこうした金属から、人間もまた「星の子」とやや詩的に語られていた。たしかに、セレニウムはセレノシステインとして生命に重要な働きをしているが、これらは超新星元素合成に由来する。ただし、鉄より重たい元素の由来については、理研などは中性子星合体が起源という説を出しているなど、定説まではなさそうだ。
 地球上の元素に関連した話だが、本書には「クラーク数」への言及もある。大辞泉などでは「地球表面下約16キロまでの元素の存在比を重量パーセントで示したもの。アメリカの地球化学者クラークにより算出された」とある。また、ちょっとネットを見たら、これを元にした話題などもあった。本書では、こう説明されている。

クラークが研究を行っていた時代には周期表の元素のほとんどが発見され、自然界にそれらの元素がそれぞれどの程度存在するのかということに関心が寄せられていた。研究が進んでくると、この当時は地球の内部構造がまだよくわかっていなかったことや、クラーク数を算出する際には考慮されていなかった海洋地域の岩石が鉄やマグネシウムに富んでいることなどが明らかとなり、科学的な意義が認められなくなったため、現在では科学史の中で過去の研究として扱われている。当時は最先端の研究であっても、研究の進展とともにより新しい事実が明らかになり、それが触れられなくなっていくという一例を示している。

 クラーク数のリストについては、僕が小学生のころ暗記したものだった。鉄と酸素の次がケイ素とアルミニウムかと思ったものだった。昭和の時代は、あれは「電気の缶詰」と呼ばれていた。父の吸うタバコの銀紙を大切に丸めてボールを作ったりもした。
 本書を読みながら、いろいろ思う。なにより、いまだ、自然界・宇宙にはいろいろわからないことがあるのだなと思う。20世紀に生まれた人間として太陽エネルギーの由来はわかっても、宇宙に満ちているダークエナジーなどはわからない。私が生きている内にわかるものでもないかもしれないなあと、今度は漆黒の夜空を見上げる。
 

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