2025.01.13

ロサンゼルス大火

 2025年1月7日、ロサンゼルス郡パシフィック・パリセーズ近郊で発生した山火事は、発生からわずか数時間で周辺地域に広がり、未曾有の被害をもたらした。この火災による焼失面積は約36,000エーカーに及び、リバーサイド郡やベンチュラ郡にも延焼している。18万人以上が避難を余儀なくされ、12,000棟以上の建物が損壊した。特にパリセーズ火災では1,000棟以上の住宅が焼失し、停電や経済活動の停滞といった二次的被害も発生した。
 発生原因はまだ特定されていないが、送電線の管理不備や倒木による断線など、人為的要因が関係している可能性が指摘されている。背景となる条件としては、エルニーニョ現象による豪雨が植生の繁茂をもたらし、その後の猛暑で乾燥した植物は格好の燃料となっていた。さらに、ハリケーン並みの強風を伴うサンタアナ風が、火の粉を数マイル先に飛ばし、新たな火点を生む結果となった。
 ロサンゼルスはこれまで防災先進都市として数々の対策を行ってきたが、今回の火災では、自然要因とインフラの脆弱性が重なり、被害は予想を上回る規模となった。現地の消防隊は65台の消防車、7機のヘリコプター、7台の給水車を投入し、連邦レベルの支援も加わったが、延焼速度に対応しきれなかった。被災者は当初消火設備で自宅を守ろうと奮闘したが、隣家は一瞬で炎に包まれたという。このような現場の証言は、災害対応の限界を示す一例である。

防げない自然災害
 2025年のロサンゼルス火災について、専門家たちは「完全に防ぐことはできなかった」という見解を示しているようだ。もちろん定番的に言及される背景には、長期化する気候変動の影響がある。高温・乾燥化の進行により、火災シーズンが従来よりも長期化し、頻度も増加している。今回の火災では、異常な豪雨によって成長した植生が猛暑によって乾燥し、火災の燃料となった。このような大局的な見地から見た自然現象は、人間の制御を超えたものである。
 個別の気象条件もあった。カリフォルニア特有のサンタアナ風は火災制御の難易度を飛躍的に上げる要因であった。時速100マイルに達するこの強風は、火の粉を遠方に運び、複数の火点を生む。これにより同時多発的な火災が発生し、対応が後手に回らざるを得なかったのだ。たとえ膨大な消防リソースを投入したとしても、このような状況下では鎮火はそもそも困難であったと見られる。
 事後の見解としては、この地域の建築構造も課題ではあった。ロサンゼルスの住宅の多くは、地震対策を優先した木造構造で建設されており、火災には脆弱である。現代の耐火技術や防火帯の設置が進められているとはいえ、気候変動がもたらす災害に対しては依然として不十分であった。ロサンゼルス消防局長は「1000台の消防車があったとしても、すべてを制御するのは不可能だった」と述べている。
 人的要因を減らすための送電線管理や監視システムの導入などは確かに重要な施策であるが、こうした大規模火災を完全に防ぐことは容易ではない。

適応が考慮される
 ロサンゼルス大火は「防ぐことのできない自然災害がある」という現実をまた一つ浮き彫りにしたと考えたい。科学技術の進歩によって多くの災害は抑止が可能となったが、基本的にロサンゼルスのような都市部と自然が接する地域では、火災リスクをゼロにすることは難しい。都市部の拡張や人口増加は、防火帯の設置を難しくし、火災発生時には被害を拡大する要因ともなる。さらに、地球温暖化による気温上昇と乾燥化が進行する中、山火事シーズンは長期化しており、災害発生の頻度は増え続けている。
 住民たちは避難計画や防災キットを備え、災害訓練を受けているが、大規模な災害自体を防ぐことは困難である。送電線の地下化や耐火建築の推進は進められているが、そのコストや技術的課題は無視できない。低所得層にとって、これらの防災対策を導入するハードルは高く、経済支援の整備が不可欠である。
 今回のような大規模な自然災害の完全な抑止が不可能である以上、私たちは「適応」という価値観を新しく築かざるを得ない。科学技術や政策強化による被害の最小化は必須だが、すべてを制御できると考えることは幻想である。ロサンゼルス火災は、防災の限界を突きつけた一例であり、自然の脅威に対する新たな対応策を模索する必要性を示唆している。今後被害者の数は増えるかもしれないが、これほどの大規模の災害であっても、大地震や津波がもたらすほどの人的な被害は出なかった。そのこと自体がすでに、適応の現段階にあると言える。

 

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2025.01.12

「カール」復活の意味

 67歳の私ではあるが、ノスタルジーというのものは好まない、と思っていた。懐メロも嫌いだし、昭和のころはよかったなんてさらさら思わない。だが、最近、駄菓子に惹かれてしまう。そういう老人も多いのかもしれない。老人ホイホイといった感じで魅惑する駄菓子がコンビニやスーパーマーケットで販売されている。で、私は、ふと「オヤツに」と口を付いて、「カール」と言ってしまい、ああ、カールはもうないんだと思った。しかし、似たような菓子はあるだろうと見ていると、どうやら、似たような菓子なんていうものじゃないものが、あった。
 ところで「カール」なのだが、1968年に登場した駄菓子である。日本のスナック菓子市場を変えた象徴的な存在でもある。高度経済成長期、駄菓子の世界に、かっぱえびせんに次ぐ新しい風を吹き込んだこのスナックは、コーンを原料としたノンフライ製法で作られた軽やかな食感と、チーズやカレーの濃厚でいいかげんな味わいと、そして、1974年から放映された「それにつけてもおやつはカール♪」のCMソングで印象的だった。特にその親しみやすい歌詞と忘れがたいメロディーで多くの人々の記憶に刻まれ、麦わら帽子とひげがトレードマークの「カールおじさん」もスナック菓子界のマスコットとして親しまれた。1990年代には年間売上高が190億円を超え、日本全国で「おやつといえばカール」という認識が広まっていた。
 しかし、諸行無常。1990年代後半から駄菓子の市場環境は大きく変化し始めた。ポテトチップスをはじめとする多種多様なスナックが台頭した。1995年10月23日、新潟県で初めて発売された「じゃがりこ」は衝撃的で、この日は「じゃがりこの日」として、1987年の7月6日の「サラダ記念日」に次いで庶民の祝日となったものだった(嘘)。時代はまず若者から変える。若年層を中心にポテトチップもカールも、「手が汚れる」「味が濃すぎる」といった声も聞かれるようになった(嘘)。そして、次第に駄菓子売り場でカールは存在感を失い、明治は広告費の削減などのコスト見直しを行ったが、ボディコン(誤字)が語られ、そして2017年5月、ついに「カール」の東日本市場からの撤退が発表された。市場を「カールショック」が襲った。このニュースはSNSを中心に大きな反響を呼び、「もう一度食べたい」「子どもの頃を思い出す味がなくなる」といった声が投稿され、スーパーでは「最後のカール」を買い求める人々で売り場が埋め尽くされた。
 「カール」は西日本限定での販売を継続し、東日本の人々によるカールを買うための旅行も定番化したものの、全国区のスナック菓子ブランドとしての役割は終焉を迎えた。この出来事は、懐古的な消費者の支持があっても市場原理に抗えない現実を示した。「昭和」を象徴する菓子ブランドが時代の波に飲み込まれた瞬間は、スナック菓子文化全体に大きな教訓を与えた、はずだった。

「サクまろ」の登場
 「カール」の東日本撤退から5年後の2022年、三重県津市のおやつカンパニーから「サクまろ」が登場した。「サクサク」とした軽やかな食感と「シュワッ」と溶ける新感覚の口どけが特徴のこのスナックは、発売直後から「あの味を思い出す」「これって『カール』の再来?」といった声が上がり、消費者に既視感を抱かせた。原材料にコーンを使用し、ノンフライ製法を採用している点など、基本的な構成は「カール」に酷似しているというか、これってどこがカールと違うの? もちろん、「サクまろ」はただの復刻版ではないとして、おやつカンパニーは「サクまろ」を従来のスナック市場と差別化するため、時代に合わせたマーケティング戦略を展開したらしい、知らないが。デジタルプロモーションの積極活用でされたという。「サクまろ」ではパッケージにQRコードを組み込み、スキャンすると、これっておじゃる丸じゃないのというARキャラクターが出現する仕組みを導入したらしい。知らない。これにより、若年層の間で「ゲーム感覚でお菓子を楽しむ」という新しい体験が生まれ、SNS映えするデザインも支持を得たという。ほんとか。
 いずれにせよ、「サクまろ」の誕生は、単に「カール」の復活を意味するものとしか理解できない。新しい世代に向けた再定義なのか、ただのまんまなのか。昭和から令和へと時代が変わる中で、若年層が求める体験型マーケティングを駆使し、スナック菓子市場に新風を吹き込んだ。「サクまろ」は、しかし、たんなる懐古の駄菓子スナックとして、旧来のファンと新世代を結びつける橋渡しとなった。というか、私はまんまと引っかかった。

何がおきているのか
 「カール」と「サクまろ」の復活の物語は、スナック菓子が単なる食品ではなく、時代と価値観を反映する文化的存在であることを示している、うん、そうだろう。2017年の「カールショック」により、多くの消費者は失われた味への郷愁を覚えたが、2022年に「サクまろ」がその味を再現する形で市場に現れたのだ。「ジェネリック医薬品」のように異なる名前でありながら本質的に同じ体験を提供できた点は、消費者心理の変化を如実に物語っている。というか、カールは日本の食文化において、梅干しとかたくあんとか奈良漬みたいなものになった。
 そして、「カール」の東日本撤退は、製造コスト削減やポテト系スナックの人気上昇など市場原理が実際には正しくないことをも証明した。「コーンスナック」自体の需要が消えたわけではなかった。拙速に過ぎたのである。高齢化社会ということは、高齢者の幻想の文化が開花することなのだ。高齢化した消費者はかつての「おやつの楽しさ」を求め、馴染みのある味を通じて過去の記憶を呼び起こす。企業はこうした感情を見極める必要があった。時代の進化とは、消費者の記憶と期待によって今後も形を変え続けるものなのだ。かくして、私はリメイクした『らんま½』を見ながら、ジェネリック「カール」を食べるのである、手をベタベタにして。

 

 

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