2014.10.23

香港・雨傘革命の本当の力

 21日、香港で普通選挙を求める抗議デモのなか、デモ学生の代表と香港政府代表の対話が実施された。この問題に関心をある人なら、この対話の内容や結果に期待をもつことはないだろう。重要なのは、対話に香港政府代表を引き出したということで、それ自体がデモ側の勝利の一つとして位置づけられる。
 今後の動向がどうなるかはわからない。大筋、共産党中国政府が、香港の民主化に明示的に妥協することはないと見られる。それをすれば中国が解体してしまう。中共側としては、現状の台湾との関係と同様、言語的な規定は曖昧のまま実態を静かにねじ曲げていくという方向ならざるをえない。
 このことは、天安門事件のような流血や、李総統(大統領)選出時のミサイル威嚇のようなことを中共側がしずらい、ということでもある。しかし、中国という国はこうした常識的な視点からは捉えられない面があるので、国際社会も慢心はできない。
 今回の雨傘革命でも、そもそも中共側としては、言葉上は香港に普通選挙を認めた妥協案を出していたつもりだった。もちろん、中国にありがちなことだが、制度のからくりからは別になっている。香港でも自由に市民が立候補できないようになっていた。そのあたりの無茶なからくりを、中共側としては、武力と経済力を背景に押せば、香港側が飲むだろうと見ていたのだろう。
 そうした読みは従来の視点からはすれば合理的でもあった。だが、一部には米国民間団体など外国からの支援はあるにせよ、今回のデモはかなり深いレベルで香港市民から発生しているため(その顕著な部分は高校生の運動に見られた)、読みが外れたと言える。
 今回のデモが香港市民社会の基盤的な部分から発生してということは、中共がお好みの、標的にできる先導者や中核が不在であることを意味している。中国国内にようには弾圧しづらい。これは非常に興味深い現象でもあった。
 いずれ中国国内でも市民意識が一定段階に達すれば、この香港と同様のことが発生し、中国共産党は歴史的な幕を下ろすことになるだろう。ただ、その段階に達するまで、基礎的な経済成長が進むかどうかは危ぶまれる。
 基本線は以上のような見通しを私はもっていたのだが、もう一点、香港の本当の力を考えさせらることがあった。逆説がある。
 香港がその返還時に英国と結んだ約束では(それは同時に国際社会が履行を監視するものだが)、二制度が50年間維持することになっていた。この決断を下した鄧小平としては、実質的な資本主義化の先端として香港を貿易・金融センターとして位置づける意味合いもあった。しかし近年の動向から、中共側としては香港なくして上海で貿易・金融センターが維持できると見るように変化し、ゆえに香港を政治的に弾圧できるとしてきた。
 そこまでは私も想定していたのだが、どうやら今回の雨傘革命の進行を見ていると、上海の問題のほうがじわじわと浮かび上がってきた。
 ポイントは昨年9月29日に開催された「上海自由貿易試験区」がすでに失敗していることだ。ちょうど1年後の9月29日のWSJ「上海自由貿易試験区、開設から1年も成果は期待外れ」(参照)より。


 事業手続きの簡素化や特定業種への投資開放など、一定の変化も見られるが、企業幹部らは改革が不十分との見解を示している。上海自由貿易区管理委員会の党組書記を務めていた戴海波氏が15日に更迭されたことも、試験区の不振に拍車を掛けた。
 コーネル大学で中国を専門とするエスワール・プラサド氏は「上海自由貿易試験区では、ほんのわずかな進展しか見られない。中国では市場主導型の金融システムへの移行を目指す改革の歩みが段階的にしか進まないという低い基準で見ても、そう言えよう」と述べた。

 やっかいなのは、この問題が李克強首相批判という政治問題に変化してくると別の危険な問題になることだ。いずれにせよ、「上海自由貿易試験区」が発展していく兆しはない。いろいろ問題があるが、これは、そもそも高度な資本主義が機能しないことであり、そもそもそれを支える自由主義が機能できないからではないだろうか。

 だが、企業幹部の反応は鈍い。スウェーデンのスカンジナビスカ・エンシルダ銀行(SEB)上海支店のマーチャント・バンキング部門責任者、フレドリク・ハーネル氏は「自由貿易区として大きな魅力があるとはまだ感じられない。1年もすれば、もっと多くの進展があると期待していたからだ」と述べた。
 ハーネル氏は、試験区内での人民元建て社債の発行に関する許可や、全額出資の外国投資銀行や証券会社による中国国内の資本市場への全面アクセスなどで、飛躍的な進展が見られることに期待していたと言う。
 ハーネル氏によると、SEBは現時点では試験区内の支店開設を検討していない。同氏は「今のところ、試験区外では不可能でも区内なら可能ということが見当たらない。ただ、オフショア市場での資金調達や資本市場への完全なアクセスといった抜本的な改革がなされた場合は、支店開設を検討するつもりだ」と述べた。

 上海でのこのドジな状況は、逆に対比として香港の優位を語っていることになった。
 香港の市民社会の規範が、その貿易・金融的な機能の基盤になっているなら、これを現時点では中共はつぶせない。そこに香港・雨傘革命の本当の力の源泉があるように思われる。
 さらに、ここで香港の市民社会を押しつぶせば、中国本土側の貿易・金融規制緩和に国際的な汚点ともなるだろう。上海への期待は消える。
 中国的な考えからすれば、経済(儲け)というのは政治と分離できるという前提があるのだろう。だが実態は、市民社会の倫理と資本主義経済の規範は同質であり、そのことを中共は、本当には知らなかったのかもしれない。
 
 

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2014.10.22

[書評]初代総料理長サリー・ワイル(神山典士)

 ミラノ風ドリア? 知らないでいたら、どうも知らないのは私くらいらしく、そのことで私のほうが驚いた。ツイッターや周りの人に訊いたりしてなんとなくわかった。調べてみて、なんでミラノ風かということもわかって、苦笑した。

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初代総料理長
サリー・ワイル
 それはまあそれでいい。が、「ドリア」については長年疑問に思っていたので、この機にちょっと調べたら、意外なことがわかった。昭和初期に来日した横浜のホテルニューグランド初代総料理長サリー・ワイル(Saly Weil)の創案らしい。
 後世にその料理が残って日本に定着するほどの影響力をもっていた料理人である。どんな人だったのだろうかと、ちょっと興味を持った。しかも、彼はスイス系のユダヤ人らしいというのも興味引かれる。そこで書籍を探したらそのまま『初代総料理長サリー・ワイル』という本があったので読んでみた。これは面白い。
 サリー・ワイルは、1897年(明治30年)に生まれ、1927年(昭和2年)、横浜ホテルニューグランド開業にあたり、パリのホテルから招請されたらしい。当時の年齢は30歳になったばかりなので、かなり若い人のようにも思うが、本書を読むとわかるが、その年齢で欧州の諸処でいろいろ料理の経験を積んだ人らしい。ただ、なぜこの時期に来日を望んだかというのは、著者がこだわりをもつように、いろいろ考えさせられるものがある。
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Kindle版
初代総料理長
サリー・ワイル
 著者は本書執筆にあたりいろいろと彼の事績を調べ、その人物像を描こうとしているが、ノンフィクションにありがちな奇妙な思い入れがない分、サリー・ワイルという人の実像は掴みにくい印象をもった。
 小泉八雲の来日前の生涯を追ったときも思ったのだが、自由な個人という陰影が深く、本質的に理解しづらい人物だと思わせる部分がある。八雲同様、女性遍歴もいろいろあったようにも察せられる。それなりの資産を形成したはずなのだが、戦禍という不遇はあったにせよ、晩年は質素に暮らしているのも奇妙には思える。
 80近い年齢まで生きて、日本の弟子からも慕われたが、直系の子どもがなかったこともあるだろうが、本書が書かれた2005年にはその墓の所在も苦労して探すように忘れられていたようだ。
 人物像に関連し、これも著者の関心をなぞることになるが、戦中日本にいたことも興味深い。最初に連想されるのはユダヤ人なので欧州を恐れたということはある。が、そのあたりも判然とはしない。それでも当時日本に残っていた西洋人たちが軽井沢の「つるや旅館」付近で事実上の軟禁状態にあった歴史なども、こういうとなんだが、面白い。。
 サリー・ワイルを一流の料理人という点から見ると、私もその存在を知らなかったのだが、同書が出るまで本格的な研究はなかったようだが、他面、これも本書でわかるのだが、きらびやかといってほどの弟子の人材・人脈を日本に残している。彼は戦後も欧州にあって、日本のフランス料理人の育成多大な貢献をしたことが本書からうかがわれる。
 そうした日本との交流の結果的な一端とも言えるのが、彼の創案の「ドリア」らしい。なぜ「ドリア」という名称なのかは本書でもわからない。
 いろいろディテールが面白い書籍でもあり。戦争だの政治・経済、あるいは大衆芸能史などで語られやすい昭和史も本書のようなハイカラな描写も見直すと興味深いものである。
 そうした逸話的な部分でちょっと驚いたのが、「ハンバーグ・ステーキ」である。私は以前から、この日本の「ハンバーグ・ステーキ」とはいったいどこの西洋料理なんだろうかと疑問に思っていた。似たようなものは米国料理にもあるが、違う。どちらかとミートローフに近いがそれでもない。そもそもパン粉を混ぜるところが面妖である。
 ところが本書にあるようにサリー・ワイルが伝えるその調理法は、なるほど現在日本のハンバーグ・ステーキに近い。というか、これだろう。印象ではあるが、日本のハンバーグ・ステーキというのもサリー・ワイルの創案なのではないだろうかと思える。
 スイス人という視点も興味深い。サリー・ワイルという人物を著者の感覚で追いながら、その視点でとても納得するのが「スイス人」という見立てである。いろいろ考えさせられるのだが、なかでも以下の一言には感銘した。

誰とも与しないかわりに誰とも対立しないという永世中立国の理念は、そうした国民の行動様式がベースになっている。
 そのことを端的に示す例として、スイスの小学校の教えの一つにこんな言葉があると聞いた。
「一つの言語を覚えると、一つの戦争がなくなる」
 この教えに、世界の中でも特異なスイスのありかたが凝縮されている。

 いい言葉である。「一つの言語を覚えると、一つの戦争がなくなる」
 世界の平和を希求する日本人としても、一つ一つ戦争を無くすために一つ一つ言葉を覚えていくとよいだろう。習得できなくても、覚えようとするだけでも、それは本当に平和につながっていくのではないだろうか。
 
 

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