2020.07.03

2020年春アニメ感想

 我ながら、さしてアニオタでもないと思う。それほどアニメを見ているわけでもないが、と言いつつ、2020年春アニメもいくつか見た。感想をまとめておこう。
 ついでなんでランキングにしておこう。

第1位 イエスタデイをうたって
 すでに数本記事を書いているが、自分的にはダントツによかった。残念ながら、これがいいと言う時点で、自分が高齢者の部類だろうと思う。
 アニメ作品は、原作に反するということはないが、微妙に違ったものになっていた。それはそれでいいのだろう。
 青春とか恋愛とか、そういうものを回顧的にキュンキュンすると言えばそうだが、それよりも単純に、「愛とはなんぞや」と思った。まあ、そう思う時点で若くはないのだが。

第2位 グレイプニル
 さして興味もなく見ていた。微エロが多いのも、あまり好きではないなあと。さらにミステリー仕立てになっているのだが、話はよくわからない。が、主人公である二人、修一とクレアの感性はわかる。弱さや罪や、世界というものの違和感。そういう感覚に惹かれた。そして、第10話のクレアの命題があまりに決定的だった。

人は誰かのためなら、
それがどんな善良な人であろうとも、
どこまでも残酷になれる。

 ぐへぇ。この言葉に出会うためにこの作品を見る価値がある。
 そして、誰かのためでなく、自分のために生きるなら、それもまた、残酷な選択をするしかない。どうすればいいか。自分のために生きろ、である。

第3位 かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~
 これを上位に推すのは、非常に不本意である。コミックも全巻持っているのだから、オシだろうと言われても、不本意である。しかし、このギャグセンスにはしびれた。コミックにはない、微妙なネタを随所に込めてくるし、シーズン2の最終回は余裕で駄作味も出してくるしというか、この社会を舐め腐った余裕感と、愛の真実とアニメの愛が圧倒的すぎる。

第4位 かくしごと
 いい作品だった。もっと上位に推すべきなんだが、なんだろ、よかったからここ、である。最終回で号泣が待っているかなと思ったが、まあ、個人的にはしんみりにとどめているのがよかった。まあ、いい作品である。1シーズンでよくまとまっている。絵もきれいだ。

第5位 本好きの下剋上 司書になるためには手段を選んでいられません
 2期目である。我ながら、この作品の何がいいのかわからないが、好きである。
 なんだろと思うのだが、これって、子供の頃ひたすら本を読んでいた、ある種の感覚を思い出させる。お話というものが純粋にそこにある感じがするのだ。絵もそれによく合っている。純粋にお子様向けにもなるのがいい。

第6位 乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…
 不覚だった。こんな駄作、2話くらいで見るのやめるだろうと思っていた。でも、面白いと思っている自分がいた。
 『本好きの下剋上』でもそうなのだが、まじこいて、子供心が喚起させられる作品なのである。
 この手の作品をくだらないというのは簡単だろうし、あるいは、なんとかだから面白いというのも容易いが、それ以前に、とても、ピュアな作品なのだなと圧倒される。

第7位 LISTENERS リスナーズ
 順位はここまで。『LISTENERS リスナーズ』は何話まで見ただろうか、意外に面白いなあと思いつつ、脱落した。ディスることになるが、ロックの話がうるさいのである。ロックを熱く語るやつがうるさい、あれだ。


 さて、とりあえず、無難に推しというと、なんだろ。シリーズものは、慣れていないと重いし、『イエスタデイをうたって』は一般向けとも言えないし。そう考えると、『かくしごと』がいいだろうか。難しくないし、構成もいいし、楽しいし、人間感の芯もあるし。

 

 

 

 

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2020.07.02

「娑婆っ気」という言葉

 先日、若い人と話をしていて、ふと、「娑婆っ気」という言葉が口をついて、あれ?と思った。そんな言葉、今の若い人たちは知っているだろうか? きいてみた。案の定である。知らない。知らないからと責めるものではない。そもそも死語ではないかとも思った。
 「娑婆っ気」という言葉は死語であろうか? Twitterを検索してみると、まったくないわけではないが、微妙に意味のずれを感じた。軍隊や死後の世界での感覚を指している例があり、ようするに、一般社会とそれ以外の世界、との対比で出てくる用例が多いように感じられた。
 辞書を引くと、しゃばけ(娑婆気)に同じとあり、娑婆気はこう説明されている(日本語大辞典)。

〘名〙 現世に執着する心。俗世間における、名誉・利得などのさまざまな欲望にとらわれる心。世間体を飾ろう、みえをはろうとする気持。俗念。しゃばき。しゃばっき。しゃばっけ。
※消息(1899‐1900)〈正岡子規〉「時々は娑婆気を起して何やらの本が見たいの、誰やらの句集はないか、と」

 私がTwitterで微妙と感じた用例は、「現世に執着する心」という点では、正用法かもしれないなとも思う。
 ただ、意味としては、「俗世間における、名誉・利得などのさまざまな欲望にとらわれる心。世間体を飾ろう、みえをはろうとする気持。」のほうが近いだろうが、この定義より、もうちょっと軽い感じもする。
 都知事選でいうなら、宇都宮健児さんには、娑婆っ気はなさそうだ。小池百合子さんはけっこう娑婆っ気が強い。娑婆っ気のかたまりのようでもあるが、娑婆っ気というにはちょっと重苦しい。山本太郎さんはよくわからない。娑婆っ気そのものようにも思えるし、そうでないのかもしれないし。総じて、なさそうではある。
 そういえば、冒頭の話の文脈だが、私も若い頃、漱石の『こころ』のKのように生真面目というか求道心みたいな人かと自分を思ったが、娑婆に出たら、けっこう娑婆っ気があるのを知って驚いたという話であった。
 以降、他人を見るときも、この人はけっこう娑婆っ気があるな、娑婆っ気が強いな、娑婆っ気はなそうだ、となど自然に思う。
 それでどうしたというわけでもないのだが、まあ、そういうふうに見る人はもう老人の部類であろうか。

 

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